表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/50

蒸気と花と暗殺者

ノアのみなさーん、今日も蒸気とともに笑っていきましょう!

……って言いたいところだけど、今日はちょっと重ため。

花束を届けたあの子が、裏通りで“刃”になるお話。

タイトルは『蒸気と花の暗殺者』。覚悟、できてる?

ナツメはバイクを走らせる。


人が歩くより少し早い程度。古い石畳がバイクを揺らす。

ゆっくりと街並みを眺めながら進む時間を、彼女は嫌いではなかった。

できれば、仕事とは関係なく見て回りたい――そう思うこともある。


だが、それは叶わない願いだ。


商館が並ぶ通りから少し外れた道に、風に揺れる案内札がある。

錆びた鉄枠に無造作に貼られた札には、

〈空き倉庫・改装済〉〈職人工房・通気良好〉――と手書きの文字が踊っていた。


表向きは〈物件斡旋所〉。

だが知る者は皆、この建物を“金庫番”の根城と呼んでいた。


ナツメは花束を小脇に抱え、バイクを降りる。

額のゴーグルを外し、湿った蒸気を一度、深く吸い込んだ。


取っ手の鈍く光る鉄扉を前に立ち止まる。

中では記録係たちが、彼女に一瞥をくれるが、手を止める者はいない。


扉の奥。

そこに“金庫番”がいる。


「金庫番」と呼ばれる男、レイグ=ノアは、表の肩書きこそ“物件管理人”だが、

実態はこの街の裏を取り仕切るマフィアの幹部にして、

フォージの財の半分を持つとも噂される資産家である。


ただし、“ノア”の名を名乗ることは稀だ。


ノアの名を知らぬ者はこの街にはいない。蒸気都市ノアの創成期を支えた名家。

だが今では、政から外れ、富も地位も地に落ちた没落貴族の象徴となっている。

レイグはその“ノア家の落胤”だった。


とはいえ、彼はその出自を恥じてはいない。

むしろ、“ノア”の名を再び都市に刻もうとする野望を隠しもしない。


家の再建――それは彼の内に燃える火種であり、

フォージの未来を塗り替える野心そのものだった。

事実、没落後に一人で財を成した。


かつてこの区画をまとめていたのは、人々をつなぎ祭りを仕切る存在――オオタという男だった。

レイグはその組織で頭角を現し、やがて後を継ぐようにして、

工場街の飲み屋通りを強引に区画整理し、今の“商業街”へと作り変えた。


やり方は強引で、彼を悪く言う者も少なくない。

だが今、この“フォージ”を統べられるのは彼しかいない――

誰もがそう思いながら、口を閉ざしている。


ナツメは無言で鉄扉を開け、足を踏み入れた。


蒸気とタバコの煙が立ちこめる室内。


その中央、重厚な机に肘をつき、レイグ=ノアが座っていた。


彼の右手には鋼製の鍵。小さな歯車の装飾が刻まれた、

古風なそれを、金庫番は無意識に弄んでいる。

――決して肌身離さないもの。眠るときも、枕元に置かれているという。


何を守る鍵かは、誰も知らない。ただ、その仕草ひとつで

“金庫番”と呼ばれる理由の片鱗が見える。


ナツメはそのことに触れず、ただ一瞬だけ視線をその鍵に向けた。そして何事もなかったように、無言のまま机へと歩みを進めた。


ナツメは机の前に立ち、花束をそっと置いた。

香りは控えめな白花。淡く、儚い香気が蒸気と煙に溶けていく。


「ご苦労だったな、ナツメ」


金庫番は手を止めず、ただ目だけを上げて言う。

鍵を弄ぶ指の動きは止まらない。花束には一瞥もくれない。

どうせ誰かが後で飾るのだろう。


ナツメは軽く頭を下げただけで応じた。

この男が花を注文するときは、決まって“それ以外”の用があるときだ。


「蒸気の中に咲く花はいいものだ」


金庫番の目が細くなる。独り言のような、誰にも聞かせる気のない声。


「だが、花はすぐに枯れる。お前はどうだ?」


問いに、ナツメは答えない。枯れるかどうかを考えるより前に、

彼女にはまだ“咲いている”という自覚さえなかった。


「居場所がなくなったお前を、拾ってやったのは俺だ」


鍵を回す指がぴたりと止まる。声色には、嘲りも憐れみもない。

冷たく、ただ事実だけがそこにある。


「部隊はもうない。だがお前の刃は、必要とされている。そうだろう?」


ナツメは何も言わない。ただ視線を落としたまま、微動だにしない。

金庫番は少し笑い、椅子を軋ませて立ち上がる。鍵は手の中に収めたままだ。


「ま、いいさ。お前には、まだ役目がある」


彼は背後の棚から封筒を一枚抜き、机に置いた。


「安心しろ。綺麗なエプロンのまま戻れる仕事だ。……今回はな」


ナツメは一瞥してそれを受け取る。中身は見ない。


「簡単な探し物だ」


レイグはそれだけ言い、また鍵を弄び始める。

その音だけが、室内に規則的に響いた。


ナツメは何も言わずに踵を返す。

ドアノブを回す瞬間、鍵の音が、まだ続いていた。


ドアが閉まり、湿った蒸気の空気が再びナツメを包む。


彼女はバイクにまたがり、無言でゴーグルを下ろした。

黒いバイクは、またノアの街へと静かに溶け込んでいった。




探し物


昨夜、胸にぽっかりと穴を開けたまま稼働していた異形の個体。


外観はリグオンに酷似していたが、明らかに異質だった。


ナツメは、それを“切るべき枝”と見なした。




止めなければならない――そう判断し、彼女はダガーを手に取る。


左目に眼帯を巻き、裏の顔に切り替わる。


“街のいらない枝葉”を静かに刈り取るのが、彼女の役目。


その存在は、明らかに異物だった。




だが、その頃。駅近くで別のリグオン暴走事故が発生。

優先順位が変わった。



ソレは、放置された。


動けるはずがなかった。


仮に動いたとしても、遠くへは行けない。


――そう、判断していた。


……だが。


ソレは、消えていた。


「枯れない花か」


ナツメはそっと眼帯に触れた。


挿絵(By みてみん)







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ