第29話 闇堕ち
絶叫するカイルの声を無視してフィーが僕の首に腕を回す。
そして、僕の左肩に空いた穴から血を掬い取ると、それを口に含む。
「本当はこんな日が来るのを待ってたの。崖から落ちた私を、レオンが助けようとしてくれたあの日、私はあなたを救うためにあなたの血を取り込んだ」
「そうだったの……?」
てっきりあの得体の知れない力で自己治癒したものだと思っていた。
「治癒術が効かないあなたを治すためには、私はあなたの一部を取り込む必要があったの」
「そんな……それじゃ君はあの力を……」
穢れた血を引く僕の血を飲むというのはそういうことだろう。
そんな昔から彼女にそんな運命を強いていたなんて。
「私、後悔してないよ。おかげで、私だけがあなたを治せる。私だけがあなたを守れるの。それがとっても嬉しいって、そう思ったんだ」
フィーがまっすぐ僕の瞳を見つめてくる。
その目は優しいフィーのままだ。
こんな道を選んでも、彼女の本質は変わっていない。
「う、嘘だ……そんな……俺が森に行こうって言った。そのせいで……」
「ごめんね、カイル。でも、ありがとう」
「な、何が……!?」
「おかげで私は、レオンのかけがえのない存在になれた。あの時から、私は……レオンのものになったの……」
「ぅ……ぁ……ああ……あああああああああああああ!?!?!?」
カイルが叫ぶように涙声をあげた。
もうとっくに後には引き返せなくなっていたのだ。
原作とこの世界は大きく違っている。
そして、カイルは選択を間違えた。
「ふざけるな……ふざけるなふざけるなふざけるな。ふざけるな、レオン!!!! フィーは……優しくて、こんな暴力とは無縁で……温かい人だったのに」
「なら、それはカイルの勘違いだよ。私はずっとこんな人だった。家族や、友達……大切な人のためならなんだって出来る。そんな覚悟ができるの……」
「そ、それは、レオンが……レオンのせいで……」
「ううん。レオンがいてもいなくても、私はこの道を選んでた。あなたが私のことを理解して、受け入れてくれたら、あるいは別の道を選ぶ未来もあったかも知れないけど……」
原作でのカイルは、フィーの復讐心を全て肯定した。
――それは仕方のないことだと。誰にだってそう思う心がある。
それがカイルの原作での言葉だ。
そして、それでもカイルはフィーを失いたくないという心情を吐露し、彼女をなんとか引き留めたのだ。
だが、それは所詮ゲームの話だ。気にしても意味はない。
「違う。フィーはこんな……」
しかし、カイルは今も現実を受け入れようとはしない。
復讐なんて意味はない。父上が望んでいない。
そんな薄っぺらい言葉を吐くことしかできないのは、カイルがフィーと向き合うことを避けていたからだ。
「理解してくれなくてもいいよ。そんなあなたでも大切な友達だから。だから、全力で守ってあげる。だけど私は……私を理解して受け入れてくれる人と、共に歩みたいの。だから、ごめん。あなたの想いには応えられないよ」
その時、温かい感触が唇に伝わった。
僕はフィーと口付けを交わしていた。
それからしばらくして、ゆっくりと唇の感触が遠のいていく。
僕はそのことに、名残惜しさを感じてしまう。
「レオン、ずっとこうしたかった」
「僕もだよ。本当はずっと、君のことが好きだったんだ」
「あ、ああ……フィー……フィー……どうしてこんな……俺はどうして……」
カイルが地面にうずくまり泣き叫ぶ。
「どこで……俺は間違えて……」
直後、僕とフィーの身体を蒼い炎が包み込んでいく。
炎は僕の怪我を治していき、同時に身を守る鎧を形成していく。
そして、ボロボロになったフィーの衣服は漆黒のドレスへと変貌する。
それはまるでウェディングドレスのようで、それを纏うフィーはとても綺麗だった。
「素晴らしい。よもや、その力を完全に制御するなんて……! その上、眷属化まで行うとは、予想以上です!!」
「どうやら、こういう展開になるように、ずっと待っていてくれてたみたいだね」
恐らく、こうなることが彼の狙いだったのだろう。
どういうわけか、ジェラルドには原作以上の知識が備わっている。
それに基づいて、村での作戦を進め、この状況を導き出したのだろう。
「流石に気付いておりましたか。ですが、そこまで考えが至っていたのなら、どうしてまんまとその力を……?」
「決まってるよ」
「あなたを殺せば、それで解決だからよ」
僕はジェラルドに向かって駆け出すと、鞘から剣を抜く。
その瞬間、蒼炎が迸り剣にまとわりついていく。
「僕はカイルのように甘くはない」
幾度、幾十と剣と槍が交差する。
ジェラルドもまた、雷光を纏った一撃を放つが、それは全て蒼炎に飲み込まれていく。
「バカな。魔力量にこれほどの開きが……?」
予想外のことだったのか、ジェラルドが距離を取る。
「逃すか」
僕は左手から蒼炎を放つと、ジェラルドの身体を絡めとり、地面に叩きつける。
「お前はここで終わりだ」
その首を刎ねようと剣を振るう。
しかし、ジェラルドは立ち上がり馬上槍を振り回す。
すると空に雷雲が現れ、凄まじい稲光と共に落雷が発生する。
「っ……!?」
「私とてセレナ殿と並ぶ騎士と言われているのです。みすみすここで死ぬわけにはいかん……」
落雷を縫うように、ジェラルドが猛攻を加えてくる。
槍をかわそうとすると、雷が襲いかかり、雷をかわそうとすると、その隙を縫って槍が迫る。
降りしきる雷雨の中、ジェラルドは的確に攻撃してくる。
「やはりカイルとは段違いだ」
確かにカイルも強かったが、力が増しただけだ。
いくら強大な力を振るおうとも、鍛え抜かれた武術に勝りはしないことがまざまざと見せつけられる。
魔力量はともかく、武術の腕に関しては、まだ彼が上回っていた。
それは覆しようのない事実だ。
「だけど、結果は変わらない。僕は必ずお前を……」
「そうはさせるか……目覚めたあなたを連れ帰るのが私の使命!! みすみす殺されてなるものか!!」
ジェラルドの気合いに呼応して、周囲にいくつもの嵐が巻き起こった。
それらは雷を伴っており、ゆっくりと僕に迫ってくる。
「させるか!!」
僕は大剣を振るい、蒼炎を振り撒いて周囲の嵐を呑み込む。
しかし、その瞬間――
「私の勝ちです」
懐までジェラルドが迫っていた。
馬上槍が僕の腹部に迫り、既に防御は間に合わない。
「いや……僕たちの勝ちだ」
それこそが勝機であった。
「な!? これは……」
ジェラルドの足元に魔法陣が現れる。
すると、そこから輝かしく温かな光が解き放たれ、ジェラルドを包んだ。
「これは治癒術!? 一体なぜ……」
困惑するジェラルドだが、その直後、叫び声をあげる。
「ぬ、ぬおおおおおおおおお!!!!!!」
悶え苦しむジェラルドから急速に生気が失われていく。
それは、フィーの術だった。
「そう。今のはただの治癒術だよ。ただし、穢れた血を飲んだ私の治癒術なんだ」
「ど、どういうこと……だ……」
「もうね。私は人を治療できなくなったの。私の治癒は他人の生気を奪う」
「ば、バカな……そこまでして……聖女の力を失ってまで、そんな……」
「でも大丈夫。レオンは例外だから。レオンだけは私の力で治すことができる。それどころかこうして……」
フィーが吸い上げた生気と魔力が僕に流れ込み、全身から力が湧いてくる。
「こうしてレオンを強くすることもできる」
僕はゆっくりとジェラルドに近づいていく。
「そういうことだ。最初からこっちは二人で戦ってたんだ。あなたが勝てるはずがない」
「なるほど。そこまで、想像を超えていましたか。なら、仕方ありませんね……」
意外なことに、ジェラルドは観念した様子のようだ。
「使命は果たせませんでしたが、なかなか興味深い幕引きでした。どうぞトドメを刺してください」
「ああ」
僕はゆっくりと剣を差し入れると、ジェラルドの心臓を穿つ。
これで終いだ。
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