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道程  作者: 実川
八 秋田の国主編
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秋田の国主編(七)

 大坂での戦は和議という形で収束し、義宣は秋田に帰国した。家老である政光が討死したため、新たに憲忠を家老に任命した。憲忠は大坂での戦で幕府から感状を賜っている。過去には譜代の子弟を喧嘩の末に殺してしまったこともあったが、幕府にも手柄を認められたのだから憲忠の家老就任に文句を言う者はいなかった。政光も生前は散々に文句を言われていたが、今では政光を貶す者はいない。

 渋江家の後継はまだ十三歳の政光の嫡男である弥五郎だったが、義宣は自ら烏帽子親となり宣光(のぶみつ)という名乗りを与え元服させ、渋江家の当主とした。今は内膳と称させている。いずれは政光のように家老にするつもりだった。政光の息子ならば、家老に相応しい能力を持っているはずだ。

 徳川と豊臣の戦は大坂城の外堀を埋めるということで和議が成立していたが、幕府はその約束を反故にし、大坂城の堀をすべて埋めてしまった。豊臣秀吉が築城し難攻不落を誇った大坂城だが、裸城同然にされてしまってはどうしようもないだろう。再び戦が起こるのもそう遠くないのかもしれない。

 義宣の思った通り、大坂方と徳川家の間で再び戦が起こった。帰国して間もなかったが、戦が起これば佐竹家も出陣しないわけにはいかない。急の出陣で準備もままならないまま、再び兵を率いて大坂へ向かった。

 義宣が到着し、平岡に陣を敷いた翌日、その地で豊臣家の終焉を見た。燃え盛る紅蓮の炎に包まれて、栄華を誇った大坂城は落城した。さらにその翌日、淀の方、豊臣秀頼は自害し、豊臣家は滅亡した。その日、義宣は落城後の大坂に入った。大坂城は、焼け落ちて見るも無残な姿となっている。

 今から十五年前に関ヶ原での戦があった。その二年前までは秀吉は生きていた。秀吉の死後、十数年で豊臣家は滅亡したのか。短いような気もするし、長かったような気もする。今となっては、豊臣家が滅亡したところで大坂も江戸も何も変わらない。栄光はいつまでも続くものではなかったのだ。何だかむなしい気もする。

 秀吉の命で、義宣は八重の離縁を迫られていた。豊臣家への忠誠を示すためにも、実家に送り返すべきだと分かっていたが、どうしても離縁することができなかった。八重は自害した。そんなことを思い出した。

 義重が義宣に残した文によれば、吉野は京で生きている。幕府の命で大坂へ来ているのだが、一日くらい京へ行っても構わないのではないだろうか。戦は終わっている。佐竹家はただ陣を敷いただけだ。到着した翌日に大坂城が落城したのだから、何もしていない。

 わずかな供を連れて、義宣は京に向かった。京の燈明寺に吉野はいる。義重が妾を置いているのではないか、と噂があった寺だが、妾ではなく吉野と会っていたのだ。

 吉野に会って、何を聞こうとしているのだろう。吉野に会って何かが変わるのだろうか。聞かなければよかったことを聞くことになるかもしれないのだ。それでも、吉野に会いたかった。吉野が生かされているということには何か意味があるのだ。

「この寺に吉野という女がいると聞いた。会わせてはもらえないか?」

 燈明寺に到着し、住職に吉野のことを訪ねたが、住職は首をひねっていた。もしかしたら吉野は出家して尼となっていて、今は吉野とは名乗っていないのかもしれない。もしくは、違う名を名乗っているのか。

「吉野という方はこの寺にはおりませぬが、同じ名前のおなごは毎月当寺に参りますよ。使いをやってお呼びしましょう。お武家様がお会いになるようなおなごではないと思うのですが」

「頼む」

 寺にいる、と書かれていたため寺に住んでいるのかと思ったが、そうではなかったようだ。おそらく住職が言う女は義宣の思う吉野だろう。吉野がやって来るのを待つ間、住職に人払いを頼んで部屋を用意してもらった。吉野との話をほかの者には聞かれたくない。

「お武家様、連れて参りました」

「手間をかけた。部屋に入れてくれ」

「失礼いたします」

 襖が開かれ、平伏している女の姿が見えた。姿はどう見ても町人の女だ。だが、素性は明かしていないが武家の人間に呼ばれたと知っても物怖じしない様子を見ると、ただの町人とは思えない。顔を上げるように言うと、女は顔を上げて義宣を見た。最後に吉野と会ったのは二十五年近く前だ。全体の印象は変わっているが、確かに吉野だった。

「久しぶりだな、吉野」

「お久しぶりにございます。再びお殿様にお会いすることになるとは、思っておりませんでした」

 声も吉野の声だ。そんな気がする。

「俺もだ。死んだ父が教えてくれた」

「そうですか。北城様はお亡くなりになったのですか」

「ああ」

 こうして話をしていると不思議な気持ちになる。死んだと思っていた人間が生きていて、目の前にいるのだ。まるで昨日も会ったように、何気ない話をしている。妙な感じがする。

 聞きたいことはたくさんあるはずなのだが、何をどう聞けばいいのか分からず、義宣は黙り込んでしまった。吉野も黙ったまま義宣の前に座っている。

「吉野」

「はい」

「お前は、なぜ生きているんだ? 俺は、父から聞くまでお前は死んだものと思っていた。八重も、そう思っていた」

 考えた末に出てきた問いがこれか。八重のことまで言う必要はなかったのに、なぜか口から出ていた。

「それは、北城様でなければ分かりません。北城様が私を生かされました。恐らく、私がお殿様の子を産んだと思われたのでしょう。あの時、私は赤子の亡骸を抱いて出奔しようとしていましたから」

「そうか。父はそのこの父親が俺だと思ったわけか。だが、実のところその子の父親は誰だったんだ? 俺はお前が不義密通を働いて出奔しようとした、と聞いた時に信じられない思いがしたものだったが」

 吉野は八重に心から忠誠を近い、八重に尽くしているように見えていた。とても八重を裏切るような真似をするとは思えなかった。

 ふ、と吉野が笑った。苦笑のように見えたが、どこか義宣を嘲笑しているようにも見える少し冷たい笑みだった。昔の吉野ならば、こんな笑みは浮かべなかっただろう。

「お殿様にございますよ」

「何だと?」

「私の抱いていた赤子の父親はお殿様だと申し上げたのです」

「確かに、俺は城の女と関係を持っていたことがあった。だが、お前とは」

 吉野とは何もなかった。いくら何でも八重の侍女に手を出すわけにはいかなかった。それに、義宣は吉野のことを嫌いではなかったのだ。吉野は義宣と八重の仲を何とか改善させようとしていた。義宣にも好意的だった。そんな吉野には手を出す気になれなかった。だから、吉野の産んだ子が義宣の子であるはずがない。

「ええ、お殿様と私の間には何もございませんでした。お忘れですか? あの頃、今は亡き姫様が原因不明の病と称して一年近く臥せっておいでだったことを」

「まさか」

「お分かりのようですね。あの赤子は、お殿様と姫様の子です。姫様でいらっしゃいました。お生まれになってすぐに亡くなったのです」

 義宣と八重の間に子ができていた。信じられない。義重は義宣と吉野の間に子ができて、吉野が死んだ子を連れて出奔したと思っていたようだが、その子は八重の産んだ子だったのだ。そう言われれば、八重が病で臥せっていた期間も、吉野が出奔しようとした時期にも納得がいく。

「八重が俺の子を産んでいた? だが、八重はそんなことを一言も言っていなかったぞ」

「私が何もおっしゃらないように、と姫様に申し上げていたのです。あの頃、那須家は改易されて、姫様は謹慎を命じられておいででした。そんな那須家の血を引く子を、お殿様は歓迎なさいましたか? お家にとっては邪魔な存在でしたでしょう。ただでさえ危うかった姫様のお立場をお守りするため、私の子ということにして、私は出奔しようとしたのです」

「そうだったのか」

 八重が義宣の子を産んでいた。あんなにも義宣を嫌い、義宣を拒み続けていた八重が。八重はどのような気持ちだったのだろうか。義宣の子など産みたくないと思っただろうか。八重ならば思ったかもしれない。そう思われるほど嫌われていたという自覚はある。

 吉野はどのような思いで今まで生きてきたのか。義宣のことを恨んでいてもおかしくない。吉野の最愛の主を死に追いやったのは義宣なのだ。義宣が八重を殺した。八重の産んだ子も義宣が殺したようなものだろう。

 祥に出会って、愛し合うということを知った今でも、自分が八重を殺したのだと思っている。どうしても八重のことは忘れられなかった。心の奥底にずっと八重の死がある。

「お前は信じないかもしれないが、俺は八重に惚れていた。未だに八重のことは忘れられずにいる」

「存じておりました。お殿様は姫様のことがお好きだと。姫様はお殿様のことをずっとお嫌い、というよりもお好きになろうともなさらなかったのですね。私から見てお二人は、互いに傷つけあっているようでした」

「傷つけあっている、か」

「はい。姫様を求めるお殿様を拒んで傷つける姫様。それでも求め続けるあまりに姫様を傷つけるお殿様。お二人とも、お若かった。お互いの気持ちに気づくことができなかった」

「お前はそんな俺を恨んでいるだろう?」

 考えるように黙り込んだ後、吉野は小さく首をふった。その顔には先ほどまでの冷たい笑みではなく、悲しむような寂しい笑みが浮かんでいた。

「姫様がご自害なさったと聞いた直後は、お殿様をお恨み申し上げました。しかし、今となってはただ悲しいと思うだけです。お二人ともあまりに若く、幼かった。それは私も同じ。私こそ、お殿様のお気持ちも、姫様のお気持ちもお察ししていたのに何もできない愚かな侍女でした。だから、どうすることもできなかっただろう、と今は思うのです。何度考えても、やはり姫様はご自害なさっただろうと思います」

「俺もだ。何度考えても、どんな経緯をたどっても、俺の妻である限り八重は自害しただろうと思う」

 吉野はぽつりぽつりと佐竹家を出てから今までどのように過ごしていたのか語り出した。義重に見逃されてから、死んだ赤子は烏山に葬り、京に向かったのだそうだ。なぜ京に向かったのかは自分でも分からないらしい。どうすればいいのか分からず、さまよっているうちに燈明寺の住職に保護された。そこで尼になろうとしたが、住職に思いとどまるよう説得され、宿で働くようになったらしい。ただ、住職に頼み込んで寺の隅に八重と赤子を弔うための墓を建て、月命日には必ず手を会わせているという。

「お寺の使いの方からお武家様が私をお呼びだと聞いた時、北城様かお殿様だろうと思いました。けれど、本当にお殿様がいらっしゃっているとは思わなかったので、驚きました」

「俺もお前が生きていると知って驚いた。父がわざわざお前のことを俺に教えたのだ。何か俺の知らないことを知っているのだろう、と思った。だから会いに来た」

「私はお殿様のお望みの答えを持っておりましたか?」

「俺が思いもしなかったことを教えられた。八重を傷つけ、死に追いやり、娘の存在もしらずに今まで生きてきた。八重のことを忘れられないと言いながら、俺には愛する女ができた。八重には確かに惚れていた。恋をしていた。だが、愛した女はあの女だけだ。俺は身勝手だな」

「その方は、今の御台様ですか?」

「いや、側室だった女だ。やむを得ない事情があってもう離縁している」

「そうですか。けれど、それが人というものではないでしょうか」

「そうだろうか?」

「私も、姫様のことが忘れられませんでした。ですから、未だに姫様からいただいた『吉野』という名を名乗っているのです。姫様と亡き姫君の菩提を弔って生きるのだと思っていました。けれど、宿で働き始めて、私のことを妻にしたいという方が現れ、今はその方の妻になっております。もうすぐ孫も生まれるのですよ」

 八重の死によって義宣も吉野も傷ついた。だが、二人とも自分の道を歩いている。確かに、人とはそういうものなのかもしれない。

「私は、お殿様に姫様がお殿様のお子をお産みになっていたと知っていただけてよかった。お殿様のことを今ではお恨みしておりませんが、姫様の身に起こった真相を知らずにいらっしゃるなんてずるい、とは思っていたのです」

「俺も八重のことを聞けてよかった。ありがとう」

「いいえ」

 吉野に案内され、寺の隅にあるという八重と赤子を弔う墓の前に立った。言われなければ墓と分からないような石だ。だが、吉野が思いを込めて手を合わせてきたため、墓に見える。義宣も膝をつき、手を合わせた。

 八重。惚れていた。今でも八重のことが忘れられない。好きだった。どうしようもなく。

「吉野」

「はい」

「秋田に戻ったら、八重を手厚く弔うことにする。俺が死んだ後も法要を行わせる。それが俺にできる唯一のことだろう。八重は俺を許しはしないだろうが。実は、まともに八重に手を合わせたのは今日が初めてだ。俺はずっと、八重の死を認められなかったのだろうな」

 一度、一緒に八重の墓参りに行ってほしい、と祥に言ったことがある。だが、結局祥とともに八重に手を合わせることはなかった。

「それでも、お殿様のお心は救われると思います。法要というのは、残された者が心を慰めるために行うという意味もあると思うので」

「そうかもしれない。吉野、可愛い孫が生まれるといいな」

「あら、孫はどんな子でも可愛いに違いないですよ」

 ようやく吉野が笑った。笑った顔は二十五年前と変わらなかった。

 大坂での戦が終わり、幕府は天下の平定が完了したと宣言した。元和偃武。泰平の世の始まりだ。八重の身に起こったことの真相を知り、吉野と話をして八重に手を合わせた。義宣の八重に対する罪が許されるわけではない。それでも、義宣の乱世もようやく終焉を迎えたような気がした。

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