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「どうだったんだ?」
私が部屋に戻ると、待ちかねたかのようにレオナルドがベビーベッドの柵から身を乗り出して聞いてきた。
「やはり、箝口令が敷かれてようですわ。殿下の不在については認めませんでした」
「そうか・・・」
「お城の中は相当混乱しているようです。父はお城にとんぼ返りしましたし。それに、碌に寝ていないようでした。目の下の隈は尋常ではありませんでしたわ。やつれ果てて、たった一日で十年は老けてしまったみたい」
「・・・そ、そう・・・か・・・」
レオナルドは申し訳なさそうに目を伏せる。
「それから」
私は自分のベッドに腰掛けた。
「父曰く、レオナルド殿下は今回の婚約破棄について大変後悔しているそうです」
「は?」
「猛省しているんですって」
「はあ?」
「どうやら、わたくしに跪いて許しを請う予定らしいですわよ」
「はあぁぁあ?」
レオナルドは目を剥いて奇声を上げた。
「そういう事になっているようですから、元の姿に戻った暁には全力で否定してくださいませね。わたくしだって今更許しを請われても困りますから。いい迷惑です」
「だ、誰が請うか!」
「ですわよね。安心しました。では、もう寝ましょう」
私はそう言うと、サイドテーブルに置いてあるランプを消した。
「お休みなさいませ、殿下」
「フンッ!」
私の挨拶にレオナルドは大きくそっぽを向くと、ドサッと私に背を向けて横になったと同時に、シーツを乱暴に頭から被った。
その態度にイラッとくるが、これもあと二日の辛抱だ。
上手くいきさえすれば、明日にでも薬ができるかもしれない。
そうしたら、こんなガキ、さっさと追い出してくれる!
そんなことを思いながら、私はベッドに潜り込んだ。
しかし、私の切なる願いは、翌日早々に裏切られることになる。
☆彡
翌朝、レオナルドを連れて母の待つ朝食用のダイニングに向かう。
母がニコニコと笑顔で見守る中、レオナルドに朝食を食べさせる。
レオナルドも、諦めたのか、慣れたのか、単に母の前だからなのか分からないが、もはや嫌な素振りは一切見せず、自ら口を開ける。
「ふふふ、お上手ね、ミラちゃん。残さず食べて偉いわぁ、いい子ね~」
母はすべて平らげたミラちゃんを褒め称える。
頭の中も二歳児に低下してしまったのだろうか。こんなことで褒められて何が嬉しいのやら、どこかドヤ顔になっているレオナルドに若干引きながらも、私は疎かになった自分の食事を早々に終えた。そして、まだレオナルドと一緒にいたい母に、午後のお茶の約束を取り付けることで解放してもらい、部屋に戻った。
部屋に戻ると、間を置かずにパトリシアがやってきた。
「お嬢様。お手紙が届いております」
私はトレーに乗った手紙を受け取った。差出人の名前は書いていない。
パトリシアは神妙な顔で私を見ている。
「例の・・・お嬢様のお友達のお知り合いのお方からでしょうか?」
「きっとそうね。大丈夫よ、パット。心配しないで。ありがとう、下がっていいわ」
パトリシアが部屋から出て行くのを見送ってから、私はこの手紙を開いた。
「ザガリーからだな?! 何て書いてある?!」
レオナルドは背伸びをしながら私のスカートにしがみ付いた。
「ちょっと待ってくださいませね。え~っと・・・なになに・・・? 薬の調合が思いの外手こずっております・・・って、え・・・?」
「え゛・・・?」
「最短でも十日以上・・・下手したら一ヶ月掛る可能性が・・・」
「は?」
「それまでは殿下をどうぞよろしく・・・・」
「・・・」
「尚、この手紙は情報漏洩対策として開封後、五分ほどしたら文字はすべて消えます・・・」
「・・・」
「・・・って・・・、ちょっとー! なにこれーー!?」
私はプルプル震える手で手紙を覗き込む。何度も読み返すが、当たり前だが、書いてある内容は変わらず。
「最短で十日・・・っ! 下手したら一ヶ月ですってぇ!?」
「エ、エリーゼ・・・、て、手紙・・・、見せてくれ・・・」
弱々しくスカートを引っ張られ、ハッと我に返り、レオナルドに振り向くと、彼は血の気の引いた顔で私を見上げている。
私は無言で手紙を手渡すと、彼も無言で受け取った。青白い顔で手紙を読む。
彼が読み直したところで内容は同じ。見落とした箇所もなく、新しい事実は発見されることはない。
レオナルドはハラリと手紙を床に落とすと、腰を抜かしたようにその場にペタリとへたり込んだ。
青白い顔のまま、呆然とし、どこか明後日の方向を見つめている。
私は深く溜息を付くと、床に落ちた手紙を拾った。
「・・・っ! 文字が・・・」
手紙の文字が、上の行からサーッと風に吹かれて行くように消えていった。




