昼寝と自転車
初めて自分の力で風感じたのはいつだっただろう
工房の奥、パーツの山をかき分けて、スピナが何かを組んでいた。
古びたホイールに、削れたフレーム。
どこからか見つけてきたサドルに、まだ仮止めのチェーン。
「……休めって言ったよね?」
工具を片づけながら、フェルが呆れ声で言う。
「休んでるだろ? これは趣味」
そう返して、スピナはレンチを回す。
「バイク弄ってるときと何が違うのさ……」
それでもどこか、フェルの表情は和らいでいた。
スピナがバイクじゃない何かをいじってるのは珍しい。
イブキが横から磨き始める。この男どもはとフェルは苦笑。
工房の入り口から、ひょこりと顔を出すリリ。
無言のまま、珍しそうに作業の様子をじっと見ていた。
「見てりゃ分かるだろ、自転車だよ。こないだの、壊れたやつの残骸混ぜてな」
リリは小さく頷くと、そのまま出来上がった車体に手を添えた。
「……乗ってみる?」
スピナの言葉に、リリは小さく目を見開き、すぐに頷いた。
ぎこちなくサドルにまたがり、足を前に出す。――が、次の瞬間。
カシャンッ!
バランスを崩して、リリが転んだ。
それでも、スピナはまるで気にしていなかった。
満足そうに伸びをすると、工具を片づけながら言った。
「じゃ、あとはイブキに任せた。オレ、寝る」
「おーい……」
フェルの声を背に、スピナは工房のソファへと消えていった。
陽の光が、静かに差し込んでいた。
スピナが工房のソファで昼寝に入った頃、リリはまだ自転車を見つめていた。
「足で走ったほうが早いです」
リリの淡々とした一言に、イブキは思わず苦笑した。
強がりなのか、それとも本当にそうなのか――この子は、たまに判断に困る。
「じゃあ試してみようか。」
そう声をかけると、フェルがキッチンから顔を出した。
「ごはん、作っておくから。イブキ、見ててあげて。練習しておいで」
リリは無言で頷き、再び自転車にまたがる。 石畳の地面を、太いタイヤがギシ、とわずかに沈ませた。
足で地面を蹴る――が、バランスを崩すのは一瞬だった。
カシャッ、ガタン!
転ぶリリ。慌てて支えに入ったイブキもろとも、ゴロンと横転した。
「って、重……あ、ごめ……!」
思った以上に重い衝撃。見た目以上に機械である彼女の身体を、イブキは改めて実感した。
「だいじょうぶです」
転んだまま、リリが静かに言った。
その口調が淡々としていて、余計に可笑しく、そして少しだけ愛おしかった。
転んでもなお、リリはすぐに起き上がった。
傷ひとつない顔で、また自転車にまたがる。重たいはずのフレームを軽々と支え、無言で地面を蹴る。
ペダルはまだ漕げない。それでも、彼女は確かに“前へ”進んでいた。
その背を、イブキはしばらく黙って見つめていた。
風が吹く。 靡いた金の髪が、空の色を切り裂くように揺れる。
――これは、昼飯が遅くなるな。
誰に聞かせるでもなく、そんなひとりごとを、イブキはこぼした。
自転車とリリが眩しく見えた。