69*
「さあ、戻りましょうか。殿下」
エリーゼは小瓶をガウンのポケットにしまい、肩に掛けていたストールを取ると、俺の肩に掛けてくれた。身体に当たっていた秋の夜風が遮られ、フワッと体が温かくなる。それは気持ちも同じだ。
俺は、首を横に振った。
「狡いぞ、エリーゼ。自分だけブランコに乗って。俺も乗る」
まだ、戻りたくなかった。まだ、ここに一緒にいたかった。
「昼間に一緒に乗ったではないですか・・・」
エリーゼは呆れたように言った。でも、俺は大きく首を横に振った。
「夜は格別ってお前が言ったんだぞ! 折角、こんなに満天の星空の夜なのに!」
「もう。分かりましたわよ。確かに夜は素敵って言いましたわ。では、どうぞ」
エリーゼはまったくとぶつぶつ言いながらも俺を抱き上げ、膝の上に置いた。
そして、ゆっくりブランコを漕ぎだした。徐々に揺れが大きくなる。
俺は空を見上げた。満天の星空が近づいては離れる。こんなにゆっくり星を見たのは何時ぶりだろう。
「今日は月も綺麗ですわね」
エリーゼを見ると、彼女も一心に星を見つめている。
「ああ、綺麗だ・・・」
俺は思わず呟いた。
月明りに照らされた彼女の顔は本当に綺麗だった。
「なあ、エリーゼ、俺はレベッカを婚約者候補になんてしないぞ・・・」
俺はエリーゼを見上げながら言った。
エリーゼは驚いたように俺を見る。
「・・・本当に・・・?」
「ああ」
「それは、わたくしを慮ってのこと?」
エリーゼは可愛らしく首を傾げる。俺の心臓がトクンッと跳ねた。
「そ、それは・・・っ。だって、考えても見ろ! クロウ家だぞ!? 奴の策略に嵌るわけがないだろう! 奴は自分の娘を第三王子妃なんて考えてはいないはずだからな」
「ハッ! そうでしたわ! 王太子妃を狙っているのだったわ!」
エリーゼは大切なことに気が付いたように目を丸くした。
「でも、彼女自身は陰謀を知らされていないのでしょう? あの器で王太子妃なんて烏滸がまし過ぎるもの・・・」
相変わらずサラッと毒づく。
「彼女自身はレオナルド第三王子妃を狙っておりますわよ。それに、クロウ家だって今回のウィンター家の失態で陰謀から手を引いたら・・・? もしも、王太子の派閥に取込むことが出来たら?」
「一度、裏切った家をそう簡単に信じるか。どうであれ、クロウ家の娘は婚約者候補には登らない。だから、レベッカが俺の婚約者になることは絶対にない!」
俺はプイッと顔を背けた。
「そうですか。ならば、わたくしの尊厳は守られますわね。ありがとうございます、殿下」
フフッとエリーゼは笑う。
「彼女以外なら・・・どなたでもよろしいわ・・・」
エリーゼはそう言うとまた夜空を見上げた。
その言葉に俺の胸がキリッと痛む。この痛みにエリーゼは気が付いていないんだろう。気が付かなくて当たり前だ。俺が何も言わないのだから。頭では分かっているのに、悔しくて腹が立つ。
「俺は・・・」
「?」
「何でもない・・・」
俺も星を見上げた。
分かっている。エリーゼは本当に俺のことを何とも思っていない。昔からそうだ。
婚約者であるくせに、俺を異性としてまともに見たことがない。友人以上の関係を俺に求めてこなかった。
俺はそれが悔しくて、気を引こうとちょっかいを出していたが、それが全て裏目に出た。
学院に入学してから、意図的に令嬢たちと交流を始めたのも、エリーゼに意識して欲しかったからだ。
最初は注意されることが、嫉妬されているのだと嬉しくなったものだが、それが勘違いと分かると、愕然として、気持ちが徐々に萎えていった。
それからは、自分の気持ちに蓋をするようになった。さらに自分に言い聞かす。俺はこいつを好きではないと。まるで深い暗示でも掛けるように。
こいつは俺を好きではない。
俺だって、こいつを好きじゃない!
そう言い聞かせ続けた。そうやって本当の気持ちから・・・エリーゼから逃げてきたんだ。
それを今更・・・。
『わたくしだって今更許しを請われても困りますから。いい迷惑です』
以前、エリーゼに言われた言葉を思い出す。
「本当にいい迷惑だ・・・」
思わず呟いた独り言は、幸いにもエリーゼの耳には届かなかった。
☆彡
一緒にエリーゼの部屋に戻ると、彼女は濡れたタオルで転んで汚れた俺の手を丁寧に拭いてくれた。
「まったく・・・、夜道を走るなんて。お怪我していなくて良かったわ。今のお姿が二歳児ということを忘れないで下さいませ。運動神経は大人よりもずっと低いのですからね」
ブツブツ説教しながら、俺の手を拭く。
拭き終わると、よいしょと俺を持ち上げ、ベビーベッドに乗せた。
「では、お休みなさいませ」
そう言って離れようとするエリーゼの長い髪の裾を、俺は両手で掴むと、彼女の顔をグイッと自分の方に引き寄せた。
「な・・・?」
いきなり引き寄せられ、驚いているエリーゼ。俺はその頬に唇を当てた。
「!!!」
俺は目を丸くしているエリーゼの髪の毛をパッと離すと、
「昼間の仕返しだ!! ざまーみろ!!」
そう叫んで、バッとベッドに横になり、シーツを頭から被った。
心臓がバクバクとうるさい。この音が外まで漏れてしまいそうだ。
俺は胸を押さえながら、ギュッと目を閉じた。




