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道程  作者: 実川
七 枯れぬ花編
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枯れぬ花編(十四)

 約束通り、義宣は宝鏡院にやって来た。義宣と向き合って座っても、何を話していいのか分からない。聞きたいことも、言いたいこともたくさんあるはずなのだが、言葉にならなかった。

「主馬に、どこまで聞いたんだ?」

「義宣さまがわたしを離縁なさろうとするのは、幕府の命令のせいなのだと」

「そうか」

 先に口を開いたのは義宣だった。祥は義宣の問いに応えるだけだ。なぜ幕府は祥を離縁するように命じたのか。義宣は何を考えているのか。なぜ祥に真実を隠そうとしたのか。義宣に尋ねたいのに、言葉が出てこない。

「それは、まことなのですか?」

「ああ」

「なぜ、わたしのような女ひとりのことに、幕府は口を出すのでしょう?」

 この程度の問いも、祥はやっとの思いで口にしている。声が震えそうだ。真実を知りたいと思っているのだが、義宣の口から祥を離縁すると決めた理由を聞きたくないという思いもある。

「伊達家が何かと口うるさいらしい」

「伊達家、伊達政宗ですか?」

「逆恨みだな。自分で二階堂家を滅ぼしたくせに、なぜか二階堂の人間を憎んでいるらしい。幕府は、俺が二階堂の人間をそばに置いていることを理由に、伊達家と佐竹家が戦をするのではないかと心配していんだ。そのような事態になれば、二代目の公方様の威信に関わるのだそうだ。馬鹿馬鹿しい。そんな理由で、俺はお前を」

「わたしが、二階堂の人間だからいけないのですね」

「違う。祥は悪くない」

 強い力で義宣に肩を掴まれた。義宣の目が祥を見つめる。義宣も苦しんでいる。手や目から、義宣の苦しみが伝わってくるようだった。祥の肩を掴む義宣の手に、祥はそっと自分の手を重ねた。

 政宗が二階堂の人間を恨む理由に、祥は心当たりがある。政宗は須賀川を攻めた時、伊達家で阿南と祥を保護して、伯母を攻めたという世間体の悪さを誤魔化そうと考えていた。だが、阿南は政宗の申し出を拒否した。今から二十年近く前のことだが、あの時の政宗の怒りを今でも覚えている。政宗もあの時のことを、今でも恨みに思っていたのだろう。

 まさか、今更になって二十年前の出来事が影響するとは思わなかった。阿南も考えもしなかっただろう。祥は政宗を拒んだ阿南の選択を恨んではいない。阿南が政宗の要求を受け入れていたのならば、二階堂の人間は政宗に恨まれなかったのかもしれない。だが、祥が義宣に出会うことはなかった。義宣を愛することもなかった。それに、政宗に屈するということは、阿南が守ろうとした二階堂の誇りを汚すことだ。政宗の申し出を拒否したことは、間違いではなかった。

「幕府が馬鹿なことを言い出した。女ひとりのために、秋田と仙台で戦をするはずがない。万が一そうなった時には、お家断絶だと。馬鹿馬鹿しい」

 義宣は何度も馬鹿馬鹿しい、と呟いた。幕府という絶対的な力の前に屈する自分を悔やんでいるように聞こえた。

 過去に、秀吉に正室だった八重の離縁を迫られた時、義宣は八重を離縁しようとしなかった。その結果、八重は自害したのだと義宣は思っている。今度は判断を誤るわけにはいかない、と思ったのだろう。義宣は祥を離縁すると決めている。その決意は揺るがないに違いない。だからこそ、義宣は悔しがっているのかもしれない。

「わたしを守るために、お家も秋田の民も犠牲にするような方ならば、わたしはあなたを嫌いになってしまうと思います。あなたは間違っていないわ、義宣さま」

「そうだ。俺は佐竹家の当主だ。秋田の国主だ。俺は家臣たちや民たちを守らなければならない。関ヶ原の折のような思いをさせてはならない。だが、祥も俺の守るべき者のひとりだ。愛する女ひとり守れないで、俺は家臣たちも民たちも守ろうとしているのか」

「義宣さま」

 肩を掴む義宣の手から抜け出し、義宣に抱きついた。義宣は一瞬驚いたようだったが、すぐに祥の背中に腕を回し、きつく抱きしめ返した。隙間なく抱き合っていると、義宣の悲しみが祥の胸にも流れ込んでくるような気がした。恐らく、祥の思いも義宣に伝わっているのだろう。

「すまない。すべてを話すと言いながら、話が支離滅裂になっている」

「いいのです」

「俺がこのことをお前に話さなかったのは、御台の懐妊を隠そうとした時とは違うんだ。分かってほしい」

「ええ」

「話さなかったのではない。話せなかった。なぜ、俺の口から祥を離縁するなどと言えようか。言えるはずがないじゃないか。俺はお前を離縁するつもりなどまったくないのだから」

 義宣は祥を嫌ったわけではない。義宣の口から直接この言葉が聞けて、少しだけ安心した。義宣は祥を離縁する、とは辛くて言えなかったのだろう。だが、何も言わずに祥を離縁しようとしたことをずるいとも思う。

「義宣さまのお気持ちは分かります。わたしも、あなたにそんなことを言いたくはありません。でも、こんなわたしは義宣さまから直接お話ししてほしかった」

「すまない。幼稚な考えだと思うだろうが、俺はお前に嫌われようと思ったんだ。俺が祥を離縁するということに変わりはない。ならば、いっそ嫌われてしまいたかった。俺のことを嫌いになって、ほかの男の妻になって幸せになってくれるのならば、それでもいいと自分に言い聞かせた」

「それで、京三人衆を迎えて、わたしを大蔵の妻になさろうとしたの?」

「そうだ。今更遅いが、大蔵にも祥にも酷いことをしようとしたな、俺は」

「本当だわ」

 冗談めかしてそう言ってみたが、義宣はまったく笑ってくれなかった。祥も何とか笑みの形を作ったが、むなしい作り笑いに過ぎない。

「大蔵は死んでしまったが、祥には当初の予定通り横手に移ってもらうことになる。横手には二階堂家旧臣の須賀川衆が多くいる。須田美濃が祥の面倒を見ることになっているよ。昔なじみの多い土地で、少しでも心穏やかに過ごしてほしい。穏やかな日々など、無理かもしれないが」

「いいえ、嬉しいです。義宣さまがわたしのことを考えてくださって」

 義宣の胸に顔を埋めると、義宣は祥の髪をそっと撫でた。しばらくの間そのまま抱き合い続ける。こうして寄り添い合ったまま、時が止まってしまえばいい。夜が明けなければいい。そんなことを思ってしまうほど、義宣の胸も髪を撫でる手もあたたかくて優しかった。祥を愛しく思ってくれている気持ちが伝わってくる。

「祥」

「はい」

「俺はお前に嫌われようとした。だから大蔵の妻にしようとした。だがな、心の片隅に、お前が大蔵の妻になって、二階堂の血を引く子どもを産むのならば、それはそれで悪くないと思う気持ちもあったんだ」

「どうして?」

 祥を愛していると言っていたのに、なぜ大蔵の妻になることを喜ぶ気持ちがあったようなことを言うのだろう。義宣の胸から離れて顔を上げると、義宣は苦笑を浮かべた。

「俺はお前に二階堂の子を産ませることができなかった。俺には種がないのかもしれない。御台にもあれ以来子はできないしな。だから、大蔵との間に子ができるのならば、それは二階堂家にとって良いことだとも思った」

「いいえ、それは違います。わたしが石女だったのです。だって、義宣さまには一度お子がお生まれになったもの。わたしは誰の妻になっても、きっと子をなすことはなかったでしょう」

「そうか」

 義宣の声は震えていた。泣きそうな声だと思った。祥も大声で泣いて、義宣にすがりたかった。なぜ別れなければならないのか、別れたくない、と聞き分けのない子どものように泣いてしまいたかった。だが、なぜか涙は流れなかった。悲しみが大きすぎて、涙も出て来ないのかもしれない。

「難しいな」

「え?」

「人を愛するということは難しい。俺は祥を愛しているのに、子どもができなければほかに女を置いた方がいいと言われ、祥が責められ、幕府に迫られれば離縁しなければならない。愛しているから一緒にいたい。それだけのことが、こんなにも難しい」

 独り言のように呟かれた言葉は、祥の胸にも深く突き刺さった。愛し合うことは難しい。大名という立場も難しい。

「出立の準備には、何日くらいかかりそうだ?」

「わたしと鏡田の荷物をまとめるだけですから、二日もあれば終わると思います」

「そんなものか。では、十日後に出立ということにしよう。それまでの間に、美濃にも色々と準備をさせておく」

「分かりました」

 あと十日で、祥は義宣の側室ではなくなる。義宣の従妹であることに変わりはないが、もう他人同士になってしまうのだ。

 別れを惜しむように口づけ、抱き合った。昔はこうしていると満たされた気持ちになったのだが、今は悲しい気持ちになってしまう。

 翌朝、義宣が宝鏡院を去るのを見送ってから、祥は鏡田とともに出立の準備に取り掛かった。まとめる荷物は少ない。もともと佐竹家にやって来た時も、持って来たものは少なかったのだ。必要最低限のものしかない。

 小袖や打掛を長持に入れながら、ふと長持の近くに置いてあった貝桶に目がいった。十年近く前、祥が義宣の側室になった時、義宣が贈ってくれたものだ。形だけの祝言を挙げるために義宣が用意してくれた。

 懐かしくなって中に入っている貝を手に取り眺めているうちに、義宣との思い出が次々と脳裏に浮かんできた。義宣と過ごした時間は十一年だ。それが長いのか短いのか、よく分からない。長かったような気もするし、短かったような気もする。まさか、こんなにはやく義宣と過ごす時が終わってしまうとは思っていなかった。

 自然と涙が溢れていた。手に取っている貝に涙が落ちる。祝言の時に送られた貝桶には、義宣との思い出が詰まっているような気がする。もう見ていられなかった。八つ当たりをするように貝桶を強く押すと、派手な音を立てて貝桶が倒れ、中の貝が畳の上に散らばった。

 その音を聞いた鏡田が慌てて駆けつけたが、鏡田は何も言わなかった。息を飲んだ後、何も言わずに黙々と貝を拾っている。

 貝を拾う鏡田を呆然と見詰めた後、祥も貝を拾おうと屈んだ。その瞬間、何かが落ちた。

 視線をやると、落ちたのは阿南からもらった懐剣だった。いつも身につけていたのだが、屈んだ拍子に落ちてしまったらしい。

 祥が義宣の迷惑になった時には、この懐剣で胸を突いて死ぬように、という阿南の言葉を思い出した。死の間際に、阿南が言い残した言葉だ。

 あの時、祥は阿南に孫の顔をみせると約束した。結局、阿南との約束は果たせなかった。二階堂の子を産むことはできず、義宣の迷惑になってしまった。

 今の祥は、義宣にとって、佐竹家にとって迷惑な存在になっているのだ。

 鏡田は祥に気を遣ってか、顔を上げずに畳を見つめて貝を拾っている。鏡田が見ていないことを確認して、そっと懐剣を鞘から抜いてみた。懐剣の刃が白く光り、祥の顔を映し出していた。

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