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道程  作者: 実川
七 枯れぬ花編
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枯れぬ花編(五)

 義宣は家老の川井伊勢守を鷹狩りと称して横手城に呼び出していた。政景も内密に義宣に従い、横手城にやって来ている。川井を殺すためだ。義宣は川井を殺す役目を、命が狙われた政光でも、政光の護衛をしていた憲忠でもなく、政景に命じた。

 政光に川井を殺させては、政光が私怨で川井を殺したように見える。一度、譜代の子弟を喧嘩の末に殺したことのある憲忠が川井を斬れば、憲忠は譜代連中にますます嫌われる。だから、義宣は政景にこの役を与えたのだろう。政景は義宣の寵童だったために重用されていると思われている。川井を斬ることで、政景は義宣の寵童だったという理由だけで重用されているのではないのだと、譜代連中に思わせることができるとも、義宣は思っているのかもしれない。

 川井が義宣とともに鷹狩りに出かけている間、政景は共に川井殺しを命じられた人見九右衛門(ひとみきゅうえもん)羽石又右衛門(はねいしまたえもん)と横手城内で息をひそめて隠れていた。鷹狩りを終えて川井が城内に入った時、人見と羽石が川井に斬りかかる。止めを刺すのは政景だ。

 政景は今まで人を斬ったことがない。人を斬るというのは、どのような感覚がするものなのだろうか。川井に止めを刺す時のことを思うと、脇差しを握る手が震えた。

 しばらくそのまま隠れていると、城内が騒がしくなってきた。川井と義宣の声が聞こえてくる。鷹狩りを終えて、横手城に入ったようだ。人見と羽石が顔を見合わせて頷いた。もうすぐ川井が、政景たちが隠れている部屋の近くを通る。声が近い。

 人見と羽石が刀を抜いて飛び出した。それに気づいた川井は、目を丸くしている。

「ご上意ぞ。川井伊勢守、覚悟」

「上意だと? 何のお咎めぞ。お屋形様、お咎めは」

 上意だと告げられた川井は、脇差しに手をかけることもなく、義宣の方を向いて、お咎めは、と繰り返している。川井を見る義宣の目は、憐れんでいるような、蔑んでいるような、何とも言えない冷たい目だった。義宣は自分に逆らう者には容赦をしない非情な面があることを、政景は知っていた。

 羽石が川井を羽交い絞めにし、人見が川井を斬りつけたが、川井にはわずかな傷をつけただけで、打ち倒すまでにはいたらなかった。人見は剣の腕に覚えがあることを見こまれ、義宣に川井誅殺を命じられたはずだが、その人見に何度斬りつけられても、川井は倒れなかった。川井はまるで不死身のようだ。

「お屋形様、それがしに何のお咎めが。お咎めは」

 今だ。政景が飛び出して、川井に止めを刺せばいいのだ。脇差しを抜き、政景は川井の目の前に現れた。

「ご上意にございます」

「貴様は主馬。そうか、分かったぞ。内膳の仕業じゃな。甘言を弄しお屋形様をたぶらかす奸臣め。お屋形様、それがしには何の罪もありませぬ。お屋形様」

 川井はなぜ分からないのだろう。川井に何の罪もないはずがない。川井のような人間は、生きているだけで義宣に害をなすのだ。川井の存在そのものが、罪なのだとなぜ気づかない。この期に及んで、政光が悪いのだと思い込み、お咎めは、と言い続けられる川井のことが政景には理解できなかった。ただ見苦しいだけだ。

 脇差しを強く握りしめ、政景は刃を深々と川井の体に突き刺した。これが、人を殺すという感覚なのか。政景が脇差しを引き抜くと、川井はうめき声を漏らし、事切れた。政景は川井の返り血を浴びた。手も体も、川井の血で赤く染まっている。

「お咎めは、か」

「殿」

 事切れた川井を、義宣は変わらずに冷たい目で見ていた。眉間にしわを寄せた義宣の表情は険しく、不機嫌そうに見えた。

「変わろうとしないこと。それだけではなく、変化を認めようとしないこと。それが罪だと気づいていれば、このようなことにはならなかっただろうにな。最期まで、そのことに気づけなかったことが、お前の最大の罪だ、伊勢」

 それだけ呟くと、義宣は川井に背を向けた。

「主馬」

「はい」

「よくやった」

「はっ、ありがたきお言葉」

 川井が政景によって止めを刺された頃、川井とともに政光暗殺を企てていた者たちは、それぞれ別の場所で誅殺されていた。これによって、政光の命を狙う者はなくなり、家中も民たちも、いよいよ政光が家老になるのだと思っていた。政景もそう思っている。民は、渋江様の時代がやってきた、と噂しているらしい。

 だが、義宣はもともと家老にするはずだった政光を家老にはせず、向宣政ひとりを家老に任命した。宣政は義宣よりも十歳年長で、謙虚な人柄であるため、一門や譜代の家臣にも嫌われてはいなかった。宣政は政光ほど飛びぬけて優秀というわけではないが、堅実に与えられた仕事をこなす真面目な人物だ。宣政が家老になることに反対する者は、ひとりもいなかった。反対すれば、第二の川井になると誰もが分かっていたのだろう。

 川井事件が起きてから、自ら謹慎すると言いだして屋敷に籠っている政光に、義宣の決定を伝えに行った。政光は最近あまり眠っていないのか、顔色が悪かった。

「内膳殿、川井伊勢は横手城で討ち取りました」

「そうか」

「殿は、右近殿おひとりを家老になさるそうです」

「それはそうだろう。私のような者が、この状況で家老になれるはずがない」

 淡々と政景に接していた政光だったが、唇をかみしめ、肩を震わせて俯いた。

「家中は、私が殿に川井を殺させたと思っただろうな」

 ぽつりと呟いた政光の声は震えていて、握り締めた拳の上には涙が落ちていた。政光は、自分が義宣をたぶらかしたと思われるのが悔しいのか、それとも自分のせいで義宣が家中に恨まれることが悔しいのか、政光の涙の意味は政景には分からなかった。恐らく、どちらの意味も込められているのだと思う。分かるのは、川井事件は政光の心に生涯忘れられない大きな悔恨を残したのだろう、ということだけだ。

 宣政が家老になってから、政光も以前と同じように登城するようになった。政光は家老に任命されなかったが、宣政の補佐役として働いており、ほとんど家老のようなものだった。川井事件のほとぼりが冷めた後には、政光も家老に任命されるだろう。

 事件からしばらく経った後、政景は義宣にそろそろ許嫁と祝言を挙げる時期だろう、と言われた。許嫁のはなとは、伏見にいる頃は文のやり取りをしていたが、秀吉が死に義宣が帰国してからは、関ヶ原での戦や上洛、国替えで忙しく、文のやり取りもしていない。秋田に入ってからも、政景は多忙だったため、はなには一度も会っていなかった。

 政景の記憶に残っているのは、のびのびとした大きな字を書く幼い子どもの文だけで、許嫁の姿を思い浮かべようとしても、十歳くらいの少女しか思い浮かばない。実際は、はなは年が明ければ十六歳になるはずなので、嫁入りに相応しい年頃の娘なのだろう。まったく想像はできないが。

「お前も川井事件で手柄を立てた。まあ、お前にとっては不本意な手柄だろうが、これでもう梅津主馬は子どもではないと家中に証明できただろう。今が、妻を迎えるいい機会だと思うがな」

「しかし、山方対馬様は今でも私との婚儀に賛成くださっているのでしょうか? 私も内膳殿や兄と同じように、家中では嫌われております」

「それは問題ない。対馬に確認したところ、俺の都合のいいようにしてくれ、と言われた。俺は主馬と対馬の娘が結婚しなければ、都合が悪い」

 義宣は浪人出身の政光や政景に、譜代家臣の娘を妻に迎えさせ、譜代と新参の融和を図ろうとしている。政光の妻は義宣が元服した時に神馬を引くという役目を担った馬場政直の娘だった。政景の許嫁のはなは、義宣の傅役だった山方久定の娘だ。山方家に異存がないのならば、政景にこの縁談を断る理由はなかった。

「では、ありがたくお受けいたします」

「ああ。祝言の日取りは対馬と相談して決めろ。最近暗い話ばかりだったからな。お前が妻を迎えれば、少しは家中も明るくなるだろう」

「はい」

「それにしても、大きくなった、主馬。この間まで金阿弥と名乗っていたような気がするんだが」

「殿、私はもう二十三歳ですよ。こんな薹が立った寵童、どこを探したっておりませんでしょう」

「その通りだ」

 政景の言葉に義宣は笑った。義宣がもう政景を寵童として扱わないと決めた時、政景は義宣に見捨てられたのだと思い、毎日のように袖を涙で濡らしていた。それが、五年以上経った今となっては笑って冗談を言えるくらいになったのだから、義宣も政景も変わったのだと思う。

 これでよかったのだ。義宣は正室の多賀谷御台とも側室の岩瀬御台とも仲は良好のようだし、政景は許嫁と正式に祝言を挙げる。二人とも、互いの道を歩いていけるようになったのだ。

 久定と相談した結果、政景は年の瀬に許嫁のはなと祝言を挙げた。秀吉とその妻の高台院の祝言は、土間に薄縁を敷いただけの慎ましやかなものだったと有名だが、政景とはなの祝言もそれに近いようなものだった。府城も完成しておらず、家臣の屋敷も整備されていない状態では仕方がない。

 政景の想像の中では幼い少女だったはなは、活発そうで明るそうな女だった。文から受けた印象そのままだ。白い打掛に身を包み、恥じらうように俯く姿は、可愛らしいと思った。

 祝言を終えて二人きりになると、はなは両手をそろえて深々と頭を下げた。

「山方対馬守の娘、はなと申します。これから末永く、よろしくお願いいたします。旦那様」

「私の方こそ、よろしく頼みます。おはな殿には、何かとご迷惑もかけることと思いますが」

 旦那様、と呼ばれてもまるで自分のことではないようだ。照れ臭い。何だかむず痒い気もする。それに、妻として迎えたというのに、はなを譜代家臣の娘として扱ってしまっている。はなは政景の妻となって緊張しているようだが、それは政景も同じだったらしい。

「いえ、そんな、迷惑だなんて。はなは旦那様と夫婦になれて嬉しいです」

「嬉しい?」

 譜代家臣の娘を妻に迎えた政光は、妻は自分が譜代の家の者だということを鼻にかけ、浪人出身の夫である政光を見下していると言っていた。なぜ政光の妻にならなければならなかったのか、とよく愚痴をこぼしているらしい。その話を聞いていたため、子どもの頃ならば事情も分からず政景と文のやり取りもしていただろうが、はなも今となってはこの縁談を喜んでいないのではないか、と思っていた。

 政景が首を傾げると、はなはにこりと笑った。屈託がない明るい笑顔だった。

「はい。だって、旦那様はわたくしが思っていた通りの方なんですもの。真面目そうで、優しそうで、素敵な方。わたくし、今でも幼いころに旦那様からいただいた文は、全部持っております。はなの宝物です。旦那様の文は、旦那様そっくり」

「そうですか。私も、おはな殿を見て、おはな殿からいただいた文の通りの方だと思いました」

「まことですか? 嬉しいです。わたくし、旦那様にお会いできる時を、ずっと待っておりましたの。だから、旦那様の妻になれて嬉しい。やっと、お会いできましたね」

 はなの言葉には嘘がない。飾りがない。それは聞いていて分かる。だからこそ、はなの言葉は政景の胸に響いた。政景も、はなには誠実に接しなければならない、大切にしなければならないのだと思わせる力のある言葉だった。

「ありがとう。私もおはなを妻にできて、嬉しく思うよ」

 頬を赤らめて笑うはなに、政景も笑顔を返した。夫婦というものがどういうものか、政景にはよく分からなかったが、はなとならば、よい夫婦になれるような気がした。

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