花屋の太ももと仕事の依頼と
バイクの蒸気音が工房の前で止まった。
イブキは座ったまま、手元のバルブを磨きながら、ちらりと顔を上げた。
目に飛び込んできたのは、バイクを降りたナツメの脚だった。
ミニスカートのすそから伸びる太ももは、程よい肉付き、それでいてしなやかな筋肉であることは近くで見るとよくわかる。花屋のエプロンの下に隠しきれないその力強さに、イブキは思わず目を奪われた。
(……やっぱ、花屋って感じじゃねえよな)
そんなことを考えながら、イブキは慌てて視線を手元に戻す。
ナツメは何事もなかったように、静かに工房の奥へ歩きスピナの前に立つ。
数時間前にバイクの修理を終えて、街へ戻ったはずなのに――
「よぉ、早いな。また何か壊れたか?」
冗談めかすスピナに、ナツメは小さく首を振った。
「いいえ、別件です」
ナツメは、手にしていた書類をスピナに手渡す
「よろしければ、お願いしたい仕事があります」
その声は、いつもの笑顔はなく、ためらいが混じっていた。
スピナとイブキは、工具を置き、ナツメを見つめた。
(あの子いないのね)
ふと、そんな考えがよぎる。 だがリリとフェルは今、繁華街に服を探しに出かけている。
ナツメはほんの一瞬だけ視線を揺らし、しかしすぐに表情を戻した。
(……いいわ)
ナツメは、心の中でそう呟く。
今は、リリがいないことを気にするより、繋がりを作るほうが大事だ。 次に会うための、確かな手がかりを。
ナツメが差し出した書類には、整備依頼の詳細が記されていた。
バイクの修理とカスタム。依頼主は、金庫番のさらに上役だという。
イブキは目を細める。完成されたバイクにさらに手を加えるのは、この街、いやノア全体でも珍しくない。移動手段としても、娯楽としても蒸気バイクは人気である。タク達が廃品の寄せ集めで作るバイクも、労働者の移動手段としては売れる。だが今回は金に糸目をつけないカスタムで、本来ならイブキ達のような工房に回ってくる仕事ではない。
ましては依頼人サインにオオタの名がある。
この街のボスともいえる。オオタ。表向きは元区長で街の御用聞。
「バイクのカスタムねぇ……物自体は運んでくれるのか」
スピナが肩をすくめる。
「いいえ。指定された場所に、バイクと追加パーツが保管されています。受け取りに行ってください」
「わかった。明日取りに行く。」
イブキが答えると、ナツメはようやく、ほんのわずかだけ表情を緩めた。
「ありがとうございます。明日案内しますので、こちらに伺います。
量もありますので全員出かけられる準備でお願いします」
そして、工房に一礼をしてから、再び静かに去っていった。
黒いバイクが、蒸気を吐きながら石畳の向こうへ消えていく。
「オオタは祭りの時、遠くで見たことないあるけど、マフィアのボスには見えないよな」
イブキはぼそりと呟いた。
「マフィアっていうより……ただの祭り好きの親分だろ」
スピナが笑いながら、書類の裏に描かれたバイクのスケッチを見る。
追加パーツの量も、飾りも多い。 イブキの仕事は増えるが、稼ぎも良さそうだ。
「しばらく黒パン以外のメシが食えそうだ」
花屋を始めたばかりの頃、ナツメにはひとつの習慣があった。
毎朝、配達に出る前に少しだけ遠回りをして、カイヅカ工房を覗くこと。
そこにいたのは、三人。フェルと、その父親。 そして、まだ幼いイブキ。
頼りなくハンマーを振るう少年に、父は厳しく言葉を飛ばす。
だが――火花に照らされたその横顔は、確かに楽しそうだった。
配達の途中、ほんの数秒だけ遠回りして、
その光景を見るのが、ナツメの密かな楽しみになった。
誰かを見つめていた時間って、
思ってるよりずっと、心に残るんですよね。
セラでした~、また火花が灯りますように。
本作は毎日更新を目標に、少しずつ蒸気の街ノアの物語を広げていきます。
挿絵も多めに入れていく予定ですので、ビジュアルでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
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