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私はそんな彼を見て、自分の気持ちがスーッと冷えていくのが分かった。
観劇を観た後で、相当浮かれていたのかもしれない。急に現実に引き戻された。その温度はかなりあったようだ。一気に手先が冷えた気がする。顔のほころびもスッと消えた。
「そうですわね・・・。わたくしがとやかく言う筋合いはありませんわね」
私は摘まんでいた砂糖漬けを小瓶に戻し、キュッと蓋を閉めた。
「レベッカ様にあれだけ傲慢な態度を取ってしまったので、彼女が婚約者になったら・・・、いいえ、候補になっただけでも、わたくしの立場はとうなるか。わたくしの名誉は彼女に踏みにじられるでしょうね。でも、そんなことは殿下には関係ありませんものね。わたくしの自業自得だわ」
「あ・・・、いや・・・」
「やっぱり殿下は・・・、わたくしの立場なんて、これっぽっちも考えて下さらないのね・・・。分かっておりましたけれど・・・」
レオナルドに視線を戻すと、彼は少し慌てたような顔をしている。私は彼に小さく頭を下げた。
「出過ぎたことを申しました。失礼しましたわ。お休みなさいませ」
私はクルリと踵を返すと、ベッドに向かった。
サイドテーブルに砂糖漬けの小瓶をそっと置くと、ランプを消し、ベッドに潜り込んだ。
☆彡
ベッドに横になったのはいいが、どうにも寝付けない。
レオナルドに言われた一言にこんなにも気持ちが沈んでしまったことに、驚く自分と苛立つ自分がいる。それにかき乱されて、眠りたくても眠れない。
イライラする気持ちを落ち着かせようと、何度も深呼吸する。
マイケルはもう寝てしまっただろうか? 気晴らしに彼とお喋りでもしようか?
しかし、彼は明日の朝には学院に戻らなければならない。夜更かしに突き合わせるのも気の毒だ。
いつまで経っても眠れずに、私はとうとう起き上がった。
そっとベッドから這い出ると、窓際に行き、カーテンを捲って外を見た。夜空にはたくさんの星が光っている。
(そうだ! ブランコ!)
私は思い立つと、ランタンに火を点した。そして、急いでガウンを羽織ると、更にその上にストールを羽織り、そっと部屋から抜け出した。
私が夜にブランコに乗るのは今に始まったことではない。
今日みたいに満天の星空の日には、こっそり部屋から抜け出してブランコに乗っていた。
今日は満月のようだ。月明りにも手助けされ、難なくブランコまで辿り着いた。
私はランタンを地面に置くと、そっとブランコに座った。
夜空を仰ぐ。満天の星空。
私はゆっくりとブランコを揺らし始めた。
夜の風は少しひんやりするが、苛立って若干火照っている私を冷まして落ち着かせてくれるようだ。
夜空を眺めながらモヤモヤした気持ちを押し殺し、さっき見た歌劇のクライマックスシーンを無理やり思い出す。
あんなに素晴らしい舞台を見たのだ。つまらない苛立ちにその余韻を消されるのはもったいないではないか。
徐々に、苛立ちやモヤモヤした気持ちよりも、歌劇を見終わった後の感動が蘇ってきた。目を閉じて、更にその感動を思い起こす。美しいソプラノ。心地よいテノール。腹に響くほどのバス・・・。
だんだん心は歌劇の余韻に満たされ始めてきた。
私は舞台で聞いた曲を鼻歌で歌い始めた。
別にレオナルドが誰を婚約者にしても構わないじゃないか。
私を虐げようとしている女を選ぼうが、もうどうでもいい。勝手に嘲りたければ嘲り、笑いたければ笑えばいい。
そんな風に自分を鼓舞する。
そして、ブランコを漕ぐ腕にも足にも力が入り、揺れはどんどん大きくなる。比例して鼻歌も大きくなった。
レオナルドは、そんな風に笑われている私を見ても、きっと何とも思わないのだろう。だから、あんなことが言えるのだ。それどころか、一緒になって笑うかも。
最近、一緒に時を過ごすうちに、昔よりは親しくなったと思っていた。少しは私のことも考えてくれるようになったと思ったが勘違いだったようだ。
レオナルドの事が頭を過った途端、折角の歌劇の余韻がかき消された。再び沈んだ気持ちに襲われる。
私は目を開けて夜空を見上げた。食い入るように星を見る。
(無心になれ!)
夜空を仰ぎ、ブランコを漕ぐ。
レオナルドのことも、歌劇のことも、すべて頭から消し、目の前に広がる星空に集中する。
そうして、無心にブランコを漕いでいると、近くでザッザッと人の足音が聞こえた。
私は驚いて、音のした方に振り向いた。
自邸の庭園と言っても、深夜だ。誰もいないはずなのに。侵入者か!?
しかし―――。
「殿下・・・?」
そこには、息を切らせて立っているレオナルドの姿があった。




