ハンマーとバスターソードと二人の出会い
鉄と油の匂いが満ちた工房に、かすかな寝息が重なる。
昼過ぎ。
まだ誰も、本格的には目覚めていない。
雑魚寝したまま、無防備に転がっているイブキとスピナとフェル。
作業台の隅には、リリが座っていた。
小さな背中を丸め、膝を抱えて静かに座るリリ。
まるで壊れた時計が、ただ時を待つように。
眠ってはいない。
けれど、眠ろうとするでもない。
リリは静かに、じっと工房の中を見渡していた。
油で汚れた床、乱雑に積まれた工具、壁に立てかけられたバイクのフレーム。
そして、ぐうぐう寝ているイブキたち。
少しだけ、リリの目が柔らかくなる。
きっとそれは、昨日までは知らなかった表情。
ぎし、と鉄の軋む音。
イブキが、ぼんやりと目を覚ました。
寝ぐせだらけの頭を掻きながら、ぼうっとあたりを見回す。
リリは、その気配に気づき、小さく首を傾けた。
そして、ほんのわずかだけ、顔をイブキのほうへ向ける。
それは――
「起きたのですか」と、問いかけるような仕草だった。
イブキは、まだ寝ぼけ眼で、ゆるく笑った。
「……おはよ、リリ」
リリは小さく、うなずいた。
彼女の背後では、まだスピナが寝言を言い、フェルが器用に丸まって寝ている。
……さて、扉を開けて、朝の空気でも入れるか。
そう思ったイブキだったが―― 扉の前で足を止めた。
重い。
いつもにまして、鉄の扉は動かない。
湿った蒸気のせいで、蝶番が固まってしまったのかもしれない。
加えて看板のハンマーとバスターソードがさらに重い。
いつか外そう。そう心に決める。
イブキは、手に力を込めたが、扉はびくともしない。
「フェル起こすか……」
諦めかけたそのとき。
小さな影が、すっとイブキの隣に並んだ。
リリだった。
彼女は無言でイブキの手の横に自分の手を添える、
何の苦もない様子で、鉄の扉を押し開けた。
ギギギギギ──
錆びた蝶番が大きな悲鳴を上げる。
その音に、床で寝ていたスピナとフェルが、同時に飛び起きた。
「な、なんだっ!?」 「敵襲かッ……!」
二人とも寝ぼけ眼で、辺りをきょろきょろ見回す。
そして―― 開け放たれた扉の前で、涼しい顔をしているリリと、ぽかんと立ち尽くすイブキを見つけた。
「……お前が開けたのか?」
スピナが呆然と呟く。
リリは、首を少しかしげて、静かにうなずいた。
「すご……」
思わず漏れたフェルの声は、驚きと、どこか嬉しそうな響きを含んでいた。
雨上がりの、湿った空気が工房に流れ込む。
鉄と油の匂いの中に、わずかに土の匂いが混ざった。
新しい一日の匂いだった。
扉を開けたことで、工房の中に少しだけ新鮮な空気が入ってきた。
まだ街全体に蒸気の匂いが立ち込めているが、昨日よりはずっとマシだ。
「腹……減ったな」
スピナが頭を掻きながら、床に転がっていたカップを拾う。
「軽く何か食うか」
イブキがそう言いながら、棚から固くなったパンを出す。工房の朝はいつもこんなものだ。手早く、雑に、でもそこそこ満足できる程度に。
工房の隅のテーブルでパンをかじる。水が入ったコップが4つ。普段は3人別々のものを飲むが、今日は水で統一してみた。
スピナがパンをもぐもぐやりながら、ふと外に目をやった。
「……にしても、あの看板。なんであんなもん作っただ?」
「ハンマーとバスターソードのやつ?」イブキが水を飲みながら問い返す。
「そう。実用性ゼロのあれ。ハンマーはともかく、
あのバスターソード――誰が振り回すんだよ。俺もイブキも無理だし、
フェルだって……持ち上げるのがせいぜいだろ」
「飾りだよ、あれは」イブキが肩をすくめる。
「フェルの父親の悪ふざけだよ。実用も考えて耐久性は折り紙付きだ。
あと、フェルが小さい頃に『あれがあると強そう』って言ったの、覚えてるか?」
「言ってたんだって。しかも『あたしがでっかくなったら振り回してやる』って」
「言ってない」
「じゃあ、リリに振らせるか?」スピナが半分冗談で言うと、フェルが真顔で返す。
「いけるかも」
「だよな?」
みんなの視線が一斉にリリへ向く。
リリはきょとんとした顔で、コップの水を飲んでいた。
そんな中、ケイがふとリリに話しかけた。
「なぁ、リリ。昼過ぎに街に買い出しに行かないか? 服とか、いるだろ?」
リリはコップを手に持ったまま、少しだけ首を傾げる。
「……服?」
「ああ。今着てるレザーアーマーじゃ、さすがに普段歩くには目立つからな。それに破れてる」
「特に繁華街だと、な。目立つと、面倒が起きる」
スピナがパンに飽きた顔で言う。
「……わかりました」
リリは静かにうなずいた。
イブキはそれを見ながら、ふっと笑う。
まだ何も知らない子どもみたいな顔だ、と少しだけ思った。
遠くからバイクが近づいてくる。他のバイクとは違う。少し静かなバイク
イブキが顔を上げると、扉の向こうに見慣れた影が立っていた。
「……ナツメさん」
ゴーグルを額に上げたナツメが、笑顔で工房を覗き込んでくる。
「さんはいらないわよ。顔は知ってるけど、初めましてご近所さん」
細身の体に黒いシャツとエプロン。配達中か仕入れの後、
バイクの後ろには花が積んである。
「バイクの調子を、見てほしいのですが」
ナツメはそう言った。ふとリリと目が合う。
「こっちは見ない顔ね、新人さんかな、よろしくね」
問いに、リリは首を傾げ、フェルが少し慌てる。だがそれをスピナがさえぎる。
「ワイヤー数本とバルブ取り替えで2万かかるがいいか?」
スピナの手にはすでに、取り替え用のパーツがある。
「まだ見てもないのにわかるんですか?」
ナツメはスピナに目を向ける。
「そういうのこいつは得意なんですよ」
イブキは少し得意げにいう。昨日もだが、スピナの判断は早くて正確だ。
おちゃらけている時の方が多いが、機械に対する理解力が早い。
「そうですか。ではお願いします。」
工房の隅に立つナツメとそそくさと出かけようとするフェルは階段を上がる。
昨日は疲れてその場で寝てしまったが、フェル達の部屋は2階にある。
しばらくすると フェルのシャツとイブキのオーバーオールに着替えたリリと、
ブラウスにハーフパンツのフェルが降りてくる。
「フェルが女の子になってる」
「その喧嘩買おうか」
スピナの手をフェルの握力が襲う。スピナの顔が歪む、フェルは微笑んでいる。
その様子を気にしないイブキはナツメから代金を受け取り。そのままフェルに手渡す。
「この不調は結構前からじゃないのか」
フェルに握られた部分をさすりながらスピナはいう。
ナツメは静かにゴーグルを装着する。
「まだ問題ないと思ったのですが、今朝は気になってしまったので」
「壊れかけになったら、すぐ直す。その方が道具は長持ちするから。
別の修理があったらまたきてくれ」
スピナには珍しく真面目な受け答えにイブキは首を捻る。
「そうですね そうします。新人さんもまたね」
ナツメはまたバイクに跨り走り出す。遠ざかるバイクは来た時よりも静かに走り出す。
リリは遠ざかるバイクと蒸気をしばらく見ていた。
双剣とバスターソード。
出会っただけで、何かが動き出す――そういう日もあるんです。
セラでした、次の歯車もお楽しみに♪
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