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道程  作者: 実川
八 秋田の国主編
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秋田の国主編(十一)

 弟の岩城貞隆が急死し、貞隆の嫡子の能化丸が岩城家を継いだ。能化丸が岩城家を継いだとなると、義宣の養子候補は申若丸に絞られる。申若丸には不安要素も多いが、義宣は申若丸を養嗣子として迎え、彦次郎義直という名乗りを与えた。

 すでに将軍の謁見も終えて、幕府にも正式に義直が義宣の養嗣子として認められている。五十歳を過ぎてからの養子だったため、義宣が自分の死を意識して末期養子を迎えようとしていると思われることも考えたが、将軍に届出をし、謁見も許されたため安心した。

 しかも、義直を養子に迎えたいと願い出ると、快く許されただけではなく、義宣は日々律義であるため褒美を取らせる、とまで言われたのだ。褒美は湯治と将軍の数寄に招かれたことだった。将軍は義宣が寸白気味であることを覚えていて、湯治をすすめてくれたのだった。

 大名家では嫡子のいない当主が急病や急の事故で死に瀕した際、家を途絶えさせないために急に養子を願い出ることがあったが、幕府はそれを厳しく禁じていた。そのため、嫡子不在を理由に取り潰される大名家の話を義宣も聞いていた。そんな話を聞くたびに、自分の年齢のことも考え、佐竹家が同じ道をたどってはならないと思ったものだった。

 同じ出羽の山形の最上家は嫡子がいたにも関わらず、お家騒動を起こし改易となった。嫡子がいたとしても、どのような理由で幕府から取り潰されるか分かったものではない。佐竹家は山形城の受け取りを幕府から命じられたため、山形には政景を派遣している。

 義直は謁見の際に江戸に連れて来て以来、ずっと江戸の上屋敷に置いている。多くの家臣に囲まれ、実母の六郷殿と離れて、養母となった琳や義宣の母の教育を受ければ義直ももう少ししっかりとした若者になるのではないか、と思ったのだ。それに、江戸の屋敷に置いていれば、義宣の嫡子ということでほかの大名家との付き合いも経験させられる。

 だが、母は義直を上屋敷に入れると、入れ違いに中屋敷に移ってしまった。母はいまだに義直が義宣の跡を継ぎ、いずれは佐竹家の当主となることが許せないのだ。母にとって、義直は卑しい側室の女の子であって、義重の息子でも義宣の弟でもない。まして義宣の息子だとはどうしても認められなかったらしい。

 琳は何かと義直のことを気にかけ、世話を焼いているのだが、義直の方が人見知りをしてしまって、なかなか琳と打ち解けられずにいる。義直の母は秋田にいる六郷殿ではなく、琳になったのだといくら説明しても、義直は琳のことを母と思えないようだった。

 その度に琳は寂しそうな、悲しそうな顔をする。もしかしたら琳は、夭折した徳寿丸のことを思い出しているのかもしれない。

 もし徳寿丸が今も生きていたら、もう二十四歳になっているのだ。義宣はとうに家督を徳寿丸に譲って、義重のように秋田のどこかで隠居生活を送っていたことだろう。義直を養子に迎えてから、よく徳寿丸のことを思い出す。もしも徳寿丸が生きていたら、などと考えるのは詮ないことだが、義宣だけではなく琳もそのことを考えずにはいられなかったと思う。

「琳、義直の様子はどうだ?」

「はい、彦次郎殿は能や猿楽の見物が苦手なようですので、屋敷でも長い能を行ってみたのですけれど」

「居眠りでもしたか?」

「いえ、居眠りはなさいませんでした。ただ、とても眠そうに大きなあくびをなさっていましたね」

 その時の様子を思い出しているのか、琳は苦笑していた。長い能はまだ十一歳の義直には厳しかっただろうが、江戸城では長時間の能が普通に行われる。今のうちから能見物にも慣れていなくては、佐竹家にとって問題になるのだ。

「今後も、機会があれば能や猿楽を見物させてくれ。主馬にも厳しくしつけるように言っているのだが、もう少し厳しくしてもいいかもしれないな」

「どうなのでしょう。あまり厳しくなさっても、彦次郎殿は心が折れてしまうかもしれません。今までお母上のもとでのびのびとしていたのですから」

「義直の母は琳だ」

「ええ、そうですね」

 琳の言うように、義宣は義直に厳しいのだろうか。だが、義宣も子どものころは、義久に厳しくしつけられたし、母と優しく触れあう機会はなかった。琳も人質として過ごしてきているのだ。だからこそ、琳はもっと義直に優しくしたいと思うのかもしれない。そうすれば義直は喜ぶかもしれないが、佐竹家のためにはならない。

 元服したての頃や二十代の頃、義宣は二言目には佐竹家を誇りにし、佐竹家の繁栄ばかり考えている譜代家臣たちが嫌いだった。義宣を愛してくれない母のことを憎んだ。

 だが、今となってはどうだ。義宣が一番佐竹家のことばかり考えているし、息子になった義直に優しくしやれていない。母や老臣たちと同じではないか。思わず自嘲の笑みが浮かんでしまい、琳に首を傾げられた。

 難しいものだ。こんな時、祥がそばにいてくれれば、と思う。祥ならば、義宣が今思ったことを話せば、優しく叱ってくれただろう。今更そんなことを思っても、どうしようもないことだが。

 横手にいる祥が病で床に就いたと聞いた時は、重い病なのかと随分と気を揉んだが、政景の話によれば元気そうだったので何よりだった。本当は義宣自身で見舞いに行きたかったのだが、それは許されることではない。

 今後、義宣が死んでも祥は義宣の葬儀に参列することはないし、仮に祥が先に死んだ場合も義宣は祥の葬儀には参列できない。それどころか、どんなに重い病にかかったとしても見舞いには行けないし、最期に立ち合うこともできないのだ。それを実感させられた。

 義直の教育をしながら江戸で日々を過ごしていると、幕府の重臣である本多正純が将軍秀忠の暗殺を企んだ、という噂が聞こえ始めた。亡き家康が絶大な信頼を寄せていた正純が、その息子を殺そうとするはずがないし、あの男は幕府の存続を第一に考えているのだから、暗殺などあり得ない、と義宣は噂をまったく信じていなかった。

 だが、その噂が流れ始めてからしばらくして、正純が所領の宇都宮を没収され、秋田に隣接する由利領に大幅に減封されると幕府から知らせが届いた。しかも領地を接する義宣には、今後正純との交流を絶ち、由利領にある本城城、滝沢城は佐竹家で破却するようにとの通達まで届いている。由利の本城城は領主の住むべき城のはずだ。それを破却して正純はどこに住むのだろう。

 噂が真実だったとは思わないが、正純が減封処分となったことだけは確かだ。しかも幕府は非常に厳しい処分を決めている。

 山形に派遣している政景に急いで連絡をし、正純の処遇を任せることにした。正純はいま最上家の所領受け取りのために山形にいるのだ。家老の憲忠にも知らせを出し、由利領の城を破却するよう命じた。

 山形で減封処分を聞いた正純はどんな思いでいるのだろう。義宣が秋田に減封を命じられた時も、上洛している最中に処分が決定したのだった。あの時の義宣と同じような気持ちでいるのかもしれない。

 佐竹家では正純の由利入りに備えて準備を進めていたが、正純は処分を受ける覚えもなければ、新たな領地も不要、と由利を放棄した。将軍の秀忠はそのことに怒り、正純は義宣に身を預けられることに決まった。正純は幕府の家臣でも、大名でもなくなったということだ。

 なぜ幕府が佐竹家に正純の身を預けることにしたのかは分からないが、面倒なことになった。改易となったといっても、正純は幕府の重臣だったのだ。あまり粗略な扱いをしてはならない気もするし、将軍暗殺を企てたとまで噂されたのだから丁重に扱ってもならない気もする。難しい問題を押しつけられてしまった。

 政景に命じ、ひとまず領内の大沢という地に正純を置くことにした。義宣は正純に関わらないが、正純が大沢の村人たちと交流することは禁じなかった。ただ、佐竹家から正純に何か援助をするということはない。

 そのくらいにしておけばいいだろう、と思っていたが、幕府から正純と領民の交流も禁じられ、さらに正純をほかの地に移して屋敷からの外出も禁じること、逃亡を防ぐために屋敷の周りは板戸で覆い日の光も入らないようにすることを命じられた。幕府の正純に対する処分は異常だ。改易だけでも厳しい処分だというのに、これでは幽閉ではないか。義宣は正純を横手に移すことにした。横手ならば須田盛秀が何とかうまく対処するだろう。

 正純の処分を決めながら、現世の無常というものを義宣はひしひしと感じていた。それと同時に、幕府の恐ろしさも改めて感じている。義宣やほかの大名たちも恐れていた家康の右腕が、こんなにも簡単に零落してしまうのだ。

 幕府から佐竹家と本多家の交流は禁じられていたが、義宣は正純に会ってみたいと思った。幕府が禁じたのは本多家との大名同士としての交流だ。正純はもう大名ではない。それに、江戸から遠い秋田で義宣が正純に会ったことを知れるのは佐竹家中だけだ。家中の者が幕府に密告するはずがない。

 江戸から秋田へ帰る途中、密かに正純が幽閉されている屋敷に足を向けた。久しぶりに会った正純は、駿府城で見かけた時のような威厳もなく精細も欠いていた。怜悧な光を放っていた目は、ただ虚ろに義宣を映すだけだった。だが、どこか心の底に思いを秘めているようにも見える。それは、自分は処分を受けるようなことをしていない、という思いなのかもしれない。

「お久しぶりにございますな、上野殿」

「佐竹様にわざわざ足をお運びいただき、恐縮です」

 駿府にいた頃の横柄さはどこへ消えてしまったのか、と思うほど正純の態度はへりくだったものだった。

「横手での暮らしは、不自由していませんか?」

「佐竹家の皆さまには、大変よくしていただき、かたじけなく存じます」

 日の光もほぼ入らない狭い屋敷に幽閉され、不自由しかないだろうに、正純に頭を下げられると心が痛む。零落した正純が哀れだと思う気持ちと、かつて恐れていた男が自分に頭を下げていることのむなしさだ。

 正純に命じられて、義宣は祥を離縁した。その正純が、義宣の掌中にあり、こうして頭を下げている。横手の家臣たちには幽閉の身といえども正純を粗略に扱わぬよう命じているが、正純に礼を言われるとは思わなかった。

 他愛ない話をぽつりぽつりと続けるうちに、正純が小さく苦笑した。この男でも笑うことがあるのか、と思った。

「佐竹様、秋田に来られてもう二十年以上経ちますね」

「そうですね」

「かつて関ヶ原での戦の後、亡き権現様は最初、佐竹様には出羽一国をお与えになるおつもりでした。しかし、私が差し出口を挟み、秋田一国としていただいたのですよ。出羽一国では常陸一国と変わりがありませぬ故」

「然様でござったか」

「ええ。私は権現様のためを思い、そう申し上げたのですが、今になって後悔しております」

「後悔?」

「佐竹様にこのように親切にしていただくことになるのなら、出羽一国を差し上げればよかった、と」

「何と。上野殿でもそのようなご冗談をおっしゃるとは」

 顔を見合わせ、義宣と正純は笑った。笑うしかなかった。互いに無常というものを思わずにはいられなかったのだ。

 幕府が義宣に正純を預けた理由が分かった気がした。幕府としては、義宣が復讐を兼ねて正純に辛くあたると思っていたのだろう。正純は義宣を秋田に追いやった張本人であり、側室の離縁を命じた人間でもある。正純に対する処分の厳しさを思えば、それが将軍の望みだったのだと思う。

 もう少し話をして、義宣は正純のもとを去った。

 家康の右腕も、家康の死後はこのような扱いを受ける。義宣を苦しめた人間が、義宣に頭を下げている。無常だ、どうしようもなく。

 祥に会いたい。そう思った。

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