抱擁と衝撃と空
「壊れかけっていうけど、それって壊れてるわよね。そうは思わない? リリ」
赤い目の少女――ナツメは、冷えた声でそう言った。
背中と太ももから蒸気が噴いた瞬間、ナツメは限界を超えていた。
「……壊れてるよね、それ。『壊れかけ』なんて甘い言い方じゃ済まない。ねぇリリ!」
それは自分への問いかけ。
「ナツメ」
リリは呟くように名を呼ぶ。
視界が蒸気で曇る。二人の背から白い蒸気が立ち昇り、
ナツメの白い太ももからも、過負荷排熱の霧が静かに噴き出す。
限界を超えたとき、彼女の身体は“蒸気で叫ぶ”。
蒸気が、胸の奥でうねる。
鉄の骨と、止まらない祈り。
リグオン──骨組みとスイッチ。
リグレイン──骨組みと、雨のような涙。
鎖は焼き切られ、制御は祈りに変わる。
心が芽吹いた時、骨組みは運命を背負う。
その名を、リグレイン
……ナツメは、よく泣く。
目の前の、赤い目の少女は――出会った時から、リグレインだったのだ。
涙を止めたい。私も、みんなも、ナツメを受けとめる。
――そのために。
私は、あなたを抱きしめる。
低い体勢――ナツメは地を這うように滑り込み、リリの足元に潜り込む。眼下には、背よりも長いバスターソード。
(リリを……沈黙させる)
息を殺す間もなく、巨大な刃が上段に構えられる。
(切られてもいい。私は、もう……)
終わりにしたかった。止めてほしかった。だけど、誰も止めてくれないのなら、自分の意思で終わらせるしかない。
最後まで、マシンとして生きる。その覚悟で、ナツメは刃を振り下ろそうとした――だが。
「……え?」
リリの頭上に、バスターソードはなかった。
いや、正確には――リリの背後、石畳に突き刺さっていた。リリの手から離れたその大剣は、鈍い音と共に地を抉る。
同時に、リリの身体が一歩、いや半歩、前へ詰められる。一歩分の間合いを潰されたナツメの手にあるのは、細身のダガー。その刃は、リリの胸元まで届かない。
(……しまった)
動けない。ナツメは、もはやタックルのような形でリリに抱きつく格好になっていた。もつれるような姿勢。
――その瞬間。
「ぷしゅうっ!」
両者の背中から、蒸気が高く噴き上がる。
膨張する白煙が、夜の石畳を包み込む。視界を遮るその霧の中で、ふたりの姿は一瞬にして飲まれた。
次に見えたものは――
月光に浮かぶ、ナツメの太もも。
空中に――いや、上下が逆転したように見える。
(っ……!?)
蒸気が、さっと晴れていく。 白く切り裂かれた霧の先で、見えたのは――
リリの肩に担がれたナツメ。そして、地面に叩きつけられる瞬間。
完璧な回転。その勢いは、受け身を取らせないほど滑らかで、残酷だった。
――ブレンバスター。
それは、蒸気格闘の中でも珍しい、投げ技。そして、明らかに自分ごと崩れ落ちる覚悟の一撃。
リリの細い身体からは想像できない、豪快で、重たい投げ。
地面に響く衝撃音とともに、ふたりは崩れ落ちた。
それは、止めを刺す技ではなかった。だが、止めさせないための技だった。
倒れたまま、ナツメの手は空を掴んでいた。涙に濡れたその瞳に、蒸気の街の月が滲んで見えていた。




