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(またやってしまった!)
俺はベビーベッドの中で頭を抱えていた。
『出過ぎたことを申しました。失礼しましたわ。お休みなさいませ』
にこやかにしていたエリーゼが、急にスンと表情が無くなったかと思ったら、クルリと向きを変え、ベッドに潜り込んでしまった。
俺の余計な一言で、またエリーゼを怒らせてしまった。
でも、アイツが可愛げのないことを言うのがいけないんだ! 俺の婚約者に他の令嬢を薦めるなんて。
俺はシーツを頭から被り、彼女を怒らせてしまった後悔と、彼女への怒りが相交じり、ギリギリッと歯を喰いしばっていた。
それでも、無理やり眠ろうと目を閉じる。
『やっぱり殿下は・・・、わたくしの立場なんて、これっぽっちも考えて下さらないのね・・・。分かっておりましたけれど・・・』
しかし、そう呟くように言ったエリーゼの落胆した顔が目に浮かんでしまい、全然眠れない。
悶々とベッドの中で蹲っていると、エリーゼがベッドから起き上がる音がした。
俺はシーツの隙間からそっと盗み見ると、彼女は窓から外の景色を眺めていた。しかし、何かを思い付いたように、急に踵を返すと、ランタンを手に取り、火を点した。そして、ガウンとストールを羽織ると部屋から出て行ってしまった。
「な・・・!?」
何処に行く気だ!?
俺は慌てて飛び起きた。ベビーベッドの手すりを何とか乗り越え、ピョンッと床に飛び降りた。
さっき外を眺めていたのだから、きっと向かった先は庭園だ。庭園で彼女が行くとなったらブランコだろう。気分を害した時はブランコに乗ると言っていたのだから。そして、まさに今、俺とのやり取りで相当に気分を害したわけだから。
だからって、こんな深夜に何を考えているんだ!
自邸と言え、外に出るなんて! 何かあったらどうするんだ!
俺はすぐに彼女の後を追いかけることにした。
一度、扉に向かったが、ある物を思い出して、エリーゼのベッドのサイドテーブルに戻った。
そこに置いてある小瓶を掴むと、ネグリジェのポケットに忍ばせて、部屋から出た。
俺は全速力で走ったが、二歳児の足は遅い。
さらに、出口の扉は二歳児にはとても重い。エリーゼが出た後のお陰で施錠は解かれていたが、開けるのに一苦労だった。
やっとの思いで外に出ると、庭園に向かって駆けだした。
途中、小石に躓いて、派手に転んでしまった。ポケットに入れていた小瓶が外に飛び出したが、幸い、蓋は開くことはなく、中身は零れずに済んだ。俺は急いで小瓶を拾うと、ポケットにしまい直し、再び駆け出した。
ブランコまで辿り着くと、やはりそこにエリーゼがいた。
夜空を見上げ、一心にブランコを漕いでいる。
でも、俺の足音に気が付いて、ブランコを止めた。
「殿下・・・?」
驚いた顔をして俺を見ている。俺は無言でエリーゼに近寄った。
「殿下、どうしてこんなところに・・・?」
ブランコに座ったまま、エリーゼは目の前に立った俺をポカンと見下ろす。
「お前こそ、どうしてこんなところにいるんだ! 夜中だぞ! 危ないじゃないか!」
「危ないって・・・、自分の邸ですわよ?」
エリーゼはまだポカンとした表情のまま。
「でも外じゃないか! こんな広い庭園! 何かあったらどうする!?」
俺は両手を腰に当てて、踏ん反り返った。
「あの・・・、まさか、わたくしを心配して追いかけてきてくださったの?」
エリーゼは首を傾げて俺を見つめる。俺は慌てて顔を逸らした。
「べべべ、別に、誰が心配なんかっ! お前が急に起きたからっ」
「ですわよね・・・」
エリーゼはハァと小さく溜息を漏らした。
しまった! また、やってしまった! また呆れられた!
俺はどうしてエリーゼの前ではこうも捻くれてしまうのだろう。
心配だから追いかけて来たに決まっているのに!
「起こしてしまって申し訳ございませんでした。もう戻りますわ」
エリーゼは目線を落とすと、ゆっくり立ち上がろうとした。俺は慌ててそれを制すべく、大きく一歩踏み出した。
「?」
キョトンとしたエリーゼの前に、ポケットから取り出した小瓶を差し出した。
「持ってきた・・・」
「スミレの砂糖漬け・・・?」
エリーゼは再びブランコに腰掛けると、俺から小瓶を受け取った。
「わざわざ持ってきてくださったの?」
驚いた顔を俺に向ける。俺は目を伏せた。
「甘い物・・・、食べれば、少しは気分が良くなるだろう・・・?」
キュッと蓋を開ける音がしたので、チラッと見上げると、エリーゼは小瓶から砂糖漬けを一粒取って自分の口に放り込んだところだった。俺と目が合うと、彼女はもう一粒取り、俺の口に近づけた。俺は口を開けた。ポイッと砂糖漬けが放り込まれる。
その時、エリーゼが優しくふっと笑った。
どうしてか、さっき食べた時より、数倍甘さを感じる。アルコールが入っているわけでもないのに、頬にうっすらと熱を感じた。




