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道程  作者: 実川
一 無垢の子ども編
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無垢の子ども編(八)

 怖かった。ただひたすら怖かった。

 唐突に現れた義宣にきつく抱きしめられたと思ったら、視界が反転していた。目には確かに天井が映っているはずだが、覆いかぶさる義宣しか金阿弥には見えなかった。その義宣の顔も影になって、よく見えない。それが余計に金阿弥の恐怖心を煽った。

 なぜ、こんなことになっているのだろう。名護屋から無事に大坂へ帰ってきて、義宣は秀吉のもとへ挨拶をしに出かけた。それだけのはずなのに、帰ってきた義宣はなぜ金阿弥にこんなことをするのだろう。

 名護屋からの帰り、母が恋しいと泣いた金阿弥を優しく抱きしめてくれたのは、最近のことではないか。あの義宣が、何をしようとしているのだろうか。

 口づけられて、息ができなくて苦しい。怖い。いつもの義宣ではないようだ。

 俺が怖いか、と問われる。

 確かに今の義宣は怖い。だが、いつもの義宣を知っているから怖くないとも言えるような気がする。義宣が、金阿弥に酷いことをするはずがない。今まで二年以上そばにいて、そのくらいのことは分かっているつもりだ。だから、怖いが怖くはない。

 俺を好きだと言ったよな、と言われた。その声は金阿弥を詰っているようだった。

 今まで口にしてきたこの言葉を疑われるのは、とても悲しくて、震える声で義宣が好きだと訴える。真心をこめて言ったつもりだ。義宣が好きだ。その言葉に偽りはない。今までも、今も、何も変わりはない。

 目を開けるように言われて目を開けると、涙で視界がぼやけるせいか、義宣は泣いているように見えた。それが不思議だったが、何だか胸が痛んだ。

 俺を拒むな、俺だけを見ろ、と繰り返す義宣に鎖骨の辺りを吸われた。少し痛かった。胸をはだけられ、手を這わされ、思わず悲鳴のような声をあげてしまった。それでも、義宣の手の動きは止まらなかった。

 着物を全て剥ぎ取られ、体を重ねられ、揺さぶられながら、金阿弥の意識は朦朧として闇に呑まれていった。


 かすかに射しこむ朝日を感じ、目を開けると、霞む視界の中に義宣の背中が見えた。何か書きものでもしているのか、手を動かしている。

 次第に覚醒していく意識の中、金阿弥は昨夜義宣にされた行為のひとつひとつを思い出していた。思い出すつもりなどなかったのだが、意識せずとも脳裏に浮かんでくる。何度も嫌だ、やめてほしい、と頼んだのに、義宣は離してくれなかった。いつもの義宣ではないようで怖かった。

だが、義宣よりも行為そのものの方が怖かった。不安だった。痛かった。行為の痕跡は、ところどころに見える痣のような跡だけだが、痛みはまだ残っていて、体が軋むようだった。

 今の義宣は、背中しか見えないがいつもの義宣のように見える。安心して、ほっと息をつくと、義宣が振り向いた。その顔は、昨夜見た顔ではなく、いつもの義宣の顔だった。よかった、と安心するとともに、なぜか義宣を見ていられなくなり、金阿弥は布団の中に隠れた。

「金阿」

 優しい声で名を呼ばれ、布団をめくられた。義宣は微笑んで金阿弥の頭を撫でてきた。その手があたたかくて、甘えるように目を瞑った。

「喉が渇いてはいないか? 白湯でも飲むか?」

 こくり、と頷くと既に用意がされていたのか、白湯が入れられた湯呑が差し出された。体を起こそうとすると、義宣が手を添えて支えてくれた。差し出された白湯を飲む金阿弥の様子を、義宣はずっと見ている。義宣に見られていると、何だか恥ずかしい。

 義宣に見られていると、昨夜のことを思い出してしまう。今思えば、あの行為は以前に父から見せられた、男女の閨での秘戯を描いた枕絵と同じだったのだろう。赤面して目を逸らそうとした金阿弥に無理やり枕絵を見せて、父は男同士でもできることだと言っていた。

だが、あくまでも絵を見ただけのことで、何も知らなかったのだ。ただ、昨夜のことが見せられた枕絵と同じことだということは察しがついた。

 たまらなく怖くて、不安で、思い出すと羞恥でいたたまれなくなる。父は、思いを寄せあう者同士のする行為だと言っていたが、義宣はなぜ金阿弥にあのようなことをしたのだろうか。義宣は金阿弥の主で、金阿弥はただの同朋に過ぎないというのに。

 ただ、ほかの家臣たちと比べると、どうやら自分は目をかけられているらしい、ということは譜代の子弟たちからいじめられたことによって分かってはいた。それに、今までそばに置いてもらっていて、義宣が金阿弥にとても優しくしてくれていることは、誰に言われずともよく分かっている。金阿弥が義宣を好きだと言ったとき、義宣も金阿弥を好きだと言ってくれてもいる。それがとても嬉しかった。

 それでも、義宣と金阿弥はあくまでも主従のはずだ。確か、小姓の中にはこのようなことを務めるものもいると聞いてはいるが、もしかしたら同朋も同じだったのかもしれない。父が言いたかったのは、そういうことだったのだろう。

 金阿弥が白湯を飲む間、義宣は、体の具合は大丈夫か、気持ち悪くはないか、と金阿弥の体調を気遣ってくれた。その声はいつになく優しい。思わず甘えたくなってしまう。

「殿」

「何だ?」

「昨夜のことなのですが」

 ちらりと義宣の顔を見ると、義宣は少し気まずそうな顔をした。なぜ、そんな顔をするのだろうか。

「なぜ、あのようなことをなさったのですか?」

「なぜ、か」

 一瞬黙り込んだ後、義宣は金阿弥を抱えて膝の上にのせた。突然のことに驚いて、義宣の肩をぎゅっと掴んでしまった。

「お前は、俺のことが好きだろう?」

「好き?」

「ああ。金阿は、俺のことが好きなんだろう?」

 なぜ、こんなことを聞かれているのだろうか。金阿弥は昨夜の行為の理由を聞いていたはずなのだが、義宣に問いで返されてしまった。そういえば、昨夜もこんなことを聞かれた。そのことを疑問に思ったから、なかなか答えられずにいると、義宣の表情が曇った。

「俺のことを、嫌いになったか? お前に怖い思いも、痛い思いもさせたのだから、仕方がないか」

「いいえ、嫌いになどなりません」

確かに昨夜の行為は痛かったし、怖かった。それでも、やはり義宣は義宣だから、嫌いになるはずがない。

「好きです」

義宣の目を見つめ、好きだと言うと、義宣は安心したように微笑んだ。

「だからだ。俺も、金阿のことが好きだからだよ」

 好き。好き、とはどのような意味だろうか。金阿弥が義宣を慕う気持ちと同じなのだろうか。以前、名護屋で言われた意味と同じだろうか。父に見せられた枕絵の男女が抱いているような気持ちだろうか。分かるような気もするし、分からないような気もする。ただ、金阿弥と義宣は主従なのだから、枕絵の男女とは違う気がするのだ。

「だが、すまなかったな。無理を強いてしまった」

 謝罪の言葉を口にして、義宣は膝の上にのせた金阿弥を優しく抱きしめてくれた。背を撫でながら、すまなかった、ともう一度耳元で囁かれ、顔を上げると、そっと口づけられた。昨夜のような恐怖はない。少しくすぐったいような口づけだった。

「俺にはお前だけだよ、金阿。お前だけだ」

「はい、殿」

 義宣の真意はよく分からなかったが、金阿弥は義宣が好きで、義宣もそうだから、昨夜の行為に及んだのだと言われて、そういうものなのかもしれない、と金阿弥は思った。

お前だけ、という言葉の意味も、どう捉えるべきなのか分からなかったが、金阿弥は義宣を誰とも違う特別な存在だと思うのだから、それと同じかもしれない。そうだといいな、と思いつつ、はい、と頷いた。

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