出会って即コロシアイ
リリの目の前には虎と牛、そしてその奥には夏目がみえる。
歩み寄ろうとすると虎が前を遮る。
「いや、良かった。今日で仕事が終わるとなると、すごい楽だ」
虎の獣人が顎を撫でながら、上機嫌に笑う。喉の奥から、猫のような声が漏れそうだった。
「呼び出しに応じてくれてありがと。武器も持ってないし――これは、おとなしくついて来てくれるかな?」
軽口を叩く虎に対し、リリは何も答えない。彼女の視線は虎でも牛でもなく、そのさらに奥――ナツメへと向けられていた。
「ナツメさんに用があって来ました」
静かに、しかしはっきりとそう言った。
虎は片眉を上げたが、表情は崩さない。そのくせ、身体は緩やかに間合いを詰め始めていた。
「ふーん……そうかい。なら――」
その言葉と同時に、虎が一歩踏み込んだ。
次の瞬間、リリの足が跳ね上がる。
その動きには一切の殺気も予備動作もなかった。
ただ、ごく自然に、静かに――虎の胴を薙ぐ蹴りが飛ぶ。
足が触れたかと思うと、虎の巨体がふわりと宙に舞った。
風に吹かれた枯れ葉のように、音もなく着地する。
「やるね。殺気も気配もなしで蹴りが来るとは驚いたよ」
虎はそう言いながら、楽しげに笑った。余裕すら感じられる表情。
その表情が、次の瞬間には消えていた。
「じゃ、こっちの番だな――!」
鉄の爪が音を立てる。虎の右腕が沈み、低い姿勢から一気に跳躍する。
速い。
だが、反応は遅れない。リリの身体が半歩引く。蒸気が足元で噴き出す。
リリの拳が、虎の爪と交差する――!
ガンッ!
二人の距離が開く。
「……やっぱり、良いなぁ」虎は、目を細めて笑う。
「手加減しなくていい相手って、久しぶりなんだよね」
虎の表情は、まるで試合を楽しむ武道家のそれだった。
リリは何も言わず、呼吸すら見せない。
だが、互いに分かっていた。これはもう遊びではない。
三度目の衝突は、一瞬だった。
虎の鉄爪が、弧を描いて宙を裂く。
リリの足が地を蹴る――すでにそこにいない。
小さく、鋭い、風切り音。
(近い。間合いが詰まってる。次は、距離が取れない)
リリが視線を虎に向けたまま、次の一手を読み取ろうとした、その時――
空気が、重くなった。
気配の変化。それは“前”ではなく、“背後”からだった。
「――ッ!」
振り返るより先に、地面が沈んだ音が響いた。
リリの背後、そこに――牛がいた。
**
挟み撃ちの形が完成していた。
虎は薄く笑ったまま、構えを解かない。
牛は無言のまま、ギアを軋ませながら地を踏みしめる。
(どっちかが潰せばいい、って顔じゃない。“逃がさない”構えだ)
リリは、ほんのわずかに息を呑む。
ナツメはまだ、あの位置から動かない。
「いい配置だろ?あとは……どう、抜けるかだね」
虎が、楽しげに言った。
リリは両者の間に視線を配る。
虎の構え、牛の無言の重圧。
空気が裂けるような間に、リリの太ももが、わずかに震えた。
(……身体が、まだ追いついてない)
ほんの一瞬、リリの足元に白い蒸気が滲む。
その震えを、虎は見逃していない。
牛は構わず前進する。
空間が一気に、閉じる。
彼らは知らないこれは、恐怖の震えではない。
リグレインの、リリの、太ももから蒸気が漏れる。
リリは地面を蹴った。
だがその身体は、前ではなく、宙へと舞った。
まるで宙返りのように、しなやかに、そして静かにリリのつま先が虎のアゴを襲う。
体をわずかに逸らし、虎は蹴りを避ける。追撃しようとするが、リリは頭上を反転する。
牛が動く。重い足音とギアの軋みが追いかける。
頭上を飛ぶリリにツノを向け迎撃に備える牛。
その瞬間、リリの手が牛の角を掴んだ。
(――ここ!)
力を逃がさず、そのまま体ごと膝を振り下ろす。
高さとリリの重量を乗せた膝が、牛の額に叩き込まれた。
蒸気と風が一気に吹き上がる。
鈍い衝撃音が、工事現場の無骨な空間に響いた。
牛の巨体が一歩よろめく。
鉄骨が軋むような音が、頭から伝わる。
だが――
(……硬い!)
リリの足が跳ね返されるほどの抵抗。
牛の骨格は、ただの獣ではない。
それでも、リリの目は逸らさない。
震えていた太ももは、もう止まっていた。
リリの蒸気は巡り、戦闘準備は整った。
戦うことに迷いはもうない。
「やるな」
虎が、満足気に口の端を持ち上げた。




