雑踏の影で咲く花
レイグの前に立つなつめは、いつもと同じだった。
冷めた目。感情の見えない横顔。
だが、それを見たレイグの口元には、深い満足の笑みが浮かぶ。
機械らしくなってきたと笑う。
「持っておきなさい」と、手渡される酒瓶。
受け取ったなつめの手は、わずかに震えていた。
ポケットの中、小さなガラス瓶が冷たく肌に当たる。
それは“花屋のなつめ”がずっと隠してきたもの
――任務のたび少しづつ飲んでいたもの高濃度のアルコール、武器でも薬でもない、ただの火種。
この街に春が来る前に。最後の日が、静かに、確実に近づいていた。
◇◇◇
闇の中、蒸気がゆらぐ。
鋭く振り下ろされた刃が、音もなくリグオンの首を切り裂いた。
いつもなら、そこに迷いはない。
動きは直線的で、無駄がなく、静かで――美しかった。
だが、その夜。ナツメの動きは、ほんのわずかに遅れた。
一体だけ、リグオンに“振り返る”時間を与えてしまった。
間に合った。切り落とした。任務に支障はない。
けれど――落ちた首の顔は、自分に、あまりにも、よく似ていた。
複製された自分。私は私を壊し続けている。
私の複製は、戦場で使い捨てられるための道具。今では、テロリストの手に渡っていた。
目を背けてきた。落ちた首から見えるワイヤと胴体から流れる潤滑油。側面から見える機械。
明らかに人間ではない。複製のナツメは考えない命令通り動く。私は……
リリがちらつく 鬱陶しい
苦しみも知らず
私が長くかかってえた関係をあっという間に塗り替えていく
何が
何がそんなに違うのか
足元が染まる
胸の奥が熱い
崩れる世界は私。私は私に飲まれていく。
◆◇◇
店先では、黒いバイクが雨に濡れていた。
水滴がゆっくりとシートを伝い、排気管に音もなく落ちていく。
主が戻らない。だが、バイクはそんなことを知らない。
次に走り出すのを、ただ待っている。
濡れた舗道の向こう、あの人がまた花を積んでくれる日を。
だが、扉は開かない。
店の前を通り過ぎる人々も、いつしか立ち止まらなくなった。
黒いバイクだけが、今も変わらず、静かに、あの場所にいる。
◆◆◇
思い出す
目が開いたのは、ある静かな日だった。
再起動の音が、遠くで響いていた。
泣いてる。
私の胸の中に数滴涙が溢れる。
その数滴は私の中に染み込む。
身体は動かない。指も、口も、声も出ない。
けれど、目だけは――開いた。指先だけが少し動いた。
目の前には、二人の少年がいた。一人は背が高く、
無言でこちらを見下ろしている。
もう一人は、まだ幼い子どもだった。
涙を流していたのは幼い方だろう。
私の目が開いたことに喜んだのか、泣き止むとその子が、なつめの指に触れた。
その温もりだけは、はっきりと覚えている。
目を覗き込みながら、何か優しく言っていた。
けれど、言葉はもう思い出せない。
すぐに、闇が戻ってきた。光は閉ざされ、意識は再び深い眠りの底へ沈んだ。
次に目を開けた時――なつめは金庫番の前にいた。
声を持ち、足を持ち、命令を受ける存在として。
金庫番の頼みで最初にナツメの面倒を見たのは〈茜〉だった。
笑顔と喧騒に包まれた、夜の店。
だが、その中で彼女だけは、なつめの“芯”を見抜いていた。
それからの日々、なつめは花屋としての“時間”を生きた。
水をやり、花を束ね、誰かに差し出す。
その営みは、機械の体を持つ彼女にとって、奇跡のようだった。
ある日、夕暮れ街の片隅、鍛冶屋の前を通りかかった時
――カン、カン、と鉄を打つ音に、足が止まった。
火花が舞う。金槌を振るう少年の顔が、光に照らされる。
なつめは思い出す。あの日、最初に目を開いた時。無垢な手で触れてくれた、あの少年。
なつめはもう、そこへは行けない。踏み入れてはならないと、わかっていた。
今の場所は、ここだ。
そこにいたのは、三人。フェルと、その父親。 そして、まだ幼いイブキ。
頼りなくハンマーを振るう少年に、フェルの父は厳しく言葉を飛ばす。
だが――火花に照らされたその横顔は、確かに楽しそうだった。
やがてフェル父がいなくなり、そのあとすぐ3人に戻った。
私を起動させた少年は青年になっていた。
この顔は、オオタのところで見たことがある。
私を知っているのに知らないものを見るめをする。
そしてまた一人増えた。
壊れかけのリグレイン。
私が欲しかったものをすぐに手にしたリグレイン。
あなたはなんてお名前なの。
私はナツメ。誰のために咲くこともない、機械の影に揺れる、一輪の花。
◆◆◆
ねぇ。見える?
この皮膚の下、ぜんぶ歯車でできてるの。
なのに、まだ――
痛いって、思ってしまうんだよ。
誰も、気づかない。
だからこそ、こわい。
顔を隠しても、
光は止まらない。
光が止まらないから、
壊れているとわかる。
この街に、春が来る前に。
雑踏の中――踏まれる花。
誰かに壊される前に
私は私を――壊すの。
ねぇ、私は私を壊すよ。
聞こえない方がいい、壊れる音。
誰にも気づかれない音です。
それを知っているなら、きっと――
あなたはもう、ナツメのことを他人だと思えないはずです




