半歩先の視界
リリは、バスターソードを軽く何度か振った。
ぎゅい、と蒸気の軋む音を立てながら、巨大な刃が空気を切る。
そして、正面を向く。
その姿を見て、ナツメはわずかに口元を吊り上げた。
それは笑顔と呼ぶにはあまりに静かで、どこか諦めにも似ていた。
背中のベルトから、双剣を引き抜く。
――片手に一本ずつ。さらに腰には、まだ1本ダガーを忍ばせているようだった。
リリの白いコートと、ナツメの黒一色の戦闘服。
ふたりを照らすのは、バイクのヘッドライト。
静かな時間が、流れる。
リリの背から、白く細い蒸気が立ちのぼる。それに応じるように、ナツメの背中からも濃い蒸気が噴き上がった。
刹那――
ナツメが飛び出す。
弾丸のような速さで、間合いを詰める。
リリの胸元へと、双剣の刃が一直線に伸びた。
だが、リリは動じない。
持ち上げたバスターソードの「柄」で、その刃をすくうように、受け流す。
――ギィィン!
金属同士が高い音を立てて弾かれる。
ナツメは、すぐに数歩バックステップ。
驚きも焦りも見せず、自然な動きで間合いを取り直した。
次の瞬間には、ふたりとも――また何事もなかったかのように、開始の位置に立っていた。
ヘッドライトの光。
白と黒。蒸気と熱気。剣と刃。
二つの意志が、静かに火花を散らしていた。
遠巻きで見守る者たちがいた。
フェルは、拳を強く握ったまま動けずにいる。
「本当に大丈夫、リリ……」
誰にともなくつぶやく。
リリを“物”としてではなく、“人間”として見ている。
それはイブキも、多分スピナも同じはずだ。
白いコート。チタン合金の青い剣。頭上高く掲げたその剣が、静かに、しかし確かな存在感を放っている。
それは、たとえ素人目にもわかるものだった。
「……でも、あんなでっけぇ剣で上段、まともに振り下ろせんのか?」
誰かが小声で囁く。
それは当然の疑問だった。
バスターソードは重い。振り回すどころか、支えるだけでも常人には難しい。
だが――
リリの両腕は、ほとんど震えていなかった。
イブキはごくりと息を呑む。
(……やっぱ、ただの力任せじゃない)
リリの背、レザーアーマー隙間から細い蒸気が立ちのぼる。
それは、まるで静かな狼煙のように、夜空へ消えていった。
次の瞬間、ナツメが地を蹴った。
――音もなく、二つの影が動いた。
上段から振り下ろされるバスターソード。空気を裂く重い一撃。
ナツメはそれを、見切った。
細い身体を滑らせるように横へ跳ぶ。 リリの巨大な剣が、ナツメの頭上をかすめた。
同時に、ナツメの刃が閃く。
目指すはリリの首元――!
しかし。
「っ……!」
バスターソードが、あり得ない軌道で横薙ぎに振るわれた。
――重さを感じさせない、速さ。
ナツメは即座に反応する。 刃を引き、リリのバスターソードの動きに沿うように、低く小さく飛んだ。
飛ぶというより、刃の上を滑るように。
そのまま――
ナツメは空中で体をひねった。
飛びながら、リリの顔へ膝を叩き込むために。
白と黒の影が交錯する。
一瞬、空気が弾けたような音がした。
イブキたちは言葉を失った。
(――速ぇ……!)
リリは顔を、わずかに傾けた。
膝は空を切る。
リリの無表情な顔が、すぐ目の前にあった。
ナツメは、空中で次の動きを探りながら、初めて、リリの「戦い方」にぞっとするような違和感を覚えた。
(この子……ただの力技じゃない……!)
誰も声を出せなかった。ただ、目の前で繰り広げられる“本物の戦闘”に、息を呑んでいた。
そして、着地するナツメと、再びバスターソードを構え直すリリ。
二人の間に、蒸気がふわりと立ちこめた――。
二人は再び距離をとった。
――ほんの半歩。それだけで、命の境界だった。
歩み寄れない、たった半歩。
そして、
遠く汽笛が鳴った。
夜を、裂くように。




