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道程  作者: 実川
七 枯れぬ花編
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枯れぬ花編(十二)

 江戸に到着すると、京の商人である大島宗喜(おおしまそうき)が正洞院に来ていた。秋田を発つ前に義宣が呼び寄せておいたのだ。大島宗喜とは秀吉が生きている頃、伏見の屋敷で知り合った。それ以来、何かと物入りの時には宗喜に頼むことにしている。義宣が信頼している商人だった。

「宗喜、すまないな。わざわざ京から来てもらって」

「いえいえ、佐竹様のお頼みをお断りするわけには参りません。私をわざわざお呼びになるのですから、よほど大事なご用がおありなのでしょうし」

「ああ、急いで用意してもらいたいものがある」

「かしこまりました。一体どのようなものを?」

 宗喜は笑みを浮かべて義宣の話を聞こうとしている。普段は、京の織物を取り寄せるよう頼むことが多いため、今度もそうだと思っているのだろう。

「女を三人ほど秋田に連れて行きたい。京の女だ」

「京の女? 新しいご側室でしょうか? では、佐竹様に相応しいおなごをご紹介せねば」

 宗喜の口から様々な家の名前が挙がる。おそらく娘を田舎大名の側室にしても構わない、と考えるほど生活が豊かではない公家の名前だろう。宗喜は義宣に気を遣って、佐竹家の家格に釣り合う女をすすめようとしてくれているのだ。だが、義宣は公家の女を側室に迎えたい訳ではなかった。本当は、新しい側室などひとりもいらないと思っているのだから。

「いや、新しい側室というよりも、俺は年季奉公で仕える女が欲しいだけだ。若くて健康な女ならば、素性のいやしい女でも構わない。年季明けまで俺に仕えさせたら、あとは女を実家に帰すつもりでいる。その間に女に子ができれば、女を改めて側室にするつもりだが」

「はあ。お言葉通り、金で女を買うということで?」

「そうだ」

「承知いたしました。若くて健康でしたらどのようなおなごでもよろしいのですね? 私にお任せください。それにしても、急なお話にございますなあ」

「俺ももう不惑を迎えるからな。若い女を三人くらい侍らせておけば、そのうち子ができるかもしれない。だが、もう側室はいらないんだ。金で俺に仕える女で十分なんだよ」

 宗喜はそれ以上何も言わなかった。そのことが、義宣はありがたかった。女絡みで何かがあったのだと察したのだろう。

 盛秀には、祥を離縁するのは子ができなかったからだと言った。もっと若い女を迎えるつもりだとも言った。ならば、その言葉通り若い女を秋田に置かなければならない。ひとりでは義宣が本気で若い女と子をなすつもりがないと思われるかもしれないので、三人置くことにした。それに、三人くらい女がいれば義宣の気も紛れる。いつも同じ女だけが相手では息がつまりそうだ。

 祥を離縁すると決めてから、秋田に置く女はただ気を紛らわすためだけの相手だと決めている。だからこそ、年季奉公ということにして、互いに後腐れなく別れられるようにしたのだ。義宣は女に金を払い、女はその金の分だけ年季明けまで義宣のそばに侍る。金が欲しい女ならば悪い話ではないはずだ。

 義宣の依頼を受け、宗喜はすぐに京へと戻っていった。年の瀬には、義宣が頼んだ通り三人の若い女が江戸の正洞院へやって来た。宗喜に連れられて来た女たちは若く健康的で、見目も悪くはなかった。どんな女でも構わないと言ったが、宗喜はなるべく美しい女を選んでくれたようだ。義宣よりも二十歳近く若い。

 琳には、世継ぎをもうけるために新しい側室を秋田に置くことにした、と説明した。琳は仕方のないことだと納得してくれたようだった。むしろ、世継ぎを産めないことを申し訳ないと義宣に詫びた。

 祥にあてた文を持たせ、新たに迎えた女を先に秋田へ送り出した。女たちが秋田に着いた時、祥は義宣の裏切りを初めて知るのだ。義宣が四十五歳になるまで新しい女はそばに置かない、という約束を義宣は破った。祥はそのことを怒るかもしれない。だが、京の女たちを秋田に送るのは、これから義宣が祥に対してしようとしていることの手始めに過ぎない。祥は泣くだろうか。祥が傷つくことを思うと、義宣の心は痛んだ。


 江戸へ上った義宣から文が届いた。義宣が江戸から文を送ってくる時は、いつになったら秋田に帰ることができそうだ、という報告が多い。今回もそうなのだろう。鏡田から文を受け取ろうと手を伸ばしたが、鏡田は祥に文を渡そうとしなかった。どうしたのだろう。鏡田の表情はどこか思いつめているようにも見える。

「鏡田、どうしたの? お屋形さまからの文なのでしょう?」

「え、ええ。そうなのですが」

「鏡田らしくないわね」

 まさか、江戸で何か悪いことが起きて、今回の文はそれを知らせるものなのだろうか。義宣の身に何かが起きた、とも考えられる。鏡田の様子を見れば、何かが起こっていることは容易に想像できた。

「鏡田、文を渡しなさい」

「しかし、姫様」

「何かわたしに隠していることでもあるの?」

 鏡田がはっとしたように祥を見つめた。文を握り締める手が震える。じっと祥を見つめた後、鏡田は文を差し出し、覚悟を決めたように背筋を伸ばした。

「姫様、落ち着いてお聞きください」

「はい」

「この文を持って参ったのは、若いおなご三人にございます。お屋形様の命により、お屋形様のおそばに侍るのだと申しております」

「え?」

 鏡田は何を言っているのだろう。義宣は祥と約束したのだ。祥が三十五歳になるまで、ほかに側室は置かないと。義宣が江戸へ上ってから年が明けたので、祥はひとつ歳を重ねたがまだ三十歳だ。約束までは五年もある。何かの間違いではないのか。

 信じがたい気持ちで、祥は義宣からの文を広げた。そこには、いつものように春には秋田に帰る、と書いてあった。その先には、京三人衆を秋田に送るため二の丸を明け渡すこと、祥は北の丸を囲む外堀の東にある宝鏡院に移ること、という指示が書かれていた。

 何なのだろう、これは。祥は窪田城が完成してから、ずっと二の丸で義宣の帰りを待っていた。二の丸が祥の住む場所だった。二の丸は本丸の正面をとりまく本丸に次ぐ重要な郭で、本丸とともに本城の機能を果たしている。二の丸を通らなければ本丸へは行けないのだ。本丸には義宣の居館である本丸御殿がある。そこを京三人衆という女たちに明け渡すということは、その女たちが新しく義宣の寵愛を受けるということに違いない。

 祥が移るように指示された宝鏡院は佐竹家の祈祷寺で、菩提寺である天徳寺に次ぐ重要な寺院であると義宣に聞いたことがある。だが、宝鏡院があるのは北の丸だ。外堀の東だ。宝鏡院から本丸へ向かうには、重臣たちの屋敷が並ぶ三の丸を通り、京三人衆のいる二の丸を抜けなければならない。本丸からは随分と遠い。

「姫様、お気を確かに」

「ありがとう。わたしは大丈夫」

 何が起きているのか、と頭は混乱して何も考えられないような気がしたが、なぜか妙に祥は冷静だった。鏡田の方こそ気を確かに持った方がいい。鏡田は祥の手を握り締めてくれているが、鏡田の方が震えている。

 もしかしたら江戸で何かあったのかもしれない。大御台に世継ぎをはやくつくるように急かされて、やむを得ず若い女を秋田に送ったのかもしれない。そうだ。そうに違いない。そうでなければ、義宣が祥との約束を違えるはずがないのだ。だが、そうだとしてもなぜ祥は北の丸に移らなければならないのか。

 分からない。義宣が何を考えているのか、祥にはまったく分からない。

「鏡田、わたしたちは二の丸を出て行かねばならないようよ」

「何ですって? お屋形様は、ま、まさか姫様を」

「いいえ、違うの。城から追い出されるわけではないわ。ただ、北の丸に移るだけ」

「北の丸? それでは、本丸からは随分と離れてしまうではありませんか。お屋形様は何をお考えなのでしょう。ご出立の直前まで、あんなにも姫様と睦まじくいらっしゃいましたのに」

 鏡田の言う通りだ。江戸に上る前まで、義宣に変わったところは何もなかった。むしろ、いつもよりも頻繁に祥を閨に呼んで、睦言を囁き合っていたくらいなのだ。義宣の祥への愛が失われたとは思えない。

「わたしにも分からない。けれど、お屋形さまの命なのだから、北の丸に移らなくてはね」

 北の丸へ移る前、祥は新たに秋田へやって来た京三人衆と挨拶をした。義宣が文に京三人衆と書くだけあって、上方言葉を話す京の女たちだった。祥よりも十歳ほど年下のようだ。三人とも若く、健康的で、美しかった。若い女に二の丸を明け渡して北の丸へ移る自分が、急に老いたように感じられた。女の十年はあまりにも違う。京三人衆の若さは眩しかった。

 北の丸に移ってから、鏡田は京三人衆よりも祥の方が美しいとか、義宣の寵愛が薄れるはずはないとか、様々に言葉を尽くして祥を慰めようとしてくれたが、どの言葉もむなしく聞こえるだけだった。義宣の愛を疑うわけではないが、若い京三人衆を見て、祥は自分がもう若くはないと思い知らされた。

 京三人衆が秋田に到着してから一月後に、義宣も秋田へ帰って来た。いつもならどんなに忙しくとも帰国して十日以内には、義宣は祥のもとへ足を運んでいたのだが、今回は十日が過ぎても義宣はやって来なかった。恐らく二の丸の京三人衆のもとへ足を運んでいるのだろう。祥には何の説明もない。なぜこんなことになっているのか、祥はいまだに分からなかった。

 義宣の渡りがないままつれづれと日々を過ごしていると、義宣の側近である梅津政景が北の丸の宝鏡院へやって来た。祥に義宣からの言伝があるらしい。言伝ならば侍女に頼めばいいし、鏡田を呼んでもよかったはずだ。側近中の側近である政景にわざわざ頼んでいるところに、祥は嫌な予感がした。

「岩瀬御台様、殿のご命令で伺いました、梅津主馬政景と申します。突然の訪問お許しください」

「わざわざご苦労さまです、主馬殿。お屋形さまのご命令とは何でしょう?」

「はい。岩瀬様にはご面倒をおかけいたしますが、再び居をお移しいただきたいのです」

「そうですか」

 一月前に二の丸から北の丸へ移り、今度はどこへ移るというのだろう。二の丸に戻れるのだろうか。かすかな期待が祥の胸で膨らんだ。二の丸を空けなければならなかったのは、京三人衆の部屋の準備をするだけだったのかもしれない。それならば、義宣から何の説明もなかったことも納得できる。政景の言葉の続き、義宣の言伝に期待した。それは鏡田も同じだったようで、表情が明るくなっている。

「今回は、前回よりもご面倒な移動となります」

「どういうことですか?」

 北の丸から二の丸へ移るのは面倒ではない。では、祥はどこへ移されるのだ。

「横手の須田美濃守殿のもとへお移りいただきます」

 あまりのことに、祥は声も出なかった。横手。何かの間違いではないのか。

「それから、殿からの言伝を」

「お屋形さまは、わたしに何とおっしゃったのですか?」

 はやく聞きたい。だが聞きたくない。耳を塞いでしまいたい気持ちだったが、祥は政景が義宣からの言伝を口にするのを待った。何かの間違いだと思うためには、義宣の言葉だけが最後の希望だった。

「須田大蔵の妻となり横手で新たな幸せを見つけてほしい、と」

 祥は息を飲んだ。激しい動悸がする。何も考えられない。頭が真っ白になった。鏡田が何か言っているようだったが、何を言っているのか、まったく分からなかった。

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