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ナツメ 最初の、そして最後の


  服に迷うなんて、初めてのことだった。


 柔らかなブラウンのリブニット、シンプルな黒のミニスカート。少し悩んでから、

 淡いブルーのカーディガンを羽織る。丈の短さも、首元の開きも、いつもなら気にしない。

 けれど今日は、ちゃんと選びたかった。


 太ももと胸に目線がくることは、わかっている。


 だから、今日は――いっぱい見てもらおうと思った。

 

 私は今日、イブキとデートをする。


 最初で、最後の、内緒のデートを。


十年前、カイヅカの作業場で見かけた少年。 火花の向こうにいた、幼くて真っ直ぐな目をした子。

その子と、今こうして街を歩けるなんて、思ってもみなかった。


けれど私は、明日にはもうここにいない。


今日だけは、ちゃんと人間みたいに―― ちゃんと、女の子として笑いたかった。

鏡の前で微笑んでみる。 いつもより、少しうまく笑えてる気がする。


「……うん、大丈夫」


声に出すと、胸の奥がふっと軽くなる気がした。

それは、恋とかじゃない。 けれど、きっと――私の中の、いちばん人間らしい気持ちだった。


挿絵(By みてみん)




喫茶店の前。 蒸気の管が軋む音と、遠くを走る機関車の汽笛。午後の街は静かに傾き始めていた。


 「……お待たせ。そんなに待った?」

 ナツメが、カーディガンの袖を直しながら現れる。


 「いや、今来たとこ」

 イブキが微かに笑う。なんだかんだで、ほんの少し頬が赤い。

 

「そっか。じゃあ……ちょっと歩こうか。いい天気だし」

 ナツメが言うと、自然にふたりは並んで歩き出した。


 蒸気の立ちこめる路地を抜け、ほどなく広がる公園の緑が目に入る。

 歩道の先にあるベンチや、水飲み場。ナツメはふと、ある日のことを思い出していた。


 「……ここ、リョウがリリとフェル連れて“ガールズトーク”してた場所なんだよ」

 「へえ、あの子たちが? 想像つかないな」

 「でしょ。でも、やってたの。ちゃんとティータイムとかしてさ」

 ナツメが少し笑うと、イブキが首をかしげた。


 

 「うん。……たぶん、あの日から少しずつ変わったんだと思う。リリも、私も、カイヅカとの距離も」


 「ナツメが変わったって?」


 「そうじゃない。リリが変えてくれたんだと思う。私にはできなかったことを、あの子は一日でやったの」

 

 「そういうもんかね」 

 

 「そういうもんなの。…私、リョウみたいに上手に人と近づけないから」


 「そんなことないだろ」

 

 「ううん。……でも、あの子のこと考えると、なんだか嬉しくなっちゃう。 リリもどんどん溶け込んで……ち ょっと、羨ましかったな」

 ナツメは、そう言って空を見上げる。


 「スピナはね、ちょっと苦手。でもあの人はみんなをよく見てるよね」


 「ふざけてるけど、アイツは頼れるやつだよ」


 ナツメは嬉しそうに笑った。

 「なんか、ずるいな」


 「何が?」イブキはナツメを見る。


 「そうやって、笑って言えるの」

 ナツメは背を向け歩き始める、小さな石を蹴飛ばして歩を進めた。


 その背中越しに、イブキはふと何かを言いかけたが、やめた。

 今この時間が壊れてしまいそうで、言葉を飲み込んだ。

 

「……さっきから、こっちばっか見てるよね」 ナツメがふいに振り向き言うと、

イブキは少し驚いたように目を逸らした。


 「え、ああ……悪い」

 

「ううん。嫌じゃない。……ただ、なんとなく、気づいてたから」

 ナツメは歩道に視線を落としながら、口元にうっすらと笑みを浮かべた。

 

「バンビにもよく見られるけど……あの人の場合、ちょっと殺気混じってるのよね」

「バンビは、まあ……あれだからな。誰とでも戦う妄想してる」 

 そう言ってイブキは、肩をすくめるようにして笑った。


 「でも、イブキのは違う。……やわらかい、っていうか。なんだろうね、ああいうの」


 「イブキってさ」 ナツメがふいに声を落とす。

 公園のベンチへ向かう小道、足元の小石をつま先で蹴りながら、さらっと続けた。


 「太もも、好きでしょ」


 イブキは一瞬言葉を詰まらせた。 「……は?」


「いや、視線でなんとなくわかるんだよね」

 ナツメは笑っていた。からかうというより、自分でもそれを受け入れているような、

 あたたかくてやわらかい笑み。


 「別に見てくれててもいいんだけど。ちゃんと“女の子”って見られてるの嬉しい」

 「……マジか」

 「うん、マジ」

 「……いや、それは、ありがとう……って言えばいいのか……?」

 「ははっ、なんでそんなに動揺してんの」 

  イブキは口を閉ざし、少しだけ前を見つめたまま、頷いた。

  

 何気ない会話。本当は別のことを言いたかったけど、

 胸の奥に、ほんの少し、あたたかいものが染み込む。


 「ただ歩いてるだけなのに、楽しいね」

 「そうだな。こういうのも、たまにはいい」

 「うん……もっと早く、こういう時間に気づいてたらよかった」

  少しの沈黙が流れた。


 「イブキは、真っ直ぐ生きててほしいな」

 ナツメの声が、ぽつりと落ちる。


 「え?」

 「ううん。……ごめん、独り言」

 「ナツメ?」

 「ううん、なんでもない。……ちょっとだけ、言いたくなっただけ」

 「……そっか」

 ナツメは歩きながら、空を見上げた。



 「……ごめんね。最後に、巻き込んじゃうかもしれない」

 それは、ただのつぶやきのように聞こえた。



 イブキは私が人間じゃないこと。知ってるのかな?

 確かめたいけど確かめられない。

 今の関係が壊れる気がして進めない。

 私が二人いればいいのに、そしたら失敗してもやり直せる。

 ひとりは任務に戻って、誰も傷つけずに消える役。

 もうひとりはこの街で、“普通の顔”で笑ってる。




 スピナは、知ってる。 私が、人間じゃないってこと。

 気づいていたと思う。ずっと前から。

 年を取らないことも、体が壊れないことも、

 私が目が覚めた瞬間からきっと気づいていた。


 それでも、彼は何も言わなかった。 問い詰めることも、遠ざけることもせず、

 ただ、“ナツメ”として接してくれた。


 だから、私も言わない。


 こっちは失敗してもいい。何も期待していないから。


 もうすぐ終わる。


 そう分かってる。

 

 分かってるからこそ――この静かな、心地いい一日を壊したくなかった。


 私が「リグレインだ」と口にしてしまえば、 たぶん、すべてが終わってしまう。

 この、たわいもない笑いも、何気ない沈黙も、もう“特別”じゃなくなる。

 だから私は、言えない。


 言えるのは―― 「ありがとう。楽しかったよ」 それだけだ。


 ナツメは、ゆっくりと背を向けた。 もう、振り返ることはしないと決めていた。

 この気持ちに蓋をして、静かに終わらせると決めていたから。

 

 けれど、数歩、歩いたその背中に。

 「……またな」

 

 何気ない、いつものような――それでも、今この瞬間にしか出せない声が届いた。

 立ち止まることはしなかった。

 振り返ることもできなかった。 ただ一歩、足が遅れた。

 たったそれだけで、胸が締め付けられた。

 

 “さよなら”じゃない。 “またね”じゃない。


 「またな」――それはきっと、 永遠に来ない“次”を信じるふりをした、最後の優しさ。


 イブキも何かを気がついてる。昨日の涙のことも一言も言わなかった。

 それが彼なりの、サインなのだと思った。

 だから足が止まりそうになった。


 ナツメは、小さく息をのんで、静かに歩き出す。

 振り向いたらきっと泣きそうな顔をしてるから。


挿絵(By みてみん)



 やっぱり恋じゃなかった。デートでもなかった。

イブキに向けた気持ちは、たぶん――「人間って、こうやって誰かを大事に思うんだ」っていう、そんな憧れの延長だったんだと思う。


 だからこそ、スナック茜やカイヅカのそばにいる時間は、

 

 “人間みたいになれた気がして”、心地よかった。


 

 だけど――本当に羨ましかったのは、リリだった。

 あの子は、誰に遠慮することもなく、ただリリとしてそこにいた。

 何も隠さず、何も壊さず、笑っていた。




 誰とでも自然に話して、笑って、抱きしめられて、頼られて。


 リョウやフェルともすぐに打ち解けて、気づけばカイヅカの中心にいる。


 …本当に、すごい子だと思う。私にはできなかったこと

 


 ふと、そんな彼女の笑顔を見ていて


「もしリリがいなくなったら、私は――その場所に入れるのかな」


 そんな考えが、頭の奥に浮かんだ瞬間があった。



 浮かんだだけ。 すぐに、打ち消した。

 そういう自分がいたことに、気づいて、怖くなった。

 リリが悪いわけじゃない。 何も、間違ってない。


 ただ、私の中にある、誰にも見せられない影が、そう囁いただけ。

 羨ましさが、憧れを超える瞬間。


 人間なら、きっとよくあること。 でも私は、そうならないように作られた“存在”のはずだった。

 


セラだよ〜っ!今回はナツメの“最後のデート”、どうだった?

彼女が言えなかったこと、あなたには届いたかな?

決戦が近づいてきてる感じがするね。歯車が静かに動き出すよ。

感想、コメントでぜひ聞かせてね!

ではまたノアで、お会いしましょう〜っ!

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