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道程  作者: 実川
七 枯れぬ花編
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枯れぬ花編(六)

 二度目の秋田の冬も厳しかった。義重のいる仙北は秋田の中でも特に雪が降る地域らしく、夏が近づかなければすべての雪が融けないようなところだった。初めての冬は、身の丈を優に超える積雪に驚いたものだったが、二度目ともなれば、そう驚くこともない。

 義重は義宣に代わり六郷に腰を据え、仙北に睨みをきかせていたが、新たな統治者である佐竹家に反感を抱いている者は少なからずいる。六郷の義重の館を襲った者たちもいた。義重は家臣たちとともに一揆衆を追い返したが、連中が再び義重を襲うかもしれないし、今度は秋田の義宣のもとへ押しかけるかもしれない。新たな国づくりというのは、苦労の連続だ。義宣はさぞ苦労していることだろう。

 秋には家老の川井伊勢守ら四人の譜代家臣が、義宣の腹心である渋江政光を暗殺しようとして、かえって義宣に粛清されている。義宣が必要だと判断したのならば、譜代家臣の犠牲もやむを得ないことなのだろう。

 秋田に移ってから、反佐竹一揆や川井事件など、多くのことが起こったが、来年の秋には窪田に築いている新たな府城も完成するようだし、義宣は新たな国づくりに励んでいるようだし、義重は常陸にいる頃よりも楽な隠居暮らしを楽しんでいた。何もない時は仙北の見回りをかねて鷹狩りに出かけ、遠乗りに出て、充実した毎日を過ごしている。

 義重が火鉢で暖を取っていると、六郷に移ってから義重に仕え始めた侍女が来客を告げた。大雪の中、わざわざ義重を訪ねてくる物好きは誰だろうか。まったく心当たりはない。

「わしに客か。秋田の者でもやって来たのか?」

「いえ。それが、あの、大変申し上げにくいのですが」

「何だ? 正直に言って構わないぞ」

 はあ、と言って侍女は視線をさまよわせた。侍女が答えに詰まるとは、どのような人間がやって来たのだろう。逡巡した後、侍女は意を決したように拳を握りしめ、口を開いた。

「では、正直に申し上げます。どこからどう見ても、乞食にしか見えない男が、北城様を訪ねて参りました」

「乞食にしか見えない男だと?」

「はい。わたしは北城様のおおせのとおり、正直に申し上げました」

 乞食にしか見えない男が客だとは、侍女も言いにくかったことだろう。義重も、乞食に知り合いがいる心当たりはない。だが、厳しい寒さと大雪の中、わざわざ六郷まで義重を訪ねてきたのだ。会うだけならば構わない。それに、その男が何者なのかも気になる。

 侍女に命じて男を通させると、目の前に現れた男は、確かに侍女の言う通り、乞食としか思えなかった。身につけている着物は粗末で、もともとは武士だったのだろうが、髭も髪も伸び放題だ。こんな知り合いはいただろうか。

「お久しぶりにございますなあ、常陸介殿」

「はあ、久しぶり、か」

 男は義重に対して親しげに話しかけてきたが、久しぶりと言われても義重は、この男が誰なのか見当もつかなかった。義重が首をひねると、男も自分が誰なのか気づかれていないことに、ようやく気づいたらしく、慌てて頭を下げた。

「常陸介殿、多賀谷重経にございます」

「な、何と。多賀谷修理殿であったか。これは、お気づきできず申し訳ない」

「いえ、お気づきにならなくて当然でしょう」

 目の前の乞食のような男は、義宣と宣家が妻に迎えた多賀谷姉妹の父であり、宣家が跡を継いだ多賀谷家の当主だった多賀谷重経だった。あまりにみすぼらしい身なりに気づくことはできなかったが、重経だと思って見てみれば、確かに顔は重経のようだし、声も同じだ。

 あまりの変わり様に義重が絶句していると、重経は尋ねてもいないのにこれまでの境遇を語り出した。

「下妻没収以来、わしは徳川の追手から逃れるために逃げ回っておったのです。その間に、下妻に残した妻女が死んだと聞き、その時はさすがに胸が痛み申した。その後、ほとぼりが冷めたかと思い、下妻へ戻ってみたのですが、榊原康政に見つかり散々追い回されましてなあ。命からがら逃げ出した後は、乞食となって放浪しておりました」

「はあ。して、修理殿は何故この雪の中、わざわざ六郷へ?」

「それが、お恥ずかしい話ではござるが、旧知の人間に銭や食べ物を貰い、何とか命を繋いで参りましたが、この寒さ。餓死しそうになり申した。そんな時、婿の宣家殿が佐竹侍従殿の家臣となり秋田へ移ったことを思い出しまして、婿殿のもとへ行く前に義重殿にご挨拶をと」

「挨拶のためだけに?」

 義重の問いに重経はきまり悪そうに苦笑いした後、がばりと頭を下げた。

「厚かましいお願いと存じてはおりますが、この冬をどうか六郷の館で越させてはくださりませぬか。できれば、出立の際は銭と食べ物も恵んでくださると、なおありがたいのですが」

 重経の願いを聞いて、義重は呆れてものも言えなかった。これが、かつては常陸南部に覇を唱えた多賀谷重経の姿か。関ヶ原の戦いの後、妻女を捨ててひとり下妻から逃げ出したと知った時も、なぜこんな男と婚姻関係を結んだのだろう、と後悔したが、義重は再び重経と親戚関係にあることを激しく後悔した。義宣の妻、宣家の妻には何の罪もないが、その父親の重経はどうしようもない人間だ。こんな男を父に持った多賀谷の姉妹に、思わず同情してしまった。

「老齢に加えて、極貧の不安、苦痛。いやあ、筆舌に尽くしがたいのですよ」

「それは、そうでしょうな」

 自業自得というものだ、と言ってやりたかったが、重経相手にそんなことを言ってやるのも面倒だった。こんな面倒な男は、吹雪の中に放り出してしまいたいが、館の前で凍死されても困るし、宣家に世話をさせるのも忍びないので、仕方なく六郷の館で越年させることにした。迷惑な客だが、これでも義宣の舅であるし、宣家の養父だ。たとえ乞食に身を落としているとしても、粗略に扱う訳にはいかなかった。

 重経を館に置いてからというもの、義重は日々が憂鬱だった。雪に囲まれて、好きな鷹狩りも遠乗りもできないため、気晴らしができないことが主な原因だろう。せめて気晴らしができれば、重経の存在もさほど気にならなくなるのかもしれない。

 ため息をついていると、秋田の義宣から書状が届いた。何か義重に相談したいことがあるのかと思ったが、書状の内容は義重の想像とは違っていた。

 義宣の書状には、六郷は秋田の中でも有数の豪雪地帯であり、冬の寒さが骨身にこたえるだろうから、羽二重の布団と厚手の夜着を贈る、とあった。確認すると、確かに書状以外にあたたかそうな布団と夜着が館に届けられている。

 義重は普段、掛け布団はかけているが、敷布団は布を一枚敷いているだけで寝ている。そのことを知っている義宣は、義重の身を案じてわざわざ布団と夜着を贈ってきたのだろう。六郷の寒さに、さすがの義重も凍えていると思ったのか。

「まったく、義宣の奴、わしを年寄りだと思っているな。布団などなくとも、わしは去年の冬も越しているというのに。だが、せっかくあいつが贈ってきたものだ。今夜は、その布団で寝るとしよう」

 言い訳をするように、布団を運ぶ侍女に対してそう言うと、侍女はくすりと笑った。この侍女は、正直に言え、と言えば、重経を乞食にしか見えない男と言うし、義重の漏らした言葉には笑うし、根が素直で正直な女なのだろう。この侍女に笑われても、嫌な気持ちにはならなかった。

 息子に体の心配をされるとは、自分も年を取ったのだと思うが、まだまだ義宣に心配されるほど弱っていない、という思いもある。だが、正直なところは、義重の体を気遣って布団を贈る義宣の心遣いが嬉しくて仕方がなかった。可愛いところのある息子だ。

 義宣に贈られた布団で床の用意をさせ、いそいそと布団の中にもぐりこんだ。寒さをしのぐために贈られた布団だけあって、あたたかかった。義宣に贈られた布団の中で、義重は改めて重経は哀れだと思った。自分には布団を贈ってくるような孝行息子がいるが、重経は長男の三経とは絶縁状態にあるし、養子の宣家もいざという時に頼るのは兄の義宣や義重で、養父の重経との関係は薄い。乞食となった重経に救いの手を差し伸べる子どもは、重経にはいなかったのだろう。重経の態度を見ていれば、どのように子どもたちに接してきたかも分かるというものだ。重経のような父親を、父と敬うことはできなかったに違いない。

 義重は息子たちも娘も大事にしてきたつもりだが、重経のようにはならないように、気をつけた方がいいだろう。

 そんなことを考えながら寝返りを打っているうちに、だんだん厚手の布団にくるまっているのが苦痛になってきた。今まで、こんなに厚い布団で眠ったことがないため、暑くて仕方がない。義宣には悪いが、掛け布団だけをかぶって眠ることにした。これがちょうどいい。敷布団は暑かった。

 翌朝、義重の身の回りの世話をしにやってきた侍女が、にこにこと微笑みながら、義宣から贈られた布団の寝心地はどうだったか、と聞いてきた。

「ああ、布団か。義宣がわしのことを思って贈ってきただけあって、あたたかい布団だった。だが、わしはいつもあのような厚い布団では寝ておらぬため、実を言うと暑かったのじゃ」

「まあ。わたしはいくら布団にくるまっていても、寒くて仕方がありませんのに」

「うむ。それでなあ、せっかく義宣が贈ってくれたのだが、結局いつものように寝てしまった。わしには掛け布団だけで十分のようだ」

「北城様はお元気でいらっしゃいますのね」

「ああ、このことは義宣には内密にな。あいつには、わしは喜んで布団で眠っていたと伝えるように」

 義重の話を聞いていた侍女は、堪えきれなくなったのか、ぷっと吹き出してしまった。申し訳ありません、と何度も言いながらも、侍女はなかなか笑いが収まらないらしい。

「何がそんなにおかしい?」

「北城様は鬼義重と呼ばれた恐ろしい方だ、家中でもお顔をまじまじと見られた者はいないのだぞ、と父に聞かされておりましたのに、わたしがお仕えしている北城様は、お屋形様思いのお優しい方なのですもの」

「わしが義宣を思うことが、おかしいか?」

「いいえ、そうではありません。お優しくて、とても素晴らしいお方と存じます」

 今までこの侍女の顔をよく見たことはなかったが、笑った顔はとても愛らしかった。年は、娘のなすよりも幾分か下だろう。あどけなさの残る女だった。特別、美しいわけではない。美しさは、江戸にいる妻の芳にはかなわない。芳は美しい女だ。

 美しさや若さだけではない、この女の素朴な可愛らしさに、義重の心は動いた。

「そなた、父は誰だ?」

細谷助兵衛(ほそやすけべえ)にございます」

「そうか。それで、そなたの名は?」

 義重が名を尋ねると、侍女は頬を赤らめて俯いた。恐らく、父の細谷助兵衛は娘を義重の侍女にすると決めた時に、あわよくば娘が側室にならないだろうか、と思っていたのだろう。そして、そのことを娘も聞かされていたようだ。恥じらいつつ、小さな声ではあったが、侍女ははっきりと義重に自分の名を告げた。

加津(かつ)と申します」

「お加津か。よい名だ」

 自分の娘よりも年下の女に心を動かすとは、義重はまだ義宣に心配されるほど老いてはいなかったのだ。芳がこのことを知ったら怒るだろう。冷たいようでいて、芳は嫉妬深い女だ。だが、遠く離れた江戸にいるのだから関係ない。もしかしたら、義宣に世継ぎが生まれるよりも先に、義宣にもうひとり弟か妹を増やすことになるかもしれない。恥じらう加津を見つめながら、義重はそんなことを思っていた。

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