蒸気の街の、ひとときの休日
元気よく扉を叩く音が響く。
「おーい! いるー!? 差し入れ持ってきたよ!」
リョウだった。
やたらと上機嫌だ。いつもよりスチームメーター付きのアクセサリーがギラついている。
「……なんか、浮かれてるな」
スピナが眉をひそめて言うと、リョウは胸を張って得意げに言った。
「そりゃそーでしょ! ナツメから“遊びに行こう”って誘われたんだよ!? こっちからじゃなくて、向こうからだよ!?」
言いながら、両手を広げてぐるりと回ってみせる。
「でね、リリとフェルも一緒にどうかって言われたから、今日はそのお誘いに来たってわけ!」
スピナはリョウの様子を眺めながら、ふと目を細める。リョウの興奮とは裏腹に、何かが引っかかった。
(……遊び? あのナツメが?)
思い返せば、ナツメは常に淡々としていた。笑顔は見せても、どこか演じているような気配があった。その彼女が、自発的に“遊ぼう”と言い出すのは――
「最近ナツメちょっと元気なかったからね。前はさ、もっと“無理してでも”明るかったのに、最近は逆に“ぼん やり”してるっていうか……」
「……ナツメ、ぼんやり、ですか?」リリが首をかしげる。
「うん、なんていうか“目が笑ってない”んだよね。こっち見てるのに、遠く見てる感じ」
フェルが焼いたパンをリョウに手渡しながら、視線をナツメの方へ向けた。
「……あんた、本当によく見てるのね」
「だから今回はしっかり遊ぼう。リフレッシュ!空元気で元気は出るものよ」
スピナもそれには同意だ。人であればそういった時もある。
午後、水辺の公園。
穏やかな陽の光に照らされた水面がきらめいていた。リョウが持ち込んだボールなど道具、フェルが焼いたパ ン、リリが持ってきた奇妙な形の水筒。リリが自転車で行きたがったが止めた。まだ早い。というかスピード の制御が効かない。
皆が笑っている。リリも、微笑んでいる。
その様子を、ナツメは静かに見ていた。
目を細め、頬に手を当て、ふっと微笑む。
みんなが水辺に足を入れて遊ぶのでリリも入り、ナツメも入った。
今日だけは楽しもうとナツメは決めていた。
遅れてやってきたスピナとイブキが、昼食を手に現れる。
「おう、持ってきたぞ。……あ、ナツメ。飯、食うか?」
「……ありがとう。でも、私はいいです」
ナツメは微笑みながら断る。リョウやリリたちには聞こえない、小さな会話。
スピナがナツメにそっと近づき、囁くように言った。
「あの時のリグレイン……なんだろ?」
ナツメは、わずかに表情を揺らした。だが、否定も肯定もしない。
沈黙。それが答えだった。
スピナはそれ以上何も言わず、背を向けた。
(俺には直せない箇所か。でも、もう一人の修理工がいる。
あいつの方が、きっと――)
夕陽が水辺にゆらめいていた。 水辺の公園には、街のざわめきが届かない静寂が流れている。
リョウたちは少し離れた場所でパンを食べ、ボールを追い、笑っていた。
皆が思い思いに過ごすなか、イブキは木陰でスケッチブックを広げ、鉛筆を滑らせていた。
フェルが焼いたパンをリョウが頬張り、リリは真剣な顔で水筒の分解清掃を始めている。
スピナは日陰の芝に寝転がり、目を閉じていた。 ……が、視界の端で妙に気になる奴がいた。
ベンチに座って、頬に手を当てて、水面を見つめている。 風に髪をなびかせて、何か物思いにふけるような そぶりまでして――
(……人間みたいな真似をしてんじゃねぇよ)
スピナは眉をひそめ、目を閉じ直す。 ああいうのは“人間のふり”だ。 機械には機械の道がある。そう、思っていたいのに――
ナツメはその様子を見守るように、ベンチに座っている。
指先で水面に触れると、波紋が静かに広がっていく。
それはまるで、自分の中にある感情のようだった。
「私は……“ここにいるフリ”をしていたんだと思います」
スピナの隣で、ナツメが静かに言った。
「フリってのは、悪くない。続けてりゃ、いつか本物になることもある」
淡々としたスピナの返答に、ナツメは微笑む。
「リリは……まっすぐなんですね」
「そうだな。壊れてたけど、あいつはまっすぐ進めるようになった。俺よりずっとしっかりしてるよ」
「……羨ましい。私も、そうなりたいです」
夕陽がナツメの横顔を照らす。 その目は、どこか遠くを見ていた。
「人は選べる。でも私たち――リグレインには、“示された道”がある。私は、それから外れることができない」
「でも、お前は花屋もスナック茜も大事だろ。イブキのことも長く見てたろ」
ナツメは頷かなかった。 ただ、手のひらに触れた冷たい水の感触を感じていた。
沈黙。風の中で、水辺がかすかに揺れた。
「……リリみたいに、まっすぐ進みたい」
水面に波紋が広がる。一つまた一つ。
波紋同士がぶつかり大きくなり、やがて消えた。
スピナは何も返さなかった。