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湯気と風と、ひとしずく


 遊び疲れた一行は、夕暮れ前に〈カイヅカ工房〉へ戻ってきた。


 川辺での水遊びで泥や砂にまみれたため、まずはシャワーを使って順に汚れを落とすことにした。

 女性陣が浴室を占拠し、スピナはボイラー係に回された。

 「見張っとくから安心して」 そう言ったフェルがハンマー片手に控えており、スピナは抗議することもでき ず、黙ってマキを焚べた。



 リリの肌にしずくが流れていた。服を脱ぎ、遊びの汚れと蒸気のススを落とす。

 肩から胸、背中にかけて。機械の骨格が、まるでコルセット部分を機械にしたように、そのままのぞいている。


 シャワーで流し合いながら、三人は仕切りもない狭い洗い場に立っていた。

湯気の中、リョウは無邪気にリリの背を覗き込む。


「わあ……すごいな」 リョウが素直な声をあげていた。

手を伸ばし、恐る恐る触れてみる。金属の表面に指が当たる音が、微かに響く。


「ね、これ……動くの?」

「少しだけ、反応しました」


シャワーのしぶきが、金属の骨格に光を散らしていた。


「ねえ、これって痛くないの?」

「感覚はありますが痛くはありません」


 リリは変わらぬ調子で淡々と答える。 リョウはそのまま、濡れたタイルにしゃがみこんで、楽しそうに観察を続けていた。


「すごいなあ……なんか、工場を小さくしたみたい」


 ナツメは、笑顔を崩さぬようシャワーを一緒に浴びていた。




 リョウとリリの間には、何もなかった。

 隠さないリリ。気にしないリョウ。


 あの子は、自分を“人間のように”扱われても、怯まなかった。

 ナツメは、ふと自分の胸に目を落とした。 その奥にあるものを、知られたくなかった。

 知られてしまえば、“人間のふり”が壊れてしまう気がしていた。


 「ナツメは隠れ巨乳よね」


 リョウが矛先をナツメに移そうとした時。


「……先に、出ます」

 

 静かに告げて、ナツメはシャワーを出た。

 タオルを取ることなく、濡れた髪のまま、廊下へと出ていく。


 水滴は少女が大人に変わる直前のような輪郭をなぞる、誰から見ても完全な女性の姿だった。


 「ごめんナツメ怒った?」リョウが気まずそうに問う。

 「のぼせちゃうから先に出るだけだよ」張り付いた笑顔。

 ただ、湿った蒸気だけが、彼女の輪郭をなぞっていた。


挿絵(By みてみん)



 屋上。蒸気の煙が空へ溶けていく。

 ナツメは手すりに寄りかかり、風に髪をなびかせていた。

 胸の奥がざわついていた。


 リリのあの背中。お腹から胸の下まで剥き出しの骨組み。

 内部が見えていても、リリは平気そうに笑っていた。 

 あれが、自分と同じ。人ではないとわからせる。


 ナツメは目を伏せる。


 人のふりを続けていたのは、任務の為。

 でも今は違う。

 知られるのが、ただ怖い。


 人のふりをして、自分と同じ顔を壊し続けていることを知られたくない。

 

 だから消えよう。花屋のナツメは消してしまおう。


 リリが笑っている。 リョウと遊びながら、無邪気に笑っている。

 笑っていられるリリが、まぶしかった。 羨ましくて、くやしくて。



 太ももにポツンと水が落ちた。


 雨?違う……


 泣いている。



 リグレインなのに人のように泣いている。

 

 楽しかった日が終わり、寂しくて泣く子供のように、

 

 泣いていた。


挿絵(By みてみん)





喫茶店から帰宅したイブキは汗だらけのスピナを見て気の毒に思う。


「スピナ、交代しようか? ボイラー」「……いや、いい」


 スピナはマキを数本投げ入れ、上を見上げた。 屋上に、ナツメの影。


「こいつは今、自由にできないから」

 フェルがぼそりと言った。ハンマーを軽く肩に乗せる。


 「屋上にナツメがいるから、そろそろ始めるって言ってきてくれ」

汗を拭きながらスピナがいう。



イブキが屋上に上がるとナツメはすぐに気がついた。

振り返って、いつもの花屋での笑顔を作る。


「ごめんね、用事思い出したから先に帰るね」


 気丈に見えたが、ナツメの背を見送る。

 階段には、ぽつぽつと涙の跡が続いていた。


 イブキはそれを、誰にも言わなかった。

ただ、階下でリョウたちが賑やかにしている音が聞こえるだけだった。


「挨拶もなしにさよならかよ」 そうリョウはぼやいたが、すぐに切り替えた。


「まあ、いつも会ってるし、いっかー髪の毛の話もしたかったんだけどな」


ぼやきながら、リョウは無意識に髪に手をやった。

指先が触れたのは、ボブの奥にひっそり編まれた三つ編み。

誰に見せるでもなく、でも決してほどかない、彼女だけの小さな秘密だった。

 

 イブキは黙って眺めていた。 その光景の端で、スピナだけが渋い顔をしていた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


本作は毎日7時更新を目標に、少しずつ蒸気の街ノアの物語を広げていきます。

挿絵も多めに入れていく予定ですので、ビジュアルでも楽しんでいただけたら嬉しいです。


もし「続きが気になるな」と思っていただけたら、ブックマークや応援してもらえると励みになります!


ではまた、明日お会いしましょう。


――作者より

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