丑寅から鬼が来る
花屋へ帰らなくなったナツメは、レイグの私兵たちの宿舎にいた。
任務で顔を知っているのもいたが、ナツメは避けられていた。
得体の知れない機械人形。
そうその反応が正しい。
何もない部屋で何もしない。考えるのが面倒になったナツメを現実に戻したのは
宿舎食堂での騒動だった。
数人の私兵が倒れていた。床に転がる工具と、引き裂かれた防護服。
獣臭い。血の匂いではなく、もっと土に近い――乾いた干し草のような匂いが、空気に満ちていた。
原因は明らかだった。
虎と牛。 人の形をしているが、どこかで“そうではない”と直感できる。
ノアにも獣人はいるが、この二人は違った。血が濃い。
まるで“獣が人を模倣している”ような存在だった。
虎はまだ衣服らしいものを身につけていた。
ジャケットに、金属の爪――ギアだ。 右手には五本の鋼鉄の鉤爪が装着されている。
使い方は容易いが、使う人間が強くなければナイフのほうが効果を発揮する。
虎はその点は問題なさそうだ。自分の爪の延長なんだろう。
牛は、パンツ一丁。ノアでも一部の闘技場で好まれるスタイル。 両脚には異形のギアが装着され、筋肉の収縮を補助するように設計されていた。こっちは突進力強化のようだ。 そして今――牛は黙々と、干し草のような丸めた植物を口いっぱいに頬張っていた。
(……何だこれは)
ナツメは無言で彼らを見下ろす。
「人間は、すぐ見下す」
虎がぽつりと呟いた。
「同じ場所で飯も嫌がられた。だから少し、躾けてやっただけだ」
そして笑う。
「……でもな、こいつの干し草は確かに臭ぇぞ」
虎が目を細めて夏目を見る。
「お前が……ナツメか」
虎の声は低く、荒れていたが、不思議とよく通る。
ナツメ「……虎と牛ですか」
少しだけ目を細めて、視線を落とす。
「御伽話の鬼ですね」
「面白いことを言うな、機械人形」
虎の爪が、ぴくりと動く。
一触即発の気配――
だが次の瞬間、肩の力を抜いて笑った。
「人外同士揉めて喜ぶのは人間だ。それがいちばんおもしろくない」
「人間が喜びますか?」
「喜ぶだろ、あいつらは自分と違うものを嫌う」
それは確かにそうなのだろう。だが、ナツメは知っている。“違う”反応もまた存在することを。
「そもそも獣人も機械人形も人を超えるために作られたって村では聞いてるがな」
「獣人も作られた?」
虎の言葉にナツメは反応する。
「……その話をすると長くなる。やめておこう」
虎は一拍置いて、まるで関係ないことのように話題を変えた。
「仕事が先だ。娘に土産を買わねば」
虎は視線を逸らし、話を打ち切った。
“村で聞いた”――その言葉に、ナツメはわずかに反応する。
ノアでは、そんな話は聞かない。
意図的に消されているのかもしれない。
殺気が消え虎が続ける。
「俺たちをリグレインのとこに案内しろ。それが、次の任務だそうだ。
状態は問わない回収だけはしろ。お前も協力しろってさ。レイグのことづけだ」
ナツメは心の中で呟いた。くだらない。こんな奴らが――あのリリの相手になるのか。
そして無気力に答えた。「……分かりました」
それだけを言うと、虎は不意に右手を持ち上げ、ギアをかちゃりと鳴らして見せた。
「なぁ、これ。なかなかいいだろ」
鉤爪の一本が蒸気を吹き出す。切り裂くというより、“引き裂く”設計だ。 虎は嬉しそうに語る。
「娘がさ、最近やたら勧めてくるから試しに買ったんだけど、調子がいいんだよ。 自前の爪より長くて、こっちは手入れも簡単だしな」
どうやら、出身の村ではこうした“血の濃い”者たちが珍しくないらしい。
ナツメは黙っていた。興味も、敵意も抱かない。
ただ、任務を聞いた、というだけの顔。
隣で、牛はまだ干し草を噛んでいる。
これが“戦う意思”を持っているのかどうか――まるでわからない。
その様子に、ナツメはただ一言、心の中でつぶやいた。
(……これが、リリの“相手”?)
(酒でも飲みたい気分だ。……どうせ味はわからないけど)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
『丑寅から鬼が来る』
少し不穏なタイトルですが、静かに、確実に、“何か”が動き出しています。
登場した虎と牛は、獣人でありながらどこか「獣のふりをする人間」でもあり、
ナツメは「人間のふりをする機械」。似て非なる者たちの静かな邂逅でした。




