蒸気と太ももと視線の先と
オオタの屋敷の庭先では、ぽつぽつと宴会が始まりつつあった。
蒸気の香りと焼いた肉の匂いが交じり、
誰かが調律の狂った楽器で陽気な調べを鳴らしている。
スピナが声をかけた。
「イブキ、向こうでナツメが呼んでるぞ」
「……ん」手にしていた湯呑を置いて、イブキは立ち上がる。
スピナは肩越しに笑って言った。
「すごい絶景だぜ」言われてふと振り返る。
確かに、屋敷の庭を縁取るように咲き誇る桜は、まるで春の噴煙のようだった。
枝の向こうに夕陽が差し込み、蒸気と花びらが舞い上がっていた。
縁台を渡ると、奥はウッドデッキのようになっていた。その角を曲がると──
ナツメがいた。
背を向け、桜に囲まれた手すりにもたれている。
髪は軽く束ねられ、セーターの背からは微かに蒸気が昇っていた。
その背中が、やけに遠く感じられた。
声をかけようとして──ためらう。
振り返ったナツメは、不機嫌そうな顔をしていた。
けれど、どこか気が抜けたようでもある。目が合ったその瞬間、イブキはふと、思った。
──少女が、大人になろうとしている瞬間ってのは、こういうものなのかもな。
その表情も、背に浮かぶ蒸気も、そして何より、セーターから伸びる太ももが目を離せないほどにまぶしかった。
なるほど──確かに絶景だ。
ナツメは少し目を伏せていたが、やがてぼそりと口を開いた。
「……お礼、言いそびれてたから。あと、謝ってもなかったし」
イブキは目を瞬かせた。「謝罪はともかく……お礼されるようなこと、したっけか、俺」
「あるのよ、そういうの」ナツメは視線を桜に戻した。「あなたには、ただの何気ないことでも──私には、ず
っと大事に抱えてたものだったの。救いだったのよ」
そして、わずかに口角を上げた。「……ま、何気ないことで刺さってた呪いもあるけどね」
「おい」
「それはリリが、変な技で飛ばしてくれたわ。豪快に、ね」
イブキは思わず笑った。風が、蒸気と花の匂いを運んでいく。
「……あの子、強いからな」
「うん、強いわね。そう思う。あの子には、敵わない」
沈黙が、優しく流れた。桜がはらはらと舞っていた。
ナツメはふと黙り、何かを思い出したように視線を外した。
「……ねぇ、ずっと見てるけど」
「ん?」
「この格好……変だった?」ほんの少しだけ、目を伏せた。
しまった、とイブキは思う。目線を外す余裕なんて最初からなかった。
太ももも、セーターも、全部が目を引きすぎていた。
「いや、その……」
「リョウがこれで行けって、しつこくて……」
ナツメは顔をそむけ、もじもじと身じろぎをする。
心なしか、背中からの蒸気が濃くなっているような気がした。
困った。この状況で何を言えばいいのか、イブキにはわからない。
──出会った少女が、蒸気と太ももを見せつけてくる
静かな桜の下で、それは世界のすべてを塗り替えるほどに、美しかった。
ナツメは今日も、きっとどこかで煙を立てている。
でもその背中にはもう、熱だけじゃなくて、花の匂いが残っている気がした。
祭りに戻る途中リリに会う
「ナツメと何を話してたんですか」
いつも通りの冷静な声だが、怒ってるようにも感じる。
普段とは違う黒の服が、そう見せるのかもしれない。
今日も、太ももを出しながら蒸気を出している。
でも、今日は――いつもより蒸気が多い気がした。
やはり怒っているのかもしれない。
だがやがて、蒸気にリズムが見え始める。
確か、フェルに褒められた時と同じリズムか。
リリが感情というものを知り始めているのだろうか。
顔は無表情を装ってるが、蒸気で語られてる気がする。
今日は圧が高めだ。
出会った少女が、蒸気と太ももを見せつけてくる。
まるで――生きていることを、確かめるように。




