蒸気と花と雨と
※本作は以前投稿していた第1話を、読みやすさを意識して短縮・分割したものです。
内容に大きな変更はありませんが、改めて楽しんでいただければ幸いです。
挿絵が増えてる時があります。
『本日のノアのお天気は、蒸気、多め。ところにより、雨。それから、ほんのすこし──奇跡、です。お届けするのは、みんなのアイドルことセラでした。それじゃ、素敵な一日を。防護マスクをしても笑顔を忘れずにね。』
ザーッというノイズと共に、ラジオが途切れた。
ノアの街には、雨と蒸気が降り注いでいた。ぼやける視界、湿った空気。蒸気機関の音と人々のざわめきが混じり合う。
事故だった。イーストフォージ区の商店街の一角で、機械人形——リグオン同士の衝突が起きたらしい。人の形をしているが、動作は単純。けれど、そこから漏れ出した蒸気が視界を濁し、空気を重くしている。
野次馬が集まり、通りはさらにざわつく。
イブキはそれを避け、裏路地へと入った。
狭い路地。蒸気はなお濃く、マスク越しでも息苦しい。たまらず外したそのときだった。
ふと、視界の端に動かない影が見えた。
うずくまっている。人影だ。びしょ濡れの髪、レザーアーマーに包まれた細い身体。少女か、あるいは少年か。中性的なその姿に、イブキは一瞬戸惑う。
だが目を引いたのは、その胸元だった。
空いていた。大きな穴が、そこにあった。傷か、故障か。それすら判断できない。
機械人形? リグオン……なのか?
だが、何かが違っていた。あまりに人間に近い。それでいて、どこか壊れている。まるで——。
「……壊れてるのか?」
思わず、声が漏れた。問いかけというより、独り言だった。
そのとき、影がゆっくりと顔を上げた。
金髪が濡れて額に張りつく。顔立ちは、無機質なようで、どこか苦しげだった。目が合う。
「壊れてるのか?」
もう一度、同じ言葉を投げかけた。
今度は、答えが返ってきた。
「……はい」
かすかな声。それでもはっきりと、壊れていると、少女は言った。
壊れていた。
今ではない。もう、ずっと前から。
何をすべきかも、もう分からない。考えることすら、だるい。
最後に見たあの少女の顔。泣いていた気がする。けれど、雨のせいだったのか、それすら思い出せない。
音が戻ってくる。蒸気の音。人の声。鉄の軋み。
世界がまた、動き出す。
そのとき、目が合った。見知らぬ少年。その瞳の奥に、かつての面影がよぎる。
少女は、壊れている自分を、はっきりと認めた。
このときイブキは、まだ知らなかった。
この壊れた少女が、
やがて“蒸気都市ノア”の運命を、大きく動かしていく存在になることを——。
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