壊れた少女と3人と花と
壊れた少女の名前がつくまでの話。
少し長いですが、最後まで読んでいただけたら――
ユリの花が咲く瞬間を、見届けていただけると幸いです
イブキはためらわなかった。胸の穴から雨水が滲み出している少女を、そっと抱き上げる。思ったより重い。それは少女がリグオンである可能性を高めた。
腕の中で、少女は抵抗しない。ただ静かに、身を預けている。
イブキは、雨と蒸気に煙る路地を歩く。自分の工房へ。スピナとフェルが待つ、あの工房へ。
腕が重くフェルがいればと弱音を吐きそうになるが、イブキは歩みを止めない。この子を――治さなければ、ただそれだけが、胸にあった。
そのすぐあとの別の道で
「ったく……また安く買い叩かれたかよ」
鉄くず同然の蒸気バイクを押しながら、スピナは悪態をつく。相棒のフェルが小柄な体でフレームを支え、後ろから押している。
「ドワーフの血筋でもチビには辛いんだぞ……!」
フェルが半ば本気で文句を言うと、スピナは軽く笑って肩をすくめた。
「あーいよー、わかりましたよっと」
言いつつも、スピナは素直にバイクのハンドルを引き受ける。蒸気で濡れた石畳にタイヤが擦れるたび、ギギギと嫌な音が響く。
「親父の頃は良かったんだけどなぁ……」
フェルが、ぽつりとこぼした。
この工房はもともと、フェルの父親から引き継いだものだ。名工だった親父には自然と客がついていたが、若者3人の工房はすぐ客が離れた。信頼は店ではなく。その人につくものだ。その信頼を得るにはまだかかりそうだ。三人で細々と食いつなぐ日々。フェルの父は失われた都市スチムハルドの探索で留守にしている。娘を残して気楽な父もいたもんだ。おかげで、フェルは貧乏暮らしの最中だった。でもそれを嫌だと思ったことはない。
貧しくても、楽しい居場所がある。それだけは確かだった。
「……まぁ、飯代にはなるだろ」
スピナがそう言うと、フェルはふふっと小さく笑った。
やがて工房が見える。店先の重々しい鉄の扉の隙間から、光が漏れているのがわかる。
「……なんだ、イブキのほうが早かったか」
裏へ周りバイクを置くスピナ。
「風呂でも沸いてりゃ最高だけどなぁ……」
ずぶ濡れのフェルはぼやきながら工房の中を覗き込む。
まさかの光景だった。
工房の椅子に少女の背中。その前にはイブキ。ただ体勢が
イブキが、少女の胸に顔を埋めている――。
少女に寄り添っている姿を。
「――――ッ!?」
フェルは顔を真っ赤に染めた。慌てて後ずさる。
数秒遅れてバイクを止めたスピナが、その様子に首を傾げ、工房を覗き込む。
そして――
「ずるいぞ!! 俺にも見せろっ!!」
叫んだ。
工房にスピナの声が響く、イブキも少女もびくりと肩を震わせる。
濡れた空気と熱を帯びた工房に、4人が揃う。
雨は止み夜はふける。だが商店街の入り口にある工房の周辺は、薄くなった蒸気に看板の光が反射し怪しく光る。酔っ払い達の喧騒で街はうるさい。蒸気都市ノアの東に位置するイーストフォージ区。その入り口に立つ雑居ビル。
剣と金槌の看板を掲げる重い扉から、光が漏れる。
「すけべ男どもめ……」
フェルは小さく吐き捨てた。だが、イブキとスピナの様子は予想と違っていた。
イブキは涼しい顔でスピナを見やる。無言の合図。
それを受けて、スピナは冗談めかした声で叫ぶ。
「見せろ!……いや、俺にも“触らせろ”!」
フェルは一瞬、何を言っているのかわからず固まる。
だが、スピナは本気だった。フェルの背後からでも、彼には分かっていた。
この少女は、ただの人間ではない。リグオンか、あるいは――それ以上の存在かもしれないと。
だから言ったのだ。"見せろ"は、"俺にも関わらせろ"と同義だった。
イブキはそれに、短く頷いた。そして三人は、少女の胸元を囲むように立つ。
金髪の少女――
その胸には、拳ほどの大きさの穴が空いていた。
そこからは、無数の細いワイヤと歯車が、まるで生き物のようにうごめいていた。
雨に濡れた躰が、静かに微かな音を立てている。
フェルは息を飲み込む。
人か? 機械か?答えはどちらでもない、そんな存在だった。
蒸気都市ノアの技術には元があった。失われた都市スチムハルド。行き過ぎた文明で滅ぼされたとか。疫病で全ての人間が死に絶えたなど噂話はケイも耳にする。
人々は死んだ。人工的な人形が残されていた。人と同じ姿で、同じ言葉を話す。だが体内は蒸気機関と未知の技術によって作られていた。名をリグレイン。
街に溢れる機械人形リグオンの元になった。人と同等。人を超えていると言われる存在。
そしてリグレインはノアの都市に数体ではあるが存在する。
イブキは、旋盤の道具をようし、小型の蒸気機関を持ち出す。スピナが手際よく管を繋ぎ、蒸気の逃げ道を一時的に確保する。
フェルには、その作業の意味がわからなかった。鉄の加工は父から教わったが、こういった複雑な内部構造は、元蒸気機関の修理工であるスピナの得意分野。部品を作ったり、彫金をするのはイブキの得意分野だ。3人はそれぞれの得意分野でお互いを補って仕事をする。
「どうだ?」
イブキがスピナに訊ねる。
「どうだじゃねえよ。……やるんだよ。」
普段、軽口ばかり叩くスピナが、本気の顔をしている。
フェルは驚いた。だがイブキは、そんなスピナを見慣れているのか、少しだけ表情を和らげた。
「なら一安心だな。」
イブキは小さく笑い、言った。スピナもまた、ニヤリと口元を緩める。
「フェル、この子を作業台に乗せてくれ。」
イブキに言われ、フェルは椅子に座らされた少女をそっと抱え上げた。
――重い。
見た目より、ずっと重い。
これをイブキが一人でここまで運んできたのだとしたら……
フェルは先ほどまでの自分を密かに恥じた。すでに二人は本気で少女を救う動きをしている。イブキとスピナの付き合いは長い。フェルはまだ二人を理解していなかったことを知る。
作業台にそっと少女を横たえる。
まだ意識は朦朧としているのか、少女は抵抗しなかった。
フェルは、その小さな顔を覗き込んだ。
水に濡れた金の髪が、作業台に広がる。
「俺たちが、治す。……いいか?」
静かに、だが真っ直ぐに、イブキは少女に問いかけた。
少女は、ほんのわずかに、頷いた。
蒸気が工房に充満し、回転工具の甲高い音が夜の静寂を破る。
近所迷惑は間違いないだろうが、イブキは後で謝って回ればいいと割り切った。
なに、街の酔っ払いどもはまだ寝ていない。蒸気都市ノア、商店街の夜は、いつも遅い。
「誰だよ、こんなもん作った変態は……!」
スピナが吠える。
作業台に乗せた少女――いや、人か機械かもわからない存在の胸元を覗き込みながら、悪態をつく。
ビス一つ取っても規格はバラバラ。
修理どころか、まずはイブキが旋盤で削り出すところから始めなければならない。
イブキは旋盤に没頭する。金属を削る火花が、湿った空気に白く散った。
奥からフェルが戻ってきた。手には風呂桶。ぬるま湯をたっぷりとくんできたらしい。
スピナが一瞬、怪訝な顔を向ける。
だがフェルは気にせず、無言でタオルを湯に浸し、少女の体を拭きはじめた。
「女の子がこんな姿じゃ、可哀想だろ」
フェルはただそう言った。
それを見て、イブキもスピナも、ふっと笑った。
どこかおかしい。だが、それでも誰も止めなかった。
布が、そっと濡れた金属の表面をなでる。
フェルは手を止めない。腹部、脚、腕、そして濡れた金髪。
まるでコルセットのような金属装甲に覆われていた。レザーアーマーの下、少女の体は、人ではない。だがコルセット部分以外はあまりにも人間に見える。
胸の穴からはワイヤーと歯車が覗き、それが明らかに人とは違うことを示す。
それでも、フェルは手を止めなかった。
ふきあげが終わった頃、イブキの手も止まった。加工は済んだのだろう。
再び二人が工具を手に取ったとき、フェルは厨房に向かおうとした。
パンとコーヒーでも用意しよう。カレーもまだ残りがあったはずだ。
腹も空かせているだろうし、あの子も。
だが、呼び止められた。
「フェル、頼めるか」
振り向くと、イブキが眉をひそめている。
拳ほどの大きさしかない、少女の胸の穴。そこに手を入れての作業は、イブキにもスピナにも無理だった。ワイヤを避けて手を入れるには力も足りない。
フェルだけが、小さな力強い手を持っていた。
フェルはひとつ頷くと、再び作業台の前に戻った。
そして両手をそっと、少女の胸の穴へと差し込んだ。
金属の冷たさ。油と蒸気の匂い。内部のワイヤーはかすかに脈打つ。まだ、生きている。機械なのに人の温もりのように感じる、蒸気機関の熱なのか、それは少し心地よい。
「焦るなよ。深く呼吸しながらやれ。」
スピナが言う。
フェルは大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
慎重に、慎重に。ワイヤーの断線を、折れたパーツを、指先で探る。
イブキとスピナが工具で外側を調整しながら、フェルは内部から支える。
指示は飛ばない。今はただ、呼吸と感覚だけを信じる。
やがて、スピナが言った。
「よし、そこで押さえてろ!」
イブキが調整部品を差し込み、スピナが蒸気ラインを閉じる。
その瞬間、
少女の胸から、ぷしゅうっと小さく蒸気が漏れた。
「――成功、だな。」
イブキが、汗をぬぐいながら笑った。
スピナも大きく伸びをして、にかっと笑う。
フェルは、震える指をそっと引き抜いた。その指先に、金属片と、わずかに温かい感触が残っていた。
胸元の最後のビスが、カチリと音を立てて締まった。イブキがレンチを下ろし、スピナが工具を片付け、フェルも手を拭う。静かな工房に、雨音だけが遠く響く。
その時だった。
少女のまぶたが、ゆっくりと震え――そして、開いた。
ガラス玉のような蒼い瞳が、ぼんやりと工房の天井を映し、やがて目の前の三人へと焦点を合わせる。
イブキ、スピナ、フェル。
油と汗で汚れた顔。
けれど、三人とも、笑顔を向けていた。
少女は、そんな三人を、きょとんとしたように見つめた。
「……名前は、あるの?」
フェルは少女に尋ねる。
イブキたちは顔を見合わせた。
少女は、名前で呼ばれたことはない。
「……ない。」
少女は小さく首を振った。
そして、ふと、自分の胸元に手を伸ばす。少女はその花の彫刻が施されたビスに、そっと触れた。
「――リリ。」
フェルは、ぽつりと言った。
「“リリ”って名前で、呼んでも、いい?」
イブキが最後に締めたビスにはユリの絵が刻まれていた。イブキが加工の合間に掘ったユリ、それは思いつきであったが、よく似合っていた。
「……構いません。」
リリの言葉に、スピナとフェルも、自然と笑みを深くした。
汚れた顔に滲んだ汗も、油のにおいも、今だけはどうでもよかった。
新しい名前。
新しい始まり。
小さな蒸気の街に、ひとつの“出会い”が生まれた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
壊れた少女が“リリ”と名乗るまでのお話、少し長めでしたが、最後までお付き合いいただけたならとても嬉しいです。
“リリ”という名前には、百合の花(Lily)
純潔、再生、そして無垢――
壊れたまま、でも確かに生きている少女に、そんな名前が似合うと思いました。
この物語は、機械仕掛けの都市で起きるささやかな出会いの記録です。
壊れた彼女が、この先どんな花を咲かせるのか。
よろしければ、もう少しだけ見守ってください。
本作は毎日更新を目標に、少しずつ蒸気の街ノアの物語を広げていきます。
挿絵も多めに入れていく予定ですので、ビジュアルでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
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