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001:大司教なる男


 クチャクチャと肉を咀嚼する音が神聖とされている建物の一室に響いている。

 聖導教会アルフィリア支部。

 建物は切り出してきた石材により柱も屋根も形作られているが、全面を石膏で塗り固めているおかげで日中は白一色に染まっている。

 とはいっても篝火やランプ等、心許ない光であってもそれくらいしか視界を確保するすべが無い夜間ともなればやはり闇に紛れて判別なんてできたものじゃあないのだが。

 いずれにしても夜間の礼拝は教義により禁止されている神殿内であっても大司教の部屋であれば幾人かの息遣いがあってもおかしくは無かろう。


 大司教アマデウス・ヒッツァー氏は食べ過ぎと飲み過ぎによる豊満な腹が波打つのも構わずに、今夜もテーブルに並べられた肉と酒で腹を満たし、或いは左右両隣に侍らせた女官――アマデウスの命令により娼婦の如き卑猥な衣装を身につけている――の太ももや胸の膨らみに肥え太った指を這わせたりなどする。

 禿げ上がった頭がほんのり上気しているのは食後に行われる予定となっている聖なる行為と称しての男女の営みに対して期待と興奮を隠しきれないからだ。

 片方の女官が嫌悪感から顔を伏せ身を強張らせるのを感じて、大司教は告げた。


「ぐふふっ。崇高にして偉大なる神エヘイエに身も心も捧げるのです。さすれば寵愛と悦楽を賜り死してなお安寧なる幸福を享受することが叶うでしょう」


 大司教は神の代弁者。即ち神そのものである。

 故に奉仕し、全てを委ねよ。

 男が神の威を借りて曰えば美しき女官は「御心のままに」などと、震えた音色で応じた。


 ――決して口には出さないが、アマデウスは内心ではこう思っていた。

 宗教ほどボロい商売は世界中を見渡しても他に無いと。

 底無しの馬鹿である民衆達を教義によって縛り付け、洗脳し、御布施おふせせよと全財産を巻き上げ、足りなければ異教徒から略奪させて貢がせる。

 神がお望みであるといえば信者達は疑いもせずに奴隷以下の待遇を受け入れてくれる。

 逆らえば地獄に落ちると説けば一発だ。

 こんな美味しい商売は無い。

 国家を跨いで拡大した教会の権勢は今や国を統べる王よりも上なのだし、誰も止める事などできまい。


 一神教が他の宗派を認めないのは比較対象が出来てしまえば信者たちが奴隷と何ら変わらぬ扱いを受けていることに気付いてしまうから。

 彼らは心の安寧を得ながら奴隷として搾取され続ける。

 これこそが宗教の本質である。


 そもそもの話、教会の教理とも言える“聖書”は大昔に実在した聖人が書いた物ではない。

 聖人が国家の反逆者として磔の刑に処された後で、弟子達が己が欲望の赴くままに書き連ねたものが聖書であり。

 愚民を洗脳し奴隷化するツールとして発明されたそれは、歴代の教皇が更に改竄と編纂を重ね既に原典とは似ても似つかぬ代物と化している事さえ愚民どもは知らない。


 そんな詐欺師のマニュアルとも言える嘘に塗れた書物を有り難がって後生大事に懐に仕舞い込んでいるのが信者達なのである。

 これを滑稽と言わずして何と言おうか。

 アマデウスは内心でほくそ笑み、けれどそんな素振りはおくびにも出さず、あくまで聖職者として信者達を教え導いていますとでも言わんばかりの真面目くさった顔で肉を喰らい酒を呷り女を抱くのだ。


 聖書の一節に“汝の敵を愛せ”なんて記述がある。

 だが教会が教主としている聖人は、自分の敵を愛さなかったし赦しもしなかった。

 だから磔にされた。

 つまり聖書は聖人に出来なかったことを一般信者に要求しているってこと。

 普通に考えれば如何に異常な内容か分かりそうなものだが、これまでこういった疑問はついぞ聞かれた試しがない。

 つまり信者どもは自分で考えることをしていないって話だ。

 自分の頭で考える事をしない人間は人間ひとではない。

 犬猫のような獣にも劣る家畜以下の存在だ。

 善行も悪行も、愚行であっても、自分の頭で考え行った先にこそ得るものがあるというのに。


 だから自分は今の暮らしができている。

 だから信者(虫けら)どもは一生を奴隷として終えるだけ。

 そんな下等な馬鹿共に安寧と幸福を与えてやっているのだから文句なんぞは言われる筋合いが無い、と。


 これが宗教である。

 宗教こそが、この世で最も利益率の高い詐欺行為しょうばいである。

 いや、詐欺と言ってはいけないか。

 教団幹部たちは富と権力、無償の労働力と奉仕を得るのと引き換えに、救いようのないほど馬鹿な民衆達にその場凌ぎの安寧を与えている。

 敗者のない、勝者だけの関係。

 それだけでも感謝して欲しいくらいなのに、教会内では奇跡の御技を用いて怪我人の治療や、場合によっては死者の蘇生まで行っている。

 もちろん対価として高額な御布施おかねは要求するが、たった一つしか無い命の消失すら治療してやっているのだからそんな物で足りるわけが無い。

 そいつが今持っている財産の全てと今後得るであろう資産の全て。更に身も心も命さえ、ありとあらゆる全てを差し出さなければこちらとしては納得できない。

 虫けらにも等しい民衆などは、本来であれば無条件で奴隷として家畜として神である自分に尽くして当たり前のところを救ってやっているのだから感謝しない方がおかしいのだ。


 と、これがアマデウス大司教の心根であるが、そんな自分を指して腐りきっているなどとは思っていない。

 他の大司教や教皇様に比べたら、これでも充分過ぎるほどに高潔なのである。


 教皇様ともなれば酒池肉林は当たり前。

 気に入らない国家があれば他国の信者に根回しして攻めさせ滅ぼし、金銀財宝の総ざらい。美しい娘は問答無用でハーレム要員として囲い、飽きたら奴隷として売るか部下に命じて処分する。

 アマデウスですらドン引きする程には悪辣なる教皇様なのである。


 もちろん、だからといって辞めたいなどとは露程にも思っていない。

 だってそりゃあ、富も権力も思いのまま。例えば結婚したばかりの夫婦の嫁の側にお清めの名目で夜伽を命じ、麻薬にも等しい薬剤と催眠術との併用で骨の髄まで堕としきるといった所業が誰憚ることくできてしまう、まかり通ってしまうのだから。

 こんな美味しい立場は他に無く、だから教会を去るなどといった選択肢など見当たらないのだ。


(……しかし、最近はどうにもキナ臭い。女神教か。早めに対処せねばならんな)


 そんな大司教であっても心配事はある。

 まだ成立してから一年にも満たない新興宗教だが、“女神教”とかいう宗派が現れた。

 本来なら百万人とも言われる信者たちに動員を掛けて押し包み皆殺しにすべきなのだが、静観せざるを得ない状況なのだ。


 まず第一に、女神教はラトスという町を起点として興されたが、この町の住民ほぼ全てが同宗派の信者になっている。

 その部分だけを取り沙汰すれば異常な事のように思われるが、そうなった原因を聞けば納得するだろう。


 一年前に起きた数十万匹もの魔物たちによる侵攻と、王国軍によりこれを撃退した事件“ラプラス戦役”にてラトスの住民はほぼ全てが皆殺しにされた。

 少なくとも彼らから引き出した証言ではその様に思い込んでいる。

 だがここで奇跡が起きたのだ。

 話によれば本物の女神が降臨し、死した住民達その全てを同時に瞬時に復活させたのだとか。

 聖導教会では多数の聖女を囲い込んでいるが、その内で同じ事が出来る人間など一人として存在しない。

 しかも夜間の出来事であったにも関わらず、夜が真昼のように明るくなったという証言が国境を越えた先にある隣国からもたらされている。


 この時、アマデウス自身は官女たちと“()なる儀式”の真っ最中で実際には見てはいないし、故に数十万の魔物やら女神やらも誇張により尾ひれの付いた与太話であろうとは思うのだが、しかし現に猛烈な勢いで当教会の信者達が喰われているところを見ると大規模な幻覚魔法でも使用したのかと疑いたくもなるってものだ。


 そして女神は十数万もの死者を蘇らしてからは長い眠りに就いたと、与太話は決まってそのように締め括られる。

 そこでアマデウスは信者という名の軍団を率いて略奪と鏖殺を目的とした進軍を開始した。


 だがこれを邪魔をしたのは王家である。

 アルフィリア王家には金獅子とすら謳われるエリザ王妃が君臨し、故になかなか思い通りにならない厄介な手合いなのだが。


 このエリザが「信者達が女神と呼ばわるのは貴族家の娘で、この娘は次期国王の婚約者である」と明言したのだ。

 そんな情報はどこからも入っていなかったので苦し紛れの言い訳と思いたいところだが、事実であれ虚偽であれ、王家の公式見解として開示した情報である以上は無視もできず。

 またラトスの信者共の異様な抵抗心――少なくともアマデウスの目には「殴り掛かってきたら全員で差し違えてでも報復すんぞゴルァ!」ってな気概が見て取れた――を鑑みて強引に突撃などすればタダでは済まないと身の危険を感じた事から引き下がるに至ったが。

 だがこの件に関してはどうにかして奴らの弱みを握るなり何なりして早期に解決させないと、自身の立場が危うくなるのもまた事実。


 アルフィリア支部を任せておけないと神殿長の座から降ろされてしまえば、今のような生活も御破算となる。

 それはアマデウスにとって由々しき事態であった。


(だが、配下をラトスに潜伏させる事には成功しているのだ。弱みが無ければこちらで作ってやれば良い。やりようは幾らでもある)


 ぐふふっ、と凶暴な光を双眸に灯す大司教。

 教会内の派閥争いでもそうやって敵を引きずり下ろして今の地位に就いたのだ。

 今更頭の悪い猿どもに何をしたとて良心が痛むなどといった事は無い。


 男は欲望に充ち満ちた笑みを浮かべ、両腕に抱いた扇情的な衣装の女官たちを引き連れてベッドのある方へとつま先を向けたものである。



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