レッドアイの隠し事
最後にあの子に会ったのはいつだったかね。
最後はこんな感じだったかね、
カウンターの一番奥で、アカネとジョグが静かにグラスを傾けている。
「……そういや、目が似てるな」ジョグが言った。視線の先では、別のテーブルで一人、ナツメが強い酒をあおっていた。
「昔、いたんだよ。赤い目で、猫みてぇに静かで――まっすぐで、でも、妙に鋭くてな」
アカネはナツメの横顔を見て、少し笑う。
「似ているから、あれも好きかもね」
アカネはナツメの席に歩いていく。ナツメは顔を上げることなく、視線だけでアカネを見る。
「強い酒ばっかじゃ、喉が焼けるよ。チェイサー代わりに、これ」
アカネは、グラスを置く。ビールに、深紅のトマトジュースが沈んでいく――レッドアイ。
「……これは?」
「ビールにトマトジュースを入れたカクテルの一種。強いばかりじゃ体に悪いだろ」
ナツメはじっとグラスを見てから、ひと口。「……面白いですね」
その言葉を聞いて、アカネはふっと笑う。丸ごとのトマトを取り出して、そっと差し出した。
「こっちも食べるかい?」
ナツメは一瞬だけ眉を動かし、「……遠慮します」と静かに言った。
「……だろうね」アカネは答えた。
どうやら――やっぱり、あの子の成長した姿ってことではなさそうだ。
「なにやってたんだ?」
カウンターに戻ったアカネに、ジョグが訊く。
「ううん、ちょっと懐かしくなっただけ」
ふたりはまた、昔話の続きを始める。
ナツメは窓辺にグラスを持って立ち、静かに、夜空を見上げていた。
その瞳に映っていたのは、赤い目の少女が見ていたのと――同じ月だった。
そういや、あの後から見てないね。
◆◇◇
いつも見てた顔がいなくなるのは、この街ではよくあること。
それを気にしてたら、こんな商売はできないんだけど――
まあ、従業員の士気が下がるのは、問題だわ。
大丈夫よ。どうせそのうち、帰ってくる。
……あの子は、嘘をついていた。隠し事もしていた。
この街じゃ珍しくない。大ボラ吹きも、せこい嘘つきも、いっぱいね。
嘘じゃなく言わないことだってある。別にそれは悪いことじゃないだろ。
隠し事ってわけじゃない。言わなくていい事なんて山ほどあるだろ。
でも――あの子は気にするんだよ。
真面目すぎるのか。他人の目ばかり気にして。
それでも、うちの従業員には人気があったさ。ああ、街の連中にもね。
でも当人は、わからないんだ。
……あー、気になるかい? いいトマトだろ。
その子がさ、レッドアイってカクテルが好きだったんだよ。
ビールに、絞ったトマトを入れるだけ。
赤く染まるのを、黙って見てた。楽しんでたのかね。どうだろ。
帰ってきたら、一杯奢ろうと思っててさ。
あの子がいないと、客足にも響くんだよ。
よく飲むからね、他のスケベも頑張って飲むんだ。
まだ拗ねてるのかい?
……大丈夫だよ。
違う面を見て怖くなった?
そういうこともあるだろうよ。
じゃもう会いたくないのかい?
そうかい、なら大丈夫だ。
頼もしいよ。
あ、バンビ。
うかうかしてると、持ってかれるよ?
――もう遅い? そうかい。
今回の件はオオタが絡んでるんだろ?
あとでとっちめとくよ。
◆◆◇
あんたってさ、ずるいよね。
自分だけ全部抱えて、ひとことも言わずに、“大丈夫”って顔してた。
……まあ、あたしも似たようなもんだけどさ。
こっちだって、言ってないこと、山ほどあるし。誰にも言えないことなんか、誰にだってあるって、思ってたけど――
あんた、そういうの、絶対に誰にも見せなかったよね。
なんでさ。言ってくれたら、さ。
あたしが怒るとか、泣くとか、そんなのどうでもいいじゃん。
そもそもあたしだって、あんたに言ってないことあるんだから。……だから、あんたの“言わない”のも、ちょっとだけ、わかる気がしてる。
でもね――
それでも、あたしは、戻ってきてほしいって思ってるんだよ。
これだけは、秘密にしないで言っておく。
あのとき、シャワーのあと。ちらっと見せようと思った。
三つ編み。ボブにしたとき、少しだけ残したんだよ。あんたの真似。……っていうか、あたしなりの“お守り”ってやつ?
あんたに言おうと思ってたの。「ほら、これ見てよ」って。
でも、できなかった。
タイミング? ちがうな。そんなの、いくらでもあった。
あたしも、あんたと同じ。胸のうちを吐き出すのが、こわかったんだよ。
あのとき、シャワーのあと。ちらっと見せようと思った。
三つ編み。ボブにしたとき、少しだけ残したんだよ。あんたの真似。……っていうか、あたしなりの“お守り”ってやつ?
あんたに言おうと思ってたの。「ほら、これ見てよ」って。
でも、できなかった。
あたしも、あんたと同じ。胸のうちを吐き出すのが、こわかったんだよ。
あの時怯えてしまったこと謝りたいんだ。
早く帰ってこい
帰ってこないならこっちから行ってやる。
覚悟しろ。
◆◆◆
【観測対象 NATSUME】
氏名:ナツメさん観測期間:不確定/継続中?
【運動能力】:高いです
バイクを緩やかに運転してますが、
無駄なく手足のように使いこなします。
自転車で苦戦する私とは違うようです。
重心がまっすぐでとても綺麗に歩きます。
【言語能力】:丁寧です/ときどき途切れます
言葉を選んで話しているように見えます。とても静かに話しますが、目を見れば伝わることもあります。返事に迷っている時、たぶんいろいろ考えているのだと思います。その沈黙は、私は嫌いではありません。
【感情】:あります
最初は、ないのかと思いました。けれど、お花を見た時、リョウさんに話しかけられた時、誰かを見送った時、そのたびに、心が動いているのを見ました。目の動き、手の力、声の響き。全部、ちゃんと動いていました。
スピナには厳しい目を向けてるようです。
【身体的特徴】
黒髪ボブ 私と同じくらいの身長 赤い目
花屋さんの時と前回とでは目つきが別人でした。
隠れ巨乳です
【人間らしさ】:よくわかりません
けれど、私は好きです。理由は、まだわかりません。
【好きなもの】:まだ聞けていません
でも、花を長く見ていた日がありました。あと、強いお酒を最後まで飲み干すところも見ました。私は“好き”だと記録しました。
【危険性】:あります
自分を壊そうとするところがあります。その時の顔は、なぜか私と似ていると思いました。止められないとき、私はたぶん泣くと思います。(でも、涙の出し方は、まだ不安定です)
【総合評価】:観測中
壊さないように、記録を続けます。この人がどうなるか、私は知りません。でも、少なくとも私は、この人がいなくなって泣く人を知っています。この人を見守ってる人達を知っています。
判決 私はこの人をまだ観測します。
壊すことも壊れることもさせません。




