表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
道程  作者: 実川
八 秋田の国主編
115/126

秋田の国主編(四)

 大坂からの密書を読み、義宣は苦笑していた。今更豊臣家が義宣に助けを求めるなど、虫がよすぎると思っているのだろう。政景もそう思う。大坂には丁重な断りの書状を送り、徳川家に対する忠誠の証として、届けられた密書は本多正純に送られた。これで佐竹家は大坂に味方する気はない、と誓ったようなものだ。

 大坂からの書状を江戸に送ってからしばらくして、義宣は幕府から江戸へ上るようにと指示を受けた。大坂との戦のために江戸へ上れ、と言っているわけではなかったが、戦の準備のためだろうということは政景にも分かった。だが、正式に軍令が下ったわけではないため、通常通りの備えで江戸へ上ることになっている。

 今回の参勤には、家老の政光が供を願い出ていた。参勤の際にはいつも政光が供をしているが、自ら願い出るのは珍しいことだった。義宣は政光を重用しているため、すぐに政光を参勤の供に加えた。

 その日の晩、政景は政光の屋敷に招かれた。政光は兄の憲忠と年が近く、憲忠とは親しい間柄で、そのおかげで政景も政光とは親しくしているが、政景だけが屋敷に招かれるのは珍しいことだった。三の丸の屋敷を訪ねると、政光は書院で政景を待っていた。

「珍しいですね。いつもは兄と一緒に私も呼ばれるのに、今日は私一人ですか?」

「たまには、主馬と二人で酒を飲んでもいいだろう?」

「私は構いませんけど、兄は拗ねるかもしれませんよ」

 政景がそう言うと、政光は小さく笑った。いい年をした男が拗ねる様子を想像しておかしかったのだろう、と思ったが、政光は何かを思い出すようにしみじみとした表情を浮かべている。

「何がおかしいのですか?」

「昔のことを思い出していた。最近、よく昔のことを思い出す。常陸時代のことや、秋田に来たばかりの頃のことなどな」

「そうですね、もうこの地にやって来てから十年以上が経ちましたからね。色々なことがありました」

「子どもだと思っていた主馬が妻を迎え、今では娘までいるのだからな」

「内膳殿こそ、女には興味がないような高潔そうな顔をして、妻と側室に合わせて八人も子を産ませているのですから、人は分からないものです。冗談はさておき、内膳殿は本当に日々お忙しく過ごされてきましたから、昔のことを振り返る余裕などなかったでしょう?」

「ようやく、少し余裕が出てきたところだ。こちらに来てから、昼は政務、夜は民たちの労を少しでも減らそうと考えてきたつもりだからな。夜も、心安く眠れることはなかったよ」

 思い返せば、秋田に来てから十三年が経つ。この間、政光にとっては休む間もない多忙な日々だっただろう。家老になってからは秋田と江戸の往復をしながら、秋田の政はすべて政光ともうひとりの家老の向宣政にかかっていたようなものだ。それに加えて、政光は秋田の検地、新田開発も任されている。目の回るような忙しさだったに違いない。

 義宣が政光を家老にしようとした際に、政光の暗殺騒動が起こったこともあった。つい最近のような気もするし、遠い昔のことのようにも思える。

「主馬、私は幼い頃から検地で身を立てようと思っていた。そして、何の縁があったのか分からないが、殿へお仕えすることになり、検地で身を立てることができた。恩禄もこの身に余るほど賜り、ありがたきことだ」

 幼少の頃に織田信長の検地帳を見たことがあり、それ以来政光が検地で身を立てようと思っていたことは、かつて政景も聞いたことがある。政光の検地に対する知識と熱意は他人の及ぶものではなく、今ではその願いが叶い政光が考えだした独自の検地法を義宣は採用している。

 だが、政光はなぜ突然こんな昔語りをし始めたのだろう。今夜の政光の様子はどこかおかしい気がする。

「いいか、主馬。国の宝は山だ。山の衰えは国の衰えだ。この国には、山が多い。他国の倍以上の山や川がある。それを利用しない手はない。それから、民も国の宝だ。よく恵みを施してやれ。民が盛んならば国も盛んだが、民が衰える時は国も衰えるぞ。山と民の衰えが国の衰え。そのことを知る者は存外少ない」

「内膳殿、一体どうなさったのですか? いきなり、そんなことを。まるで、明日にでも死んでしまうようですよ」

 政景は冗談で言ったつもりだった。何を言い出すのだ、と苦笑をした。政光も死ぬなど冗談ではない、と笑ってくれると思っていた。だが、政光の表情はまるで湖面のように穏やかで真剣だった。

「内膳殿?」

「江戸と大坂が、近々戦を起こすだろう、という話はお前も知っているだろう?」

「はい。我が佐竹家に、大坂方から味方するように、との書状が届いたと伺っております。此度の参勤も、戦のためだと」

「もうすぐ戦が始まる。殿が江戸へ到着なさるころには恐らく」

「確か、内膳殿がお供をなさるのですよね?」

「そうだよ」

「内膳殿、まさかあなたは」

 政景の言葉は、政光の手で遮られた。沈黙が書院に流れる。その沈黙を破り、政光は口を開いた。

「私は、生きて帰ることはない」

「何故ですか? 内膳殿は、いつも戦は嫌いだと言われていたではありませんか。戦のことばかりを考えていた譜代連中を馬鹿にされていた。それなのに、何故ですか?」

「もう、私の役目はそれしか残っていないからだな」

「どういう意味ですか?」

 睨むように政光を見つめたが、政光はただ微笑みを向けるだけだった。政光の考えた新たな検地の方法は確立している。領国経営も上手くいっている。だが、それは政光の手腕があってこそのことだ。義宣も政光を頼りにしているために、いつも江戸には政光を伴うのだ。

 政光がそのことを理解していないはずがない。それでも今回の参勤の供をし、戦での討死を望んでいる。政景が何を言っても、政光の意志は変わらないだろう。政景にはどうすることもできない。

「このことは、殿には?」

「申し上げていない」

「何故ですか?」

「申し上げるべきことではないからだ」

 ふいに政景の脳裏に、川井事件直後の政光の様子が浮かんだ。政景が川井を討ち取ったことを伝えると、政光は唇をかみしめ、肩を震わせて泣いていた。そして、家中は政光が義宣に川井を殺させたと思っただろう、と呟いたのだった。

 政光の心には、いまだにその時の傷が残っていたのか。生涯の悔恨として、消えない傷となっていたのか。家老になった今でも、政光はずっと苦しんでいたのかもしれない。

「士は己を知る者の為に死し、女は己を(よろこ)ぶ者の為に(かたち)づくる、とはよく言ったものだ。私にとっては、今義宣我を知る、といったところだな」

「内膳殿」

「私は検地で身を立てたいと思った。それが叶った。それは誰のおかげだと思う? すべて殿が私を引き立ててくださったからだ。殿は私のために川井を粛清なさった。そのせいで、殿が譜代連中に何と思われたことか。私も、家老になった今でも譜代の子弟には何と思われているか、聞かずとも分かるというものだ」

 やはり政光は川井事件を忘れていなかった。家中は義宣主導で政が行えるようになり、政光や政景らのような新参者も重職に就けるようにはなったが、それをよく思わない者はまだ多い。特に政光は、義宣をたぶらかして川井を殺させた、といまだに思われている節があるのだ。家中の白眼視は耐えがたかっただろう。

「だが、此度の戦で討死をすれば、私は少しでも殿にご恩返しができると思う。私が消えれば、私のせいで殿が悪く言われることはなくなる。家老が討死となれば、幕府にも佐竹家の忠誠をますます印象付けられるだろう。それに、私のこれまでの人生の最後に花を添えることもできそうだ」

「殿へのご恩返しをお考えならば、生をまっとうし、内膳殿の持てる力をすべて秋田のために尽くされるべきです。何も死ぬ必要はない」

「いや、潮時だ。もう新参と譜代のいさかいには決着をつけねばなるまい。譜代の象徴だった川井は既に地獄で私を待っている。次は私の番だ」

 政光の言葉には迷いがない。決めてしまっているのだ。恐らく、大坂からの書状を見た時から決めていたのだろう。

「やはり、あなたは譜代連中の言う通り、独善的な方だ」

 政景の精一杯の嫌みに、政光は苦笑した。笑うようなところではないのに、政景も思わず苦笑してしまった。政景が何を言っても政光の意志は変えられない。それならば、もう諦めてしまうしかないではないか。

「それで、内膳殿はなぜ私にこの話をされたのですか?」

「お前なら、殿を支えることができると思った。主馬は、殿よりも十一も年下だ。私が死んでも、お前ならば殿より先に死ぬことはないだろう。末の世までに私の考えた検地の手法を伝え、国の宝となすならば、私が秋田のために心を尽くしたことも顕れ、民も安堵できると思ってな」

「私に、内膳殿の跡を継げと?」

「そうではないのだが、結果としてはそうなるのかもしれない。ただ、主馬なら私が死ぬといっても、取り乱したり、殿にお伝えしたりしないだろうと思った。だから、私が死んだ後のことを任せることができると思った。お前の兄の半右衛門は、私が死ぬと言ったら取り乱すだろうからな。下手をすれば殿に告げ口してしまうかもしれない」

「そうですね、そうなると私しかいませんよね。だから、今日は私だけが呼ばれたのですね」

「この話は、半右衛門にも内密にしてくれ」

「分かっていますよ。誰にも言いません」

「すまない、主馬」

 政光に謝られ、政景は酒をあおり、顔を逸らした。今まで二十年以上もともに義宣に仕えてきた政光が死の覚悟を決めている。自分にはどうすることもできない。政景は涙をこらえるのに必死だった。

「謝るくらいなら、帰ってきてくださいよ。そんなの、あなたには言っても無駄なのでしょうけど」

 独り言のように呟いた言葉に、政光は返事をしなかった。それから、二人ともそのことには触れず、雑談をしてその日は別れた。これが、最後の酒宴になるのだと、政光も政景も分かっていた。

 数日後、江戸へ向かうために秋田を出発する際、政景は義宣と政光の見送りに出かけることにした。これが政光と言葉を交わす最後の時になるのだ。

「主馬、もう見送りはここまででいいぞ。お前も銀山の仕事が残っているだろう」

 義宣に声をかけられ、政景は馬を止めたが、首を振った。

「もう少し、よろしいでしょうか?」

「まあ、お前がそう言うなら俺は構わないが」

 義宣は、政景が義宣と別れがたいと思っているのだと思ったようだが、それは違う。政景は政光の隣に並んだ。政光に小さな笑みを向けられ、政景も笑みを返したが、恐らくうまく笑えていなかっただろう。

「内膳殿」

「何だ?」

「いいえ、何でもありません」

 戦が起こらなければ、政光が生きて帰って来たならば、などという仮定の話をしたところで無駄だ。政景はただ頭を振った。

 結局、政景は城が見えるぎりぎりのところまで見送りにきた。義宣に留守の間の指示を仰ぎ、それから政景は政光のもとへやってきた。

「主馬、よろしく頼む」

「内膳殿、私は内膳殿を尊敬しています。私は、内膳殿のようになりたかった。内膳殿、私は」

「ありがとう」

 政光に礼を言われ、政景の顔は歪んだだろう。泣き出しそうになってしまった。言いたいことは、随分あったような気もするが、何も言葉は出てこなかった。ただ、見つめあい、政光の手を握り締めた。視線を上げると、城が見える。政光が奉行を命ぜられて築城した城だ。政光の城を、秋田を、政景は守っていく。

「では、私はもう行く」

「内膳殿、ご武運を」

 政景の手を離し、政光は義宣の跡を追った。政景は義宣と政光の姿が見えなくなるまで見送り続けた。政光が振り向くのではないかと思ったが、政光は一度も振り向くことなく去って行った。

 初冬に入り、義宣は幕府から正式に出陣を命ぜられた。参勤の最中での出陣命令だったため、国許に残っている政景と宣政が徹夜で軍の編成を行い、義宣からの書状が届いた翌日には憲忠が軍を率いて出発した。

 出立する憲忠に、政景は自分の所有している馬の中でも一番優秀な馬を託し、政光に貸してくれるように頼んだ。悪あがきだと分かってはいるが、政光に生きて帰って来てほしかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ