オオタとアスマの大人の思惑
足元の石畳は、いつしか色と形を変え、ひとまわり大きく、苔むしたものに変わっていた。それは、ここが長い年月を経た古い区画であることを物語っている。
やがて通りの両側には、木の梁が黒光りする古い木造の建物が並び始めた。
どの建物も低く、どっしりとしていて、今まで歩いてきた商館街の近代的な建物とは明らかに趣が異なる。
そして、ふと視界が開ける。
やたらと広い庭が、前触れもなく現れる。
だが、そこには塀も門も見当たらない。代わりに、うっそうとした林が一帯を囲んでいた。
手入れされた小道が林の奥へと続き、その先に見えたのは――かつての領主邸のような、風格を漂わせる邸宅。平屋で横に大きい。
それが、オオタの屋敷だった。
イブキたち三人にとって、ここを訪れるのは初めてではない。
オオタが商館の面々を招いて宴を開くことがあり、彼らも何度かその席に呼ばれていた。だが、それはあくまで「客」として、その他大勢に紛れての参加だった。
今、こうして正面から訪ねるのは初めてのことだ。
何より――オオタ本人と、話すのは今日が初めてだった。
“マフィアのボス”。
そんな噂がまことしやかに囁かれる人物。
表向きは商店街の相談役のような顔をしているが、その素顔を知る者はいない。
静まり返った林の奥、その屋敷の扉の向こうに、どんな人間が待っているのか――
誰も、それをはっきりとは知らなかった。
白い朝霧の中、東屋の縁側で湯気を立てる茶碗が並ぶ。
アスマ・オルテオスは静かに煙管を置き、隣に座る男へ目を向ける。
その男――オオタは無言で茶をすする。
互いに言葉を交わすこともなく、ただ茶と朝の蒸気とを楽しんでいた。
軒先には、金色の蒸気バイクとカスタムパーツを載せた荷車が停められている。そのそばに、二体の無骨なリグオンが立っていた。
少女型ではない。無機質な鋼の胴体に、無表情なレンズアイ。円筒状の体型から「ドラム缶」と揶揄される、旧式の警備用モデル。
アスマの私有物であり、常に護衛として傍らに控えている。
その二体が、ほんのわずかに揺れる。
東屋の縁側に座っていたアスマが、視線を霧の向こうへと向ける。
朝の湿った林の小径、その先に微かな足音が混じる。
靴が濡れた石を踏む音、配管の蒸気、金属のわずかな軋み。
「来たな」
アスマは立ち上がり、ジャケットの裾を軽く払った。
霧の向こうに、ゆっくりと人影が現れる。先頭を歩くのは、黒い服に身を包んだ少女。
その後ろには、青年、少女、そして――蒸気をまとった金髪の機械人形の姿があった。
オオタは扇子を静かに閉じると、立ち上がったアスマに目をやる。だが、口を開くことはない。まるでこの光景が、ずっと前から決まっていたことのように、ただ静かに眺めていた。
霧の中から姿を現した金髪の少女――リリを見て、オオタはしばし無言のまま立ち尽くした。
金の髪はボブカットで、毛先にはゆるやかなパーマ。青い目。
細く小柄で、肌は透き通るように白い。蒸気の湿気を帯びたその姿は、どこか儚げですらある。
少女型のリグオンは珍しくない。むしろ、見た目だけで言えば街にあふれている量産品とそう変わらない。手足が金属剥き出しの方が多いが、貴族様のリグオンは人間と変わらない見た目をしている。アスマのところにもいる。
だが、オオタは首をかしげた。
「見た目は、拍子抜けするほど“普通”だな。こいつが、例のリグレインか?」
オオタは目を細めた。アスマは静かに息を呑む。
「なるほど。造りが精緻なのは確かだが……この“普通さ”は、逆におかしいな。リグレインはみんなそうなのか」
アスマは感心しながら見ている。
「ふん……そうか。見た目は華奢、だが内側は化け物、それがリグレインだったな」
オオタは肩を揺らし、笑った。
あの後、拍子抜けするくらい淡々と話は終わった。
新入りの顔を見たかった中年実力者のお茶会に呼ばれただけだったのだろう。
だが仕事を貰えたのはありがたい。
バイクのフレームと材料を荷車に乗せ、工房に戻った頃には、空はすっかり晴れ間を見せていた。
とはいえ、イーストフォージの空が完全に青くなることは稀だ。
高所に残った蒸気雲が、街全体を柔らかく包んでいた。
「……けっこう重かったな。あれ、本当に金メッキか?」
スピナが額の汗を拭いながらぼやく。
「金じゃないよ、真鍮。見栄えはいいけど、いじり甲斐はありそうだ」
イブキがバイクのフレームを作業台へ移しながら答える。横ではフェルが配線材と工具箱を持ってきていた。
「ナツメ、残ったんだっけ?」
「うん。オオタに呼び止められて話してた。」
フェルが曖昧に言葉を濁す。
どこかあの場所は、空気が違った。オオタの屋敷に満ちる静けさと、何か見えない意図。
そうしたものを、フェルもなんとなく感じ取っていた。
工房の隅で、セラのラジオが静かに流れていた。
「──今日も蒸気、多め。ところによって雨、それから、ほんのすこし──奇跡、です」
その声に、微かに混じるノイズ。
「……ザッ……」
スピナが一瞬だけ顔を上げたが、すぐ作業に戻る。誰も気に留めなかった。
【以下スピナの妄想が始まります】
スピナは考えるのをやめた。
いや、正確には“考えないように”したのだ。
リリが真剣な顔で歩み寄ってくる。それだけでも緊張するのに、なぜかナイフを持っている。
しかも、スカートの裾から無防備に伸びた脚が眩しくて、視線の置き場に困る。
(ちょっと待ってくれ、リリ……そういうのは、せめて頼むから、下ろしてからにしてくれ)
なにか言われる前に、すでに刺されそうな気分だった。
なにか悪いことしたか? いや、したかも。妄想とか。バレた? まさか読まれた? 通信簿?
リリは、ふっと首を傾げて、小さく囁く。
「スピナさん、お話があるんです」
(……やっぱり、刺されるヤツだ、これ)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
スピナの妄想の半分はAIに指示したら、なんか違う絵が出てきて勿体無い時です。
戦いの絵をいっぱい描かせた後とかは、武器がちらついたりします。
私が使ってるのは規制が厳しいのであまりエロくはならないです。
本作は毎日17時更新を目標に、少しずつ蒸気の街ノアの物語を広げていきます。
挿絵も多めに入れていく予定ですので、ビジュアルでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
もし「続きが気になるな」と思っていただけたら、ブックマークや応援してもらえると励みになります!
明日から朝7時投稿に変更いたします。引き続きよろしくお願いいたします。
――作者より