第20話 奴隷
その一方で、気になる来訪者がもう一人いる。
僕は屋敷にも入らず、庭でうずくまる一人の少女に声を掛けた。
エーファだ。
僕と同じくらいの年齢で、ドミニクの妹だ。
しかし、彼女は魔術の才能がないこと、そしてドミニクの奴隷同然の扱いを受けていた。
そのため……
「あ、あの……昨日は申し訳ございませんでした、レオン様。ど、どんな罰でも受けますから、どうか……」
怯えた様子で謝罪をしてくる。
華奢な体は小刻みに震え、顔からは血の気が引いている。
どうやら、僕は彼女にかなり怖がられているようだ。
「顔を上げて。僕は、君が本心から望んでやったとは考えていない」
彼女を安心させようと、僕は優しく声がけをする。
エーファは可哀想な子でもある。
強大な魔力を持つのに、適性のある魔術が少なすぎるために、役立たずのレッテルを貼られ続けた。
そのせいで、自分を無価値な人間だと思っているのだ。
「ここにいる間は、ドミニクと会わなくて済むようにするよ。部屋も離しておくし」
「え……?」
「ドミニクは朝から晩まで稽古だし、食事の時はそうだな。僕と一緒に食べよう。ドミニクは僕とは絶対に一緒に食べないだろうから、君も嫌な顔を見なくて済む」
確かに彼女はひどいことをやったが、僕はあえて許そうと思う。
彼女はその能力が認められないため、ドミニクに奴隷扱いされ、毎日のようにサンドバッグにされ、原作では場合によっては彼の慰み者にされる展開まであるほどだ。
そして、彼女を殴る時に、耳元でわざと大きな声で怒鳴るというドミニクの習慣のせいで、彼女は少しでも大きな音を聞くと、トラウマが引き起こされ、恐怖で震えて動けなくなるのだ。
前世の僕と似たような境遇……いや、もっと酷いものと言える。
そんな彼女を放って置けなかった。
「あの……私、ひどいことをして……」
「これからはしなくてよくなる。君はドミニクの支配から抜け出すんだ」
原作ではカイルが、そんな彼女をドミニクの支配から救うことになるが、残念ながら、今のカイルにそんなことは期待できない。
なら僕が彼女を助けるほかないだろう。しかし……
「何を生ぬるいこと言ってるんだ、レオン?」
なぜかそこに現れたのはカイルであった。
彼がうちの屋敷に現れたのは実に数年ぶりのことだ。
「カイル、どうしてここに……?」
「昨日の礼と、そしてやるべきことをやりに……だ」
カイルはズカズカと歩いてくると、エーファの胸ぐらを掴み上げ、その小さな背を壁に思い切り叩きつけた。
「ひぎぃっ……!?」
小柄なエーファにとって、それはかなりの痛みだったようで、痛ましい悲鳴があがる。
「お、おい、何を……」
「黙っていろ!!」
カイルは何度も何度も、執拗にエーファを叩きつける。
僕は見ていられなくなって、無理やり彼からエーファを引き離す。
「どういうつもりだ……? 答えろよ!」
しかし、カイルは僕を無視して続ける。
「お前のしたことは最低だ。このクズめ……何をやったか分かっているのか?」
「う……うぅ……ごめんなさい、ごめんなさい……」
エーファの瞳からとめどなく涙が溢れる。
だが、カイルは鬼気迫る表情で、なおも追い打ちをかける。
「そうして泣いてメソメソして、悲劇のヒロイン気取りか? ふざけるな!! お前はあの男を止められる立場にいたはずだ。それをあんな……人として、恥ずかしくないのか!! どんな理由があろうと、あんなおぞましい真似……普通の人間にならできるものか!!」
カイルはひたすらにエーファを罵倒し続ける。
エーファも反論できないのか、ただ黙って聞き続けるだけだ。
だが、カイルはなぜ今、こんな風に彼女を責めるんだ?
「もういい。彼女だって、わかってるはずだ」
とにかくカイルを制止する。
こんなことをして、何か状況が好転するとは思えなかった。
「だからお前は甘いんだ!! ほとぼりが冷めれば、そいつらはまた同じことをやる。だからここで、徹底的にその気がなくなるように追い詰め、罪を自覚させる。一度、手を汚したクズは、簡単には戻れない。お前はそのことを自覚しろ」
カイルめ、本当に一体どうしたんだ。
昨日はあんなにいじけていたのに……
「わかった。とにかくお前はもう行け」
「いや、俺もこの屋敷に泊まる。これからは俺も奴と、その女を監視するつもりだ」
「なんだって?」
なんだかまた妙なことになった。
一体、これからどうなるんだ……
その後、カイルはその場を去り、後には僕とエーファだけが残される。
「やっぱり……私は……私は生きてちゃいけないんだ……!」
直後、エーファがナイフを取り出した。
「な……!?」
僕はその突然の行動に困惑する。
やがて、その切先がまっすぐ、エーファの首へ向けられる。
……まずい!
そう思った僕は、咄嗟に手を伸ばし、ナイフを掴み取る。
「ぐああああああ!?!?」
素手で刃を掴んだせいで、凄まじい激痛が奔った。
これは果物ナイフなどではない、人を殺める威力を持つ武器なのだ。
その刃から伝わる痛みは訳が違う。
「あっ……あぁ……ど、どうして……」
エーファがナイフを落とす。
彼女とて、こんな風に僕に傷を負わせるのは想定外だろう。
僕だってそうだ。まさか、自分がこんな無謀な行動に出るとは思わなかった。
「ち、治療を……治療をしないと……」
エーファが治癒術を発動させる。
しかし、それはうまく行かず、すぐに魔力が霧散してしまう。
「ど……して! どうして私には何もできないの!!」
きっと、自分のせいで傷を負わせた負い目と、それを治癒することができない自分の無力さに打ちのめされているのだろう。
こんな彼女を、僕はどうすれば助けられるだろうか……
「とにかく、今はゆっくりと屋敷で休んで心を整理すればいい……」
「ダメです。それはできません。私にはなんの取り柄もないんです。誰かに迷惑を掛け続けてばかり……こんな私に誰かの厚意を受け取る資格なんてないんです……!」
そう言って、エーファは走り去ってしまう。
まいった。悪い方向に頑固になってしまった。
外はすっかり暗くなっている。
こんな状況で彼女を放っておくわけには行かない。僕はすぐに彼女を追いかける。
しかし、彼女は意外と素早く、外が暗いこともあって見失ってしまう。
「そういえば原作にもこんな場面があった気がするな」
カイルの選択肢の中には、怒りからエーファを追い詰めるものがある。
そのせいでエーファは自己肯定感を完全に失い、村から逃走してしまう。
その後の末路は、まあ酷いものだ。
浮浪者に攫われ、彼らの慰み者にされ、エーファは恐怖と、誰かに頼られているという状況に混乱し、完全に精神を錯乱させてしまう。
なんとも後味の悪い結末だ。
そんなことになるのは絶対に嫌だ。
「まずはあそこに行ってみるか」
これが原作と同じ展開であれば、彼女が逃げる場所は分かっている。
かつて魔獣の襲撃を受け廃村になった場所だ。
彼女は誰にも迷惑を掛けないよう、あそこでひっそり生きていくことを決める。
しかし、そこはなんらかの理由で人里を追われた者たちが集まる場所で、エーファは荒くれ者たちに捕まってしまうのだ。
それからしばらく後、僕は廃村へと辿り着く。
そこがどういう場所かを知る者であれば、絶対に訪れることのない場所だ。
崩れた家々の跡地に、行き場をなくした者たちが集まっているが、彼らの多くは犯罪者だったり、働けないとかなんらかの身体的なハンデを持っているという理由で、自分たちのコミュニティを追われた者たちだ。
その背景は様々だが、彼らに共通しているのは……
「おい……! 女だ! 女がいるぞ!!」
「しかも綺麗な格好してやがる、貴族のガキか?」
「俺らをこんな目に遭わせたくせに、のうのうと暮らしやがって……誰のおかげで、贅沢ができてると思ってるんだ」
彼らはみな、共通して外の人間を憎悪していた。
特に民から税を吸い上げる貴族への憎悪はかなりのものだ。
「いや!! 放して……」
浮浪者たちがエーファを羽交い締めにする。
「くくっ……こんな所に迷い込む間抜けの割には、可愛い顔してるじゃねえか。おい、連れ帰るぞ」
元が18禁ゲームなだけあって、倫理観が終わってる人間が多い……
僕は剣を抜くと、闇夜に乗じて彼らを斬り伏せ、エーファを救い出す。
「ど、どうして助けてくれたんですか……私、こんなにダメなのに……悪いこともしてきたのに……そのせいであのカイルって人は……」
やはりカイルの事がトドメになってしまったようだ。
「すごく怖かったけど……嬉しかったけど、助けられるべきじゃなかったんです……」
彼女を救い出した瞬間、彼女の全身は震えていた。
余程の恐怖を覚えたのだろう。
だが彼女は、それでもどこかで罰を受けたがっている。
その矛盾した感情を救うには……
「そうだ。君は酷いことをした。ドミニクを止めることも出来なかった」
「そうです。だから……」
「だから、罪を償うべきだ」
今の彼女に必要なのは自由ではない。
もし、彼女が自由を得たら、彼女はまたあの馬鹿げた選択を繰り返すだろう。
「一体どうすれば……?」
「ああ……」
だから僕は選択肢を提示する。
決して冴えたやり方では無いが、彼女にとっても納得ができ、それでいて最悪の選択を回避出来る選択肢だ。
「君は、僕の奴隷となれ」
「え……?」
それが、僕が必死に考えて絞り出した選択肢だ。
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