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道程  作者: 実川
八 秋田の国主編
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秋田の国主編(一)

 祥を離縁してからも、義宣には子ができなかった。自分より二十歳ほど年下の京三人衆をそばに置いているが、どの女も義宣の子を身ごもることはなかった。年齢のせいかとも思ったが、父も母も今の義宣と同じような年に末の弟の宣家が生まれたのだから、年齢のせいではないだろう。

 義宣は子が作れないのだ。琳との間に子ができたのが奇跡のような出来事だったに違いない。八重にも祥にも、ほかの女にも義宣の子ができることはなかった。だから、子ができないからといって、祥が自分を責める必要はまったくなかった。義宣の方こそ、祥に二階堂の子を産ませることができなかったことを責めるべきだ。今となっては、そんなことを思ってもどうしようもないことだが。

 政景からの報告によれば、横手の須賀川衆は祥をあたたかく迎えたようだったし、須田盛秀も義宣に祥は平穏に暮らしていると報告してきた。何より、義宣の和歌を受け取った祥が、同じ思いでいる、と言ってくれたことが嬉しかった。

 もう二度と祥に会うことはない。声も聞くこともない。だが、この秋田で祥も義宣も同じ思いで生きている。それだけでよかった。

 祥を離縁した年に、江戸で浪人生活を送っている弟の貞隆に子ができた。貞隆から義宣に知らせてくることはなかったが、江戸にいる母が義宣に知らせてきた。母は息子同士がいがみ合うことに耐えられなかったらしい。義宣としては、貞隆と争っていると意識はまったくなかったのだが、貞隆の方が義宣を嫌って文のやり取りもしようとはしないのだから、いがみ合っていると思われても仕方がない。

 関ヶ原での戦の後、義宣の兄弟で領地を持っているのは義宣だけだった。蘆名家の盛重は、今では義勝と名を変えて義宣の家臣となっている。多賀谷家の養子となった末の弟の宣家も義宣の家臣として暮らしている。貞隆だけは領地没収という処分に納得できず、妻とわずかな家臣を連れて江戸で浪人暮らしを送っていた。義宣が援助のために領内から一万石を貞隆に与えようと申し出ても、義宣に世話にはならない、と相手にもされなかったのだった。

 貞隆は義宣を嫌っているのかもしれないが、義宣は貞隆のことを嫌っているわけではなかった。今でも弟だと思っているし、苦労をしているのなら面倒を見てやろうとも思っている。母が貞隆に子ができたことを知らせてきたのは、義宣と貞隆に和解のきっかけを与えようとしたのだと思う。昔は母親らしいことなど何一つしなかったくせに、今更になってこうして母親面をされるのは面白くなかったが、貞隆は義宣の弟なのだ。そして義宣も貞隆も母にとっては息子なのだ。

 人はいつどのようなことがあるか分かったものではない。このまま貞隆とは険悪な状態で、突然死に別れるかもしれない。死に別れるということはなくとも、生涯顔を会わせることはないかもしれない。

 和解できるものならば和解して、もう一度顔を見たいものだと思う。それに、母を安心させたいという気持ちもあった。いくら母のことを面白くないと思っても、母は義宣の母なのだ。

 祥に出会わなければ、こんなことを思うこともなかっただろう。そう思うと心が痛んだが、義宣は貞隆に子の誕生を祝う文を送った。祝いに十年近く前に義宣が与えようとした一万石を、改めて与えたいとも文に書いた。

 貞隆からの返書はすぐに秋田に届いた。貞隆は今までの非礼を義宣に詫び、一万石を受け取りたい、と書いて寄こした。義宣が江戸に上った時に、浅草の貞隆の屋敷を訪ね、義宣と貞隆は和解することができた。貞隆の子は健康そうな若子だった。岩城家の後継ぎだ。

 義宣に今後子ができることがあるだろうか。できないような気がする。そうなった場合、貞隆には悪いがこの子を養子として、佐竹家の後を継がせるかもしれない。赤子を見ながら、そんなことを考えていた。


 幕府の本多正純に岩瀬御台の離縁をすすめられ、義宣が岩瀬御台を離縁して二年近く経った。義宣から岩瀬御台を離縁したという話を聞いた時は、幕府が大名の閨房にまで口を挟むのか、と驚き呆れたものだったが、他人の支配下に入って生きるということはそういうことなのだろう。義重が家臣に縁談をすすめるのと同じようなものだと思うしかない。

 岩瀬御台のこと以外に、佐竹家と義宣にあらぬ疑いをかけられては堪らないと思い、老体に鞭打って義重は江戸に上った。自分ではまだまだ若い連中には負けないつもりでいたのだが、江戸までの道中、自分が年寄りだということを嫌というほど思い知らされた。

 馬に乗るのは苦痛ではない。むしろ輿に乗った方が苦痛だ。だが、好きなはずの乗馬も若い家臣のように長時間続けることは困難だったし、昔は一晩眠れば疲れなど吹き飛んだはずだったのに今では疲れがなかなか取れない。江戸に向かった時、義重はもう六十五歳だった。年寄りと呼ぶに十分な年齢だ。道理で、久々に見た妻が老けて見えたはずだ。その時、確か妻の芳は義重よりも四歳年下の六十一歳だったはずだ。

 年寄りの割には、芳は美しい方だと思ったが、秋田に帰って来てまだまだ若い加津を見ると、やはり芳も自分も婆と爺なのだと実感した。加津は娘のなすよりも若いのだ。一度は江戸家に嫁入りし、佐竹家によって江戸家が滅ぼされてからはずっと実家にいたなすも、ようやく今年再婚して家を出て行った。三十歳を過ぎた年増女をよくもらってくれたものだと、なすを嫁に迎えてくれた公家の高倉家には感謝している。なすには悪いことをしたと思っていたので、なすにも新たな幸せが見えて嬉しかった。

 だが、三十歳を過ぎて再婚した娘よりも若い女と、何年も閨をともにしているのだと思うと、何とも言えない気持ちになった。まるで自分が好色爺のようだ。実際、芳には遠回しにそんなことを言われた。

 天下の大御所である家康も娘よりずっと若い女を側室にしているらしいのだから、義重もおかしいわけではないだろう。天下が徳川家のものとなって十年以上経つが、義重よりも年上の家康は老いを知らないのかと思うほど、いまだに壮健だった。

 徳川にとっては目障りであるはずの豊臣家の秀頼と二条城で会見を行い、天下はすべて徳川に帰したのだと世に知らしめることにも成功している。関ヶ原での戦の際に家康に味方をしていたのならば、今こうして六郷で隠居をしていることもなかっただろう、と思うこともあるが、義重は今の暮らしも悪くないと思っている。六郷で隠居生活をしていなければ、加津を側室にすることもなかった。

 久々に加津と閨を共にしようと思い、日が暮れてから加津を誘ったのだが、加津は恥じらうばかりで義重の誘いに乗ろうとはしなかった。恥じらいを見せながらも、本当は加津も乗り気に違いない、と思っていたのだが、義重が触れようとすると加津は逃げてしまう。こんなことは初めてだ。

「どうしたのだ、お加津。去年の今頃などは、北城様がいらっしゃらないと寂しい、などと言ってわしにしなだれかかっていたではないか」

「そ、それは、もちろん今でも北城様がいらっしゃらないと寂しいですし、こうしてお誘いいただけるのも嬉しく思っております」

「では、何故今宵はかたくななのかな。冬の寒さは人肌であたためあうのが一番だぞ」

「実は」

 加津は顔を真っ赤にして俯いた。かたくなに閨を拒もうとすることと、この恥じらいようでようやく義重は加津が誘いに乗らない理由に思い至った。今までその兆しにも気づかなかったとは、やはり年を取ったせいだろうか。

「ああ、よいよい。分かった。気づかなくて悪かったな、お加津」

 恥ずかしがる加津の肩を抱き、髪を撫で、そっと腹に触れた。加津を側室にした時に、もしかしたら義宣に弟か妹ができるかもしれない、と思ったが、まさか本当にできるとは思っていなかった。体は老いてきたが、閨ではまだまだ義重も壮健だったようだ。

「さて、ここにいるのは若子かな、それとも姫かな」

「北城様はどちらがよろしいですか?」

「ふむ、どちらがよいだろうなあ」

 姫が生まれたのならば、佐竹家にとっては何の影響もない。義宣がいずれ養女に迎えて、どこか佐竹家にとって都合の良い家に嫁がせるくらいだ。だが、若子となると話が違う。義宣は不惑を過ぎても子ができない。ここで義重に若子が生まれるということは、佐竹家にもうひとり男子ができるということだ。義宣に子ができぬまま義宣が死ぬようなことがあっても、義重の子に家督を継がせれば良いということになる。このまま子ができなければ、いずれ義宣は養子を迎えることになる。若子が生まれたのならばその子を養子にすればいい。

 息子に問題があるとは思いたくないが、義宣は子種が人よりも少ないのだろう、と義重は思っている。今までにできた子は琳との間にひとりだけだ。これからできるとは思えない。本当は過去にもうひとり子がいたのだが、義宣はそのことを知らない。

 自分に子ができて、義重は二十年前のことを思い出していた。亡き八重の侍女だった吉野という女が、生まれてすぐに死んだという赤子を抱いて出奔しようとしていた。吉野はその赤子は自分の子だが、決して義宣との間にできた子ではないと言い張っていた。だが、義重はあの時も今も、吉野の子の父親は義宣だと思っている。義宣以外に、奥の女を身ごもらせる男はいない。

 生まれてくる子が男でも女でも、加津の子が生まれたら、義宣に吉野のことを話すべきだ。義宣は随分と八重に惚れこんでいたようだったため、八重を思い出させるようなことは言わない方がいいと思っていたが、今の義宣ならば吉野のことを聞いても問題はないだろう。むしろ、真相を確かめたいと思うかもしれない。

「北城様、どうかなさいました?」

「いや、なんでもない。わしは若子でも姫でもよいのう。どちらでも可愛いに違いない」

 吉野も生まれた赤子を可愛いと思っただろう。義宣は義重が吉野を殺したと思っているが、吉野は生きている。今も京で八重と赤子の菩提を弔いながら生きているのだ。そのことも義宣に告げなければならない。

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