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「アイツだけって・・・、どういう意味だ・・・?」
レオナルドは両手で頬を摩りながら、神妙な顔で私に聞いた。
「申し上げた通りです。あの方だけが何の偏見もなく、わたくしに接して下さるの。他の殿方は、わたくしが挨拶しても返事すらまともに返してこないほど、わたくしを見下しておりますから」
「え・・・?」
「自分の仕える主に習ってのことでしょう。殿下が見下している相手は自分も軽視しても何ら問題ないと思っていらっしゃるのでしょ、きっと」
「・・・」
「彼らの態度には、学院在学中、本当に、ずーっと嫌な思いをさせられておりました」
「そう・・・だった・・・のか・・・?」
レオナルドは初めて知ったのか、青い顔をして私を見ている。
「それは、知らなかった・・・」
「そうでしょうね。学院内で殿下とわたくしがご一緒する機会はほとんどありませんでしたし。あの方達も殿下の前では下手な態度は取らなかったですしね。何より、殿下が知ろうともなさらなかったもの」
「・・・!」
「その中でもアラン様だけは違いました。あの方だけはどなたとも分け隔てをせずに・・・、いいえ、それどころか、きちんとわたくしを殿下の婚約者として、敬意を持って接して下さったのです。他の下衆共の態度と比べてしまうのは当然でしょう? そりゃ、笑顔にもなりますわよ」
「そう・・・だな・・・」
レオナルドは俯いた。
「これでお分かり? わたくしがアラン様一択を言った理由が。殿下の側付きの中で、この嫌われ者のわたくしが連絡を取れる相手はアラン様以外いないのですよ? よろしい?」
「ああ・・・。分かった・・・」
レオナルドは俯いたまま頷いた。
思い当たる節が大いにあるのだろう。今になって当時の態度を反省し始めた。
今更もう遅いわけだが、猛省している姿を見ると、多少溜飲が下がる。
それでも、胸のムカつきが収まらない。
私はパトリシアに甘めのお茶でも用意してもらおうと、席を立ち、メイドを呼ぶ紐を引いた。
「エ、エリーゼ・・・」
レオナルドの呼びかけに振り向いた。
驚くほど困惑した顔をしている。
「その・・・、知らなかったとは言え・・・、すまなかった・・・」
蚊の鳴くような声で謝ってきた。
「そうですわね。はっきり申し上げて殿下のせいです。殿下がわたくしに対して常に横柄な態度をお取りだったせいですから」
膝に両手を置いて姿勢を正し、眉尻を下げ、上目遣いにこちらを見る。その姿だけを見ると、母親に叱られてシュンとしている二歳の女の子。
つい、ほだされそうになるが、この可愛い女の子の中身はレオナルド!
「でも、もう過ぎたこと。それに、今後は彼らと会う機会も無くなるわけですし、もういいですわ」
私は肩を竦めて見せた。
「もし、会うことがあっても、それはもう学院内ではないのです。学院内のようにある意味平等性が守られている世界ではない、れっきとした真の社交場。わたくしはこの国の宰相閣下を父に持つミレー侯爵家の娘なのです。いくら殿下の側近だからと言ってわたくしを蔑ろにできる立場ではないのですから」
「そうだが・・・」
レオナルドはモジモジと申し訳なさそうに口ごもる。
私はソファに戻ると、レオナルドの隣に少し乱暴にトスンッと腰を下ろした。そして、これ見よがしに両手と足を組んだ。
「それにしても、本当に浅はかな人たちだわ、殿下の側付きの方々って。わたくしが婚約者のままだとして、学院を卒業して王宮に入った後も同じ態度を取るつもりだったのかと思うと、なかなか笑えますわね。わたくしが在学中ずーっと我慢していたのは、王子妃になった暁には、あの者たち全員左遷してやるつもりだったからですわ。妃の権力だけでなく、宰相である父の権力も、ありとあらゆるコネを使って。殿下には悪いですけれど」
「な・・・」
レオナルドは目を丸くした。
「そのくらい真っ黒い妄想をしていないとやっていられないくらいだったもの」
私はニッと意地悪そうに笑って見せた。
レオナルドの頬は私が力強く摘まんだせいで、かなり赤く跡がついてしまった。流石にやり過ぎた。相手は王子なのに。
「ですから、殿下、もうお気になさらず。わたくしもあの者たちと同じくらい腹黒ですので」
罪悪感から赤く腫れあがった頬を両手で優しく摩った。
「・・・!」
レオナルドは目を見開いた。
あれ、摩っただけだが痛かったか? 頬の赤みが増してきた気が・・・。
「殿下? 痛かったですか?」
私が頬を摩りながら問いかけると、レオナルドはバッと私の手を振り払った。
「あ、あ、当たり前だ!! 力一杯つねりやがって!」
「確かに手加減はしませんでした。思いっきりつねらせていただきましたわ」
「お、おま・・・」
「でも、わたくしは謝りません! 今回ばかりは・・・いいえ、今回も殿下が悪いですから」
私はツーンとそっぽを向いた。
そこに扉のノックする音が聞こえ、パトリシアが入ってきた。
「お呼びでしょうか? お嬢様」
「お茶を用意してくれる?」
「かしこまりました」
パトリシアが部屋を出て行ってから、レオナルドに振り返ると、彼は口元に左手の甲を当て、向こう側を向いていた。耳元から首にかけて少し赤みを帯びている。
「殿下、お熱でもあります? 何かお肌が赤いような・・・」
「な、何でもない!! もう触るな!」
私が顔を覗き込もうとすると、レオナルドはさらに顔背けてしまった。
まったく・・・、しおらしくなったのは一瞬だった・・・。もうこれだもの・・・。




