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第11話 立ち向かうべき時

「な、なんだ……?」


 全身の毛が逆立つ。このままフィーを行かせてはいけないと、警告しているかのようだ。

 思い立って僕はカイルに視線をやる。カイルなら、カイルなら必ずフィーを……


「ん? どうしたんだ?」


 しかし、カイルは呑気にぼーっと立っている。

 どうして、どうしてそんな風にしていられるんだ。なぜか、そんな怒りが湧いてきた。


 もういい。


 理由の分からない怒りを抱えたまま、僕はフィーの元へと駆け出す。

 確証はない。ただこのままじゃフィーが危ないという得体の知れない危機感と衝動があるだけだ。

 それでも僕は、夢中で剣を抜く。


「フィー!!」


 咄嗟にフィーを横に突き飛ばす。

 そして、何もない空間に向かって、渾身の力で剣を振り抜く。

 直後、空間に巨大な裂け目が開き、おどろおどろしい気を纏った人型が這い出た。


「キシャアアアアア!!!!」


 それは、まるで人型の昆虫のような見た目で、僕の背丈よりも大きい日本刀のような得物を振り下ろす。


 ――キィィイイイイイイン!!!!


 剣と剣がかち合い、凄まじい火花と金属音を放つ。

 同時に、人型が思い切り弾き飛ばされる。

 人型の体格は圧倒的で、膂力も比べ物にならないほどだ。

 だが、反応が早かったこと、理想的な体勢で剣を振るえたこと、それらが合わさって、遥かに格上の相手でも弾くことができた。


「な、何なの……あれ?」


 フィーは顔面蒼白といった様子だ。

 無理もない。僕だって、恐怖で押しつぶされそうだ。

 目の前に立っている昆虫の人型が放つ瘴気は、今まで見た魔獣の比ではない。


「フィ、フィー……おかしいな。ど……して……」


 アンナを始め、瘴気を吸った人々が次々と倒れていく。

 僕やフィー、カイルが無事なところを見ると、一定の魔力があれば耐えられるのだろうか。


「ニンゲンの幼子か。瘴気に耐えるどころか、我が一撃をも防ごうとはな」


 人型が言葉を発する。

 通常、魔獣は知性を持たない。

 人間を捕食するという本能に従い、破壊行動を行うだけだ。

 しかし稀に、瘴裂から高度な知性を持つ人型が現れることがある、彼らは――


「魔人だ……」


 カイルがボソリと呟く。

 その発生原因を始め、魔人たちの性質はほとんど解き明かされていない。

 だがはっきりしていることもある。


「魔人よ……お前達の勝手にはさせん!」


 フィーの父エドワードさんが、騎士剣を片手に魔人に背後から斬りかかる。

 しかし、魔人は振り向きもせず左手で刃を掴むと、凄まじい勢いでエドワードさんを投げ飛ばす。


「かはっ……」


 大木に思い切り背中を打ちつけたエドワードさんは、それきり気絶してしまう。


「あなた!」


 フィーの母、レナさんが駆け寄李、治癒術を掛けて介抱する。

 母上ほどではないが、エドワードさんもまた騎士剣術の達人だ。

 それがこうもあっさりと昏倒させられてしまう。

 それが魔人という存在の力だ。彼らを前にして、無事に立っていられる人間などほとんどいないのだ。


「幼子を相手にするというのは初めてだが、良かろう。我が瘴気に耐えた貴様らにチャンスをくれてやろう」


 こちらを見ながら、魔人が剣を地面に突き刺す。


「全力で逃げるが良い」

「え……?」


 耳を疑った。

 魔人は僕たちを見逃すと言ったのだ。

 彼らは魔獣と同様、人間を捕食することを目的としており、目についた人間は全てを屍に変えてしまう。

 しかし、彼はあっさりと僕らを逃がそうというのだ。


「案ずるな。我はこの場にいる者達を全て捕食するまで、貴様達を追いはしない。全力で逃げれば、命は助かるだろう」


 分かっていたことだが、それは温情でもなんでもなかった。

 ここには村の人たちがたくさんいる。

 魔人からすれば、僕ら三人が逃げようが逃げまいが、大して差がないのだ。

 それは哀れみでもなんでもない。ただの気まぐれでしかない。


「ダメだ……そんなことさせない」


 僕は震える手を押さえて魔人の前に立つ。


「ほう?」


 母上は言った。

 勝てないなら逃げろと。

 それは大事なことだ。命があるからこそ、何度でもやり直しが効く。


 だけど、ここで逃げることは……村のみんなを、僕と母上の恩人を、フィーの大切な人たちを見捨てることと同じだ!


「死にたいようだな?」

「そんなわけない……! だけど、大切な人たちが殺されて……フィーが暗い顔をして、笑えなくなったら……そんなの死んでるのと同じだ」


 それに、僕は一人じゃない。

 カイルなら、カイルと二人で立ち向かえば、必ずあいつを倒せる。

 僕には不思議と確信があった。背後を振り返り、僕はカイルに視線をやる。しかし……


「え…………?」


 僕は目を疑った。


「む、無理だ……! やめるんだ、レオン!! セレナさんに任せよう」


 そこにいたのは、戦意を失い、恐怖で泣き腫らし失禁する……そんな臆病者の姿だった。


「どうやら、お仲間とは意思の疎通が図れていないようだな」


 嘲笑するかのように魔人が言い放つ。


「カイル、何言ってるんだよ……! 僕らが逃げたら、誰が戦うんだ」

「お、俺たちはまだ子供なんだぞ!? お前だって、勝てないなら逃げろって言ったじゃないか!!」


 確かに……確かにそう言ったけど、まさかここでその言葉が跳ね返ってくるなんて。


「カイル、一体どうしちゃったんだ? いつもの君なら……」

「いつもの君ってなんだよ!! 俺は……俺は、四つも下のお前にも負けるような……そんな、弱い男なんだよ……」


 まさか……


 まさか……僕のせいなのか?


 僕は先ほどの打ち合いで、カイルから始めて一本を取った。

 それがカイルの自信を奪ってしまったのだろうか……?


「で、でも……でも、君は君はフィーのために立ち上がる! そうだろ!」


 ここでカイルは勇敢に立ち向かい、フィーの大切な人を救う。

 それがカイルという男のはずだ。

 記憶ははっきりしないけど、僕にはそういう確信があった。

 それなのに今のカイルは、自信を失い、何もできないでいる。


「レオン、カイルと一緒に逃げて……」


 その時、フィーの声が響いた。

 彼女は気を失ったアンナの側に寄り添っていた。


「カイルの言う通り……勝てる訳ないよ……お父さんだってやられて……」


 フィーの両目から止めどなく涙が溢れる。

 なんとなく分かる。彼女は……彼女はみんなと運命を共にするつもりだ。

 それでもフィーは涙声のまま続ける。


「勝てないなら逃げる。それがセレナさんの教えだよね? セレナさん、すごく心配してる……よ? ダメだよ。たった一人の家族なんだから、心配させちゃ」


 っ……


 その瞬間、僕の頭の中に映像が流れ込む。

 それはまるで現実のように鮮明で、真に迫るものだった。


 ――一人残り、友と家族と運命を共にすることを選ぶとは、殊勝だな。


 魔人がフィーに視線をやる。


 ――うっ……うぅ……いや……いや……死にたくないよぉ……


 恐怖に支配され、フィーはすっかり顔を歪めている。

 だが、魔人は容赦なく迫っていく。

 その度にフィーは、涙をはじめとした体液を全身から漏らし、迫る死の恐怖に怯える。

 そして、剣が振り下ろされると、耳をつんざくような悲痛な断末魔と共にその最期を終えるのであった。


 っ……今のは?


 ふと、目の前の光景が変わる。

 アンナに寄り添うフィー、恐怖で立ち尽くすカイル、そしてそんな僕たちを眺める魔人。

 先ほどの惨劇は僕の頭の中に湧いた映像だった。

 僕はまるで時間が巻き戻されたかのような感覚を味わいながら、先ほどの映像と現実を区別する。


 そうか。フィーはあれほどの恐怖を抑えながら、僕とカイルを逃がそうと……


「レオン、カイル。わた、私は平気だから……だからね。二人ともここから――」

「逃げないっ……!!」


 僕は、フィーの言葉を遮るように大声で叫ぶ。


「何が『私は平気だから』だ。全然、そんなことないじゃないか!!」


 フィーはただ死の恐怖を抑えているだけだ。

 僕らが逃げやすいように、必死に取り繕っている。

 この先の未来を予感しながら、それでもフィーは恐怖に耐えているんだ。


「カイルがやらないなら、僕がやるだけだ。フィーも、村のみんなも、僕が死なせない」


 ごめんなさい、母上。母上との約束。破ってしまいました。


 勝ちの目は一切無い。所詮僕はまだ十歳の身だ。

 魔人の相手など、できるはずもなかった。


 だが覚悟を決めて、僕は一歩前へと踏み出す。

 すると、魔人は剣をゆっくりと地面から引き抜いた。


「面白い。この場で最も幼い貴様が、最も勇敢だとはな」


 楽しげな様子で魔人が剣を振りあげる。

 こうして絶望的な戦いの幕が開くのであった。

 お読みいただいてありがとうございます!!


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