秋田の国主編(九)
申若丸を前にすると、政景はため息をつきたくなる。
義宣の異母弟ということで一門の北家の当主になったのだろうが、あまりの出来の悪さにため息しか出てこないのだ。当然、申若丸の目の前でため息をつくことはないが、凡庸な申若丸ならばため息をつかれても、自分が呆れられているということに気づかないかもしれない。
家康が死んでから、義宣は政景に申若丸の面倒を見させるようになった。申若丸には傅役も乳母もいるのだが、それとはまた別に政景にも申若丸のしつけを任せたのだ。義宣は何も言わなかったが、政景にまで申若丸のしつけを任せたのは、いずれ申若丸を自分の養子に迎えるためなのだろうと察しがついた。政景に任せれば、義宣の意をくんだしつけをすると思ったのだろう。
義宣には子がない。義宣の養子に適当なのは、申若丸か弟の岩城貞隆の嫡男くらいだ。だが、貞隆の嫡男は貞隆の世継ぎなのだから、義宣が勝手に養子にするわけにもいかない。ならば、申若丸が義宣の養子候補だろう。だから、義宣は申若丸を北家の当主にしたのだと思う。
政景は最初から世継ぎに接するつもりで申若丸に接することにした。義宣は鷹狩りを非常に好むため、申若丸にも鷹狩りを教え、義宣の好む能や茶、香なども教えた。将来の藩主にふさわしいだけの立ち居振る舞いを教え込んだつもりだったが、どうも申若丸は効果が現れない。
何を教えても生返事ばかりで、いつも眠そうな目をしている。特に能や猿楽の時が一番ひどい。眠そうに大あくびをしているならまだいい方で、ほとんどの場合居眠りをしてしまっているのだ。城内で猿楽の催しがあり、義宣も二番鼓を打ったのだが、申若丸はその時も居眠りをしていて、後から義宣にきつく叱られていた。
香もまったく嗅ぎわけることができない。義宣は秋田で正月を迎える時、必ず一門や重臣を集めて組香を行うので、香の嗅ぎ分けができなければ申若丸だけではなく、義宣まで恥をかく。鷹狩りはまだかろうじて興味を示しているが、それも雀を追いかける遊びの延長のようなものだと思っているからだろう。
申若丸はあまりに凡庸だった。凡庸であっても、教えられたことを何とか身につけようとする努力が見られればいいのだが、申若丸にはその姿勢すら伺えない。義宣はいずれ自分の養子にするために申若丸を何度もきつく叱っているが、叱られた後、申若丸は母親の六郷殿のもとへ逃げている。
十歳を過ぎれば、申若丸ももう少し落ち着きが出て、教えたことも身に着くようになるのだろうか。それとも、何のために自分が厳しくしつけられているのかが分かれば、真剣に取り組むようになるのだろうか。
適当な養子候補が申若丸しかいないのだから仕方がないが、正直なところ申若丸に関してはもうどうしようもなかった。娘のまつは申若丸と四歳しか年が違わないのだが、親の欲目か申若丸よりも利発で明るくどこに出しても恥ずかしくない娘に見える。政景が百人一首の書を見せると、興味を示して自分でも歌を詠もうとしたくらいだ。
申若丸に期待を抱けないのは政景だけではないらしく、義宣も申若丸のことを口にしては、しきりに首を傾げている。どうすればもっと賢い子になるのか、どうすれば教養を身につけさせることができるのか、義宣は時間がある時には考えているようだ。よく相談される。将来の自分の息子のことなのだから、義宣は真剣だ。
だが、義宣の母の宝寿院は義宣が申若丸を北家の当主にしたことが気に食わないらしい。女の勘というものか、宝寿院は申若丸が義宣の養子になるに違いないと睨んでいる。義宣が江戸屋敷にいる間、宝寿院は申若丸は駄目だとしつこく言ってくる。政景も宝寿院に申若丸は佐竹宗家にふさわしくない、と何度も言われている。確かに政景もそう思うが、申若丸以外に適当な子どもがいないのだから仕方がない。せっかく血の繋がった異母弟がいるのに、他家から養子を迎えるのもおかしい。
政景が申若丸の教育に励んでいる間、義宣は何度も江戸と秋田の往復を繰り返していた。その間、家老の向宣政が死に、譜代家臣の長老のような存在だった和田昭為も死んだ。大坂での戦で討死した政光の娘は、一門の南家の嫡男に嫁いだ。今は兄の憲忠がひとりで家老を務めており、政景は藩の財政を取り仕切っている。義宣は知命を迎えた。政景は年が明ければ不惑を迎える。
佐竹家は変わった。義宣の周りにいる人間が変わっていく。義宣よりも先にこの世を去る者が増えてきて、新たな人材が義宣のもとに集い始めている。政光や憲忠の息子たちのような、次の世代の若者たちだ。次の世代の若者たちを見ていると、自分も年を取ったのだと感じる。義宣も知命を迎えて自分の年齢を実感し、申若丸の教育に熱心になったのかもしれない。最近、義宣は寸白を患っていて将軍の許しを得て湯治に行くこともある。政景も咳が止まらないことがあり、体の衰えを感じている。
義宣は年明けに湯治に行くことになっているが、政景もともに行くことができればよかった。政景は江戸屋敷で留守居だ。
佐竹屋敷には年が明ければ将軍の訪問がある。徳川秀忠が佐竹屋敷にやって来るため、家中は忙しい。申若丸は国許に残し、政景は義宣とともに江戸へ上っていた。将軍御成りの相談のためか、義宣は江戸城に出仕していた。
日が暮れて屋敷に戻って来た義宣は、明らかに不機嫌だった。年を重ねて、さすがに昔のように分かりやすく不機嫌さを示すことはなくなったが、他人には分からずとも政景には義宣の機嫌のよしあしはすぐに分かる。
「殿、お城で何かありましたか? 眉間に皺が寄っていますよ」
「久々に腹の立つことがあったぞ」
「久々も何も、殿は国許でしょっちゅう申若様にお腹立ちではありませんか」
「そういうことではない」
義宣の皺が深くなった。今の顔を見れば、誰でも義宣が不機嫌だと分かるだろう。
「今日は茶会があった。俺と上杉殿と伊達政宗が相国様に招かれてな」
「はあ、茶会ですか」
「そこで相国様が俺たちに問いかけられた。生涯の戦の中で最も誇れる勝ち戦はどのようなものか、とな」
それだけならば義宣は不機嫌にならないだろう。義宣にも他人に誇れる勝ち戦はあるし、将軍に武勇を自慢できるのだから悪い気はしないはずだ。どうやら秀忠は自分にあまり戦の経験がないためか、戦国の世を生き抜いてきた義宣や景勝のような大名たちに戦の話を聞くことが好きらしい。
「俺は迷わずに先の大坂での戦だと答えた。相国様に感状を賜り、権現様にお褒めのお言葉を賜った。あの場ではそうとしか答えられなかった。だが、政宗は何と答えたと思う?」
「まさか」
義宣の怒りの原因が政宗の発言にあるのだとしたら、政宗が何と答えたのかは想像がつく。
「人取橋や摺上原での戦だと、伊達様はおっしゃったのですか?」
「郡山合戦だとさ。中務が政宗を捕らえた戦だ。若輩の政宗が大軍を相手に果敢に戦い、岩城と石川の調停で兵を退いた。だが、兵の数を比べれば伊達の快勝だった、と相国様の御前で答えたのだ、あの男は。その時、ちらりと俺を見て笑ったのだぞ。そうだ、あの戦の大軍とは俺のことだ。我が佐竹と弟の蘆名の軍だ」
顔を真っ赤にして義宣は激怒している。誇り高く見栄張りの義宣にしてみれば、将軍の前で政宗にそんな自慢をされたのでは堪らなかっただろう。握り締めた拳が細かく震えている。政景が相手だから義宣はこうして当たり散らしているが、ほかの家臣の前では涼しい顔をして、政宗のことを鼻で笑うくらいでやめておくだろう。
「あの戦、今は亡き中務が母の頼みを聞いて、政宗を逃がしたのだ。良将は女の言を用いず、とはよく言ったものだ。何も死んだ中務を悪く言うつもりはないが、今日ほどこの言葉の意味を痛感したことはない」
しばらく政宗の愚痴をこぼすと落ち着いたのか、深いため息をついて義宣は苦笑した。
「すまんな、主馬。みっともないところを見せた」
「今さらですよ」
「確かにそうだ」
義宣が笑ったので政景も笑った。本当に今さらだ。義宣のみっともない姿は何度も見ているし、政景にだけ愚痴をこぼして感情的になる義宣のことが、政景は好きだった。今も昔と同じように、義宣は政景にとって特別な存在だ。義宣もそう思ってくれているのだと思う。
「俺はお前に当たり散らしたが、何も母に腹を立てているのではない。相国様の前で俺を馬鹿にするようなことを口にした政宗が許せないだけだ。母も中務も、おそらく悪気はなかったのだと今になって思えるようになった」
「宝寿院様のことをお恨みしているのではなかったのですか?」
「どうだろうな。分からん。今でも政宗を逃がした母のことを許せないとは思う。だが、母のすべてを許せないわけではないのだ。俺もあの人も年を取った。そうして初めて、母はこんなにも小さな女だっただろうか、と思えるようになったよ。そうだな、今では、仕方のない人だ、と思うくらいかな」
「中務殿のことは?」
「中務は、家臣として母の頼みを断れなかったのだと思う。あいつは怜悧なくせに、どこか頭が固くて頑固なところがあったからな。なぜかあの時は母の頼みを断れなかったのだろう。母も同じだ。あの人は実家が大事で、実家が滅亡してしまうことが恐ろしかっただけだったのだ。俺が佐竹家を大事に思うのと同じことだろう」
「まあ、そういうものかもしれませんね」
「たとえ違っても、俺はそう思うことにした。そう思えるようになった。それだけのことだ」
そう思えるようになったのは、今は昌寿院と名乗っている岩瀬御台のおかげだろう。岩瀬御台にこの話を聞かせたい、と思った。岩瀬御台は喜ぶだろう。政景も嬉しいのだ。義宣は変わった。丸くなった。
義宣、とちょうど間が悪く宝寿院の声がした。義宣が返事をすると宝寿院は不機嫌そうな顔で部屋に入って来た。その顔はつい先ほどまでの義宣の顔によく似ている。
「義宣、お前、まさか申若丸を養子にするつもりではないだろうね? あんな卑しい女の子を」
「母上、そのことは何度も申し上げておりますが、まだ分かりません。私も考えているのです」
「そうだ、考え直しなさい。お前はまだ四十九歳だろう。子ができぬ体ではないのだから、もっと若い女をそばに置いて、はやく世継ぎを作りなさい。諦めるにはまだ早い」
「しかし、私が秋田に置いている女は、それこそ母上のおっしゃる卑しい女ですよ」
「いいのだよ、お前の子ならどんな女の子でも。その子にはお前の血が流れている。佐竹と伊達の血がね」
「そうですね」
早く孫の顔を見せてくれ、申若丸は養子にしないでくれ、と何度も念を押して宝寿院は去って行った。義宣は宝寿院を小さな女、と言ったがいまだに活力があり余っていて、とても小さな女とは思えない。
宝寿院が去った後、義宣は肩をすくめて苦笑した。
「母上には困ったものだな。しかし、あの人が俺の母なのだ。可愛いものだと思わないか?」
何となく、義宣の言いたいことが分かったような気がして、政景は頷いた。宝寿院は義宣のことが可愛くなくて政宗を助けたのではなく、本当に実家が大事だということしか考えていなかったのだろう。義宣と顔を見合わせ、ひとしきり笑い合った。
年が明け将軍の訪問を無事に終え、義宣は湯治に行って疲れを癒して戻って来た。幕府の命で秋田の城は本城の窪田城のほかに横手城と大館城を残して破却が決まり、義宣と政景が秋田に戻った時には三城を残して城は一切なくなっていた。
秋田に戻ってしばらくしてから、江戸から飛脚がついた。義宣の弟の岩城貞隆が死んだ。急病だったようだ。まだ三十八歳だった。大名に返り咲いて、まだ数年しか経っていなかったのだから、さぞ無念だったことだろう。
貞隆の跡はまだ十二歳の嫡男能化丸が継いだ。義宣の養子候補がひとり減った。義宣は年が明けて申若丸が十歳になったら、正式に申若丸を養子に迎えると家中に知らせた。




