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道程  作者: 実川
八 秋田の国主編
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秋田の国主編(八)

 幕府が大坂の豊臣家を滅ぼしてから、幕府に逆らう家もなく、天下は泰平の世を迎えていた。義宣も久々に国許の秋田に長く滞在して、領内の視察を行ったり、女房衆の京五人衆のもとに足を運んだりしていた。

 祥を離縁してから京三人衆を迎え、更に新たに五人の京女を城に置くようになった。京五人衆と呼んでいるが、その中の誰も身ごもってはいない。祥を離縁してからもう七年になる。若い女を合わせて八人もそばに置いていたというのに、今まで誰も身ごもっていないのだから、祥が子を産めなかったのではなく、義宣が子を作れなかったのだと改めて感じていた。義宣はもう子を作ることができないだろう。四十七歳になったのだ。

 子ができないのならば、養子を迎えなければならない。父の遺児であり、義宣の弟でもある申若丸を養子にするつもりだった。ほかに適当な親類はいない。弟の貞隆にも男子はいるが、それは岩城家の跡取りだ。義宣の勝手で佐竹家の養子にすることはできない。

 貞隆は大坂での戦で本多正信の軍に属して手柄を立て、幕府から信濃川中島に一万石を安堵されている。義宣には頼らず、自力で大名に返り咲くと息巻いていた貞隆だが、その言葉通り自力で手柄を立て、再び大名になったのだ。義宣に与えられていた一万石を返上すると言いに来た時、貞隆は泣いていた。大名に返り咲いたことが嬉しかったのだろう。そんな貞隆に息子を宗家に差し出せとは言えなかった。

 申若丸をいずれ義宣の養嗣子にするために、まずは申若丸を北家の当主にしていた。北家の当主だった北義廉(よしかど)は一昨年の大坂での最初の戦の際、上方に向かう途中に病死している。義廉には子がなかったため、申若丸を当主にしたのだ。北家を絶えさせないためでもあったが、後々宗家の当主にするために、まずは一門の当主を経験させておこうと思った。

 まだ五歳なのだから仕方がないのかもしれないが、申若丸はいつもぼんやりとしていて頼りない。弟たちも幼いころにこんなにぼんやりとしていただろうか。子どもとはこのようなものなのだろうか。

 申若丸以外の一門衆が年始の挨拶に登城した後、義宣は自ら申若丸のいる北家の屋敷へ向かった。幼い申若丸はまだ年始の挨拶には登城させていないのだ。

「お屋形様、新年のお祝いを申し上げます」

「うむ、めでたいな」

 義宣を出迎えた六郷殿は丁寧に頭を下げて新年の祝辞を述べた。義重が死んでから、六郷殿は髪を下ろして鱗勝院(りんしょういん)と名乗っている。江戸にいる母も髪を下ろし、今では宝寿院(ほうじゅいん)となっている。母親の六郷殿は頭を下げたのだが、隣に座っている申若丸はぼんやりとどこかを見つめている。

「申若、お屋形様にご挨拶なさい」

「兄上さま、新年おめでとうございます」

「うん、めでたい。だが申若、お前を北家の当主とした時に、俺のことは『兄上』ではなく『お屋形様』と呼ぶように、と言い聞かせたはずだが」

「あっ、そうでした」

「今後、忘れぬようにな」

 こくりと申若丸は頷いたが、どこまで分かっているのか、分かったものではない。義宣に注意されても、申若丸は反省した様子もなく、相変わらずどこか遠くをぼんやりと見つめている。

「何か見えているのか?」

「はい?」

「いや、お前が先ほどからどこか見つめているようだったから聞いたのだが」

「すずめが庭に来ないかと思って」

「は、雀?」

「お屋形様、申若は雀を追いかけるのが好きなのですよ。ねえ、申若」

「はい、母上」

 雀を追いかけるのが好き。確かに義宣も子どもの頃は部屋や寺で手習いをするよりも、外で遊ぶことの方が好きだったような気がする。だが、雀を追いかけて喜んでいた覚えはない。

「雀を追いかけるのもいいが、たまには能を見物したり、茶を飲んだりしてみろ。そのようなことも武家には必要だ。手習いも励むようにな」

「能はつまらないのできらいです」

「しかしなあ、申若」

「お屋形様、申若はまだ五つにございます。もう少し、母親のもとでのんびりと過ごさせたいのですが」

「六郷殿がそう思われるのも当然かもしれないが、申若は一門の北家の当主だ。あまり甘やかされては困る」

 いずれは宗家の跡取りだ。そう考えていることはまだ言えなかったが、甘やかされては困るというのは義宣の本音だった。いつまでも雀を追いかけるぼんやりとした子のままでは困る。

「そうですか。かしこまりました」

 その後、申若丸と少し話をしてから義宣は城に戻った。申若丸には乳母も傅役もつけているのだが、あの母親がそばにいる限り成長は望めないかもしれない。六郷殿は申若丸を甘やかしてしまうに違いない。義重は六郷殿の何がよくて側室にしたのだろう。母とはまったく違う女だ。申若丸のことを思うとため息しか出てこなかった。

 正月も明けた頃、江戸に上っていた家臣から、本多正信から早急に駿府へ上るようにとの意向を聞いたと報告があった。家康が発病したのだ。鯛のごま油あげで腹痛を起こしたとも聞いているが、大名に駿府へ来るようにと命令が下されるのだから、病は重いのかもしれない。

 正信からの意向を聞き、義宣は政景を連れて急いで駿府へ向かった。駿府に到着してからは、すぐに将軍秀忠のもとへ挨拶に出向き、その足で家康の見舞いに向かったが、家康の病状がよくないため追い返された。翌日駿府城へ行っても、同じく本多正純に追い返された。だが、家康は義宣と面会できないことを申し訳なく思っているらしく、明日は早々に出仕するように、と言伝があった。

 言伝通り早くに出仕すると、家康は明るい表情で義宣を出迎えた。そばには正純が控えている。

「遠国より急ぎ駆けつけてくれたというのに、なかなか会えずすまなかった」

「いえ、大御所様のお元気なお姿を拝し、義宣恐悦至極に存じます」

「そのような挨拶はよい。もそっと近う寄れ」

「はっ」

 家康の近くへ進むと、家康はにこにこと人のよさそうな笑みで義宣を見つめた。家康は何を考えているのだろう。この人のよさそうな顔に何人騙されてきたことか。だが、今の家康の顔には裏がないように思える。体も一回り小さくなったようだ。死期が迫っているのかもしれない。

「去々年大坂堤では全力を尽くしてくれた。その苦労に今まで礼を伝えていなかったこと、病中も忘れておらなんだぞ。将軍にも詳しく申し伝えておいた故、将軍が佐竹家を疎略にするはずはなかろう。また去年の夏も遠国より急ぎ参ったこと、忘れておらぬ」

「こちらこそ感状を賜り、身に余る光栄にございました」

「いやいや、秋田侍従が可愛がっておった側近が討死したと聞いている。儂が正純を亡くしたら、と思うと秋田侍従の落胆が目に浮かぶようでな。一度、直接礼を伝えたかったのじゃ」

「ありがたきお言葉、義宣生涯忘れませぬ」

 政光の討死は無駄ではなかった。政光の死が報われたようだ。秋田に移封され、祥を離縁するように迫られ、義宣はすっかり幕府に嫌われていたものと思っていたが、政光の死によって幕府の佐竹家に対する印象は変わったのかもしれない。

「秋田侍従の噂は駿府中に触れまわるようにと家臣に伝えておる。ほかの大名にも知らせたかったのでな」

「ありがとう存じます」

 平伏するしかなかった。家康は義宣のことを気にかけてくれている。病になり、いきなり細やかな気遣いがされるようになったのは、家康が義宣を秋田に移したことを申し訳なく思っているからではないのか。義宣の勘違いかもしれないが、家康の言葉からはそんなあたたかみを感じたのだ。

 本丸を退出してから、義宣は天海僧正に依頼したり、将軍秀忠のもとに出仕したり忙しく過ごしていた。家康は本当にほかの大名に義宣の噂を伝えたらしく、義宣のもとには客や使者が多く訪れていた。そんな日がしばらく続いてから、家康から江戸へ下ってゆっくり休息するようにと言われたため、政景を残して江戸へ向かうことにした。ここまで気遣いされると、義宣の感じた家康のあたたかみは勘違いではなかったのだと思えてきた。義宣はここ最近、寸白気味で温泉に湯治にも行っている。家康はそのことを覚えていたのかもしれない。

 神田の江戸屋敷に戻ると琳が義宣を出迎えた。琳に異母弟の申若丸を養子に迎えるつもりだということを伝えると、琳は自分に子ができないことを義宣に詫びた。だが、琳のせいではないのだ。義宣に種がなかった。徳寿丸が生まれたのは神仏の気まぐれのようなものだったのだと思う。

 四月になると、駿府に残した政景から家康が遺言を残したという知らせが届いた。遺言の内容は分からないが、正純には特にかたじけない御諚があったらしい。さらに義宣にかたみとして牧谿の水墨画が贈られるとのことだった。

 病床で直接大坂の戦の礼を伝えられ、江戸に帰って休息するよう気遣われ、さらにかたみも贈られている。家康の心遣いに義宣は胸のあつくなる思いがした。

 家康のかたみが贈られてから十日以上経ち、駿府の政景から家康薨去の知らせが届いた。家康が死んだ。義宣を秋田に移し、幕府を築き上げた人物が死んだ。家康も死ぬのか。そうとしか思えなかった。生きているのだから死ぬ時が来るのは当然だが、あの家康も死ぬのか、と思った。秀吉が死んだ時はこんなことを思わなかった。それだけ家康という人間の存在は大きかったのだろう。

 家康の遺体は遺言に従って久能城に移された。棺を久能城に運ぶ際、正純は人目もはばからず棺にすがって号泣したという噂も聞いたが、あの冷徹な正純がそんなことをするだろうか、と思っただけだった。

 家康の死によって大名たちは精進に入っていたが、正信から越後の鯖が届けられ、義宣はそれをもって精進明けとし、帰国の許しも出たため秋田に戻った。

 秋田に戻ってすぐに、正信が病死したという知らせが届いた。父親の正信ではなく、正純が死んだのではないか、と思ったのだが、正信が病で死んだのだそうだ。正純が家康の死に号泣したと聞いていたから、正純が自害したと思ったのだ。正純は家康の遺言で駿府から江戸に移り、将軍の側近として将軍を補佐するらしい。

 家康が死に、家康の側近中の側近だった正純は殉死するのかと思った。ならば、義宣が死んだら政景は自害するのではないだろうか、とも思えてきた。これは思い上がりではないはずだ。政景は義宣が死ねば殉死するに違いない。政景を死なせてはならない。申若丸を支えてもらいたい。義宣も政景には遺言を残さなければなるまい。もうそんなことを考えなければならない歳になったのだ。

 年を取った。早く申若丸を立派な後継ぎに育てなければならない。申若丸が育つ前に義宣が死ねば、せっかく様々なものの犠牲の上に守り続けてきた佐竹家を潰してしまう。家康の死に、義宣も焦りを感じ始めていた。

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