072:女神様はふて寝したい……。
――チュンチュンとどこからかスズメの鳴き声がする。
目を開けて最初に見えたのは薄暗い自室の天井で、なのにどこか違和感を覚える。
何がおかしいのかとツツッと視界をスライドさせていって暫し考え込んだ末に分かった。
どうやら部屋全体がほんのり歪んでいるらしい。
窓もガラスが無くて木の板が無理矢理にといった感じで窓枠に収まっていた。
「ええと……?」
ワケが分からずに身を起こす。
シーツがはだけて、目を落とせば自分が愛用しているネグリジェとほんのり膨らみを帯びた胸元が見える。
12歳の幼い身体ながら順調に育っているようだと満足げに頷く。
やっぱり女の体というのはボンッ、キュッ、ボンッが理想であると妙な拘りを抱くルナである。
「お嬢様っ! 朝です! 清々しい朝がやってまいりましたっ!」
それからベッドから這い出そうとしたところでバァァン!と勢いよくドアが開いた。
テンション高過ぎな声は専属メイドのアンナさん。
ルナはちょいとイラッとして、静かになさいと窘める。
「え……ぁ……おじょう……さま……?」
するとアンナの満面の作り笑顔が固まって、驚愕に目を見開いて、次にワナワナと震え始めたかと思えば慌てたように踵を返して部屋を出て行った。
「まったく、騒々しい人ね」
ルナは肩を竦めて絨毯敷きの床に足裏を付けると、朝日を体いっぱいに浴びてみたいと窓の前に立ってドアノブを……掴もうとするもののノブが見当たらない。
なので軽く拳を握り絞めると思い切り加減してのパンチング。
すると木板を打ち付けられていた窓がそのまんま拉げて飛んで行った。
「うん、今日も良い天気ね」
本日は快晴で、雲の一つも見当たらない。
部屋に吹き込んできた風に鋼色をした艶髪を靡かせ良い気分に浸っていると、扉の奥からドタドタと騒々しい靴音がやって来て、メイド嬢と変わらない勢いでバァァンッ!と扉を開く。
ひょっとして建て付けが悪いのかしら? などと思ってしまう侯爵家ご令嬢である。
「ルナ……!!」
部屋にやって来たのはサラエラで、彼女は目に一杯の涙を溜めて駆け寄ると問答無用で少女の身体を抱き締める。
「良かった……本当に、良かった……」
「お母様?」
キョトンとする娘の肩口をガシッと掴んで母は告げる。
「ルナ、貴女は丸一年もの間、眠り続けていたのよ」
「……えっと、ごめんなさい、もう一度仰って頂けます?」
「混乱するのは分かるけど飲み込んでちょうだい。魔物たちと戦ったあの事件“ラプラス戦役”があったのは去年の事で、貴女は今は13歳。そして第一王子のアベルは貴女の婚約者になっています」
「お母様、どうやら睡眠が足りていないようなので二度寝します」
「いいえ、許しません。貴女にはこの一年内に起きた事をキチンと言って聞かせなければなりませんから」
衝撃の発言に目眩を覚えてベッドに戻ろうとするルナちゃん13歳ではあるが、母は厳しい顔でこれを阻止した。
「まずは顔を洗って食事。頭がシャッキリしてからもう一度頭から順に話します。いいですね?」
「うぅ……はい」
聞きたくねえよ母ちゃん。
とはゲンナリする愛娘の心の呟きである。
「あら? そう言えばシロを見かけないわね」
母が退室した後、現実逃避のネタとして白いモフモフの駄犬を目で探したが見当たらず、なのでアンナに聞いてみる。
すると「お嬢様がお眠りになられて少しした頃から見なくなりました」なんて答えが返ってきた。
「ふ~ん、そう」なんて気のない相づちを打ったものの、引っ掛かるものを感じるルナだった。
――薄茶色のプリーツスカートにブラウス、襟首に掛けたネクタイは渋みのある赤。
そんな出で立ちで洗顔と食事を終わらせたルナは屋敷一階の応接室にて母と向かい合いソファーに腰掛ける。
アリサはこの一年間、ルナの寝顔を一目見るだけで後は鬼気迫る勢いで修行に没頭し、故にこの場には居合わせていない。
後で顔を見せにいこうと思いながら、けれど今は状況把握に努めるべきと母の言葉に耳を傾ける。
魔物の異常発生、“ラプラス戦役”の後半。
ルナが消滅したラトスの住人達を全部まとめて蘇生した後の展開はこうだ。
数万にも及ぶ輪郭の無い魔物もどき、つまり眷属どもはルナが召喚主を倒した事で根こそぎ消失。後に残されたのは三千にも満たない混成の魔物群で、サラエラ自らが指揮を執る騎士団であれば難なく渡り合うことができた。
翌朝ともなると王妃様の率いる軍勢が到着し、更に翌日ともなればウェルザーク公爵の騎兵部隊が合流、一気に形勢を盛り返した。
そして戦いは一週間と経たずに完全勝利という形での終結を見たワケだけれど。
問題はそこから。
ルナは町の住民を全員復活させたけれど崩落した建築物までは元通りにはならなくて、ここから官民総出での復旧作業に追われることになる。
ついでに侯爵家の邸宅は半壊状態になっていて、元々から老朽化が激しく建物の改築は逆に費用が嵩む。そういった諸々の事情があって現在、新築で屋敷を建てている最中なのだとか。
そんな中にやって来たのは聖導教会からの使者で、昏睡したまんま起きる気配のないルナを連れ去ろうとした。
これに待ったを掛けたのはラトスの蘇った人々で、大人しく渡さなければ町の住民を女子供も含めて皆殺しにするぞと脅迫する教会側と一触即発、いつ全面戦争が勃発してもおかしくない所まで対立が深まった。
アルフィリア王国としては国内で内乱じみた衝突は起こさないで欲しい。
故に穏便に済ませる手段として第一王子アベル君がルナの婚約者であるとでっち上げ、次期国王の伴侶を人攫い同然に強奪しようとは何事かと教会を責め立てた。
長い時間を要した会談の末に聖導教会は渋々ながら引き下がり、おかげでルナは攫われずに済んだワケだが。
そうすると今度はアベル君との婚約状態をどうするのかといった問題が浮上する。
まあ、航空部隊を率いる武将で、かつ十数万人もの死者を蘇らせた聖女どころか女神の化身と呼ばわっても何ら問題のないルナなので貴族達としては嫌でも認めるしかないのだけれども。
当のアベル少年から、このままルナが目を覚まさなかった場合どうするのかと問われると言葉を詰まらせるしか知らない王妃様であった。
また一方で、集団蘇生を遂げた町の人々は声を掛け合って新たに『女神教』なるものを興した。
教祖というか代表者は元冒険者でテッパチという名の男であるしい。
信者は町のほぼ全員で、今では『復活の日』などと呼ばれるあの夜の光景を目撃した他の町の人間達からも続々と入信を希望する声が寄せられているのだとか。
少なくとも現時点で十万を下らない信者数が更に膨れ上がりそうな勢いなので、聖導教会は敵視し始めているとの事。
遠からず宗教をネタにした内紛が起こるだろうとは王国内貴族の一致した見解であった。
「うぁ……どうしてこうも面倒臭い事になっているのかしら?」
「まったくです。元凶は私の目の前に居ますけれどね」
「あぅ……」
応接室で項垂れる娘、海よりも深い溜息を吐く母である。
「けれど、そうなるとまず宗教絡みのゴタゴタをどうにかするのが先決ですね」
「ええ、けれどどうするの? 女神教の信仰の対象は貴女みたいだけど」
「普通に考えれば私は女神でも何でもありませんと表明して女神教を潰してしまった方が折衝は少ないでしょうけれど、そうすると今度は私が教会に連れて行かれて取り込まれるかそのまま殺されてしまうかになるでしょうし。なので私としては女神教を可能な限り大きくして貰って、逆に聖導教会の方を潰してしまおうかな、と」
「分かりました。貴女の意思を最大限に汲む形で進めていきましょう」
母娘で悪い顔をする。
それぞれの専属メイドさん達は「やっぱり血は争えないなぁ」なんて、ちょっぴり青い顔で思った。
「何にしたってまずはアベル王子と顔を突き合わせて今後どうするか本音をぶつけ合わない事には始まらないですね。お母様、面会の書状をしたためて頂けます?」
「ええ、そのつもりです。というか、ルナは彼の事をどう思ってるの?」
「どう、というのは?」
「つまり王子との婚姻を許容できるかどうか、といった話です」
困ったように眉根を寄せる母に、鋼色髪は臆面もなく答える。
「どうしても打開策が見つけられないのなら諦めもしますけれど、方法があるのなら婚約は破棄したいです。理由は、彼のナヨナヨしたところが生理的に受け付けないのと、彼が2年後? に魔法学園に入学したところで他の女性との恋に堕ちる可能性がある事。あと付け加えるなら私個人がエリザ様の駒にされることを嫌っているからでしょうか」
するとサラエラは大きく頷いた。
「貴女の考えは私の思惑とも一致しています。ディザーク家としては貴女を他にやりたくない、家に留めておきたいというのが本音です。……ただし今の時点で婚約破棄するには手札が少なすぎるのも事実。ルナ、今は耐え忍ぶときです」
「ええ。理解しております。少なくとも王子の婚約者という立場を最大限に生かせるよう立ち回る所存です」
「それでこそ私の娘です」
なんという打算塗れの母娘なのか。
ジルが聞いたらドン引きすること間違い無しだ。
こうして意思疎通により一年分の空白を形だけでも埋めたルナは母と共に腰を上げる。
少女の向かう先は修練場であり、今なお激しい修練に明け暮れているはずの仲間達に顔を見せることを最初の行動としていた。
――12歳編・完――
次話より13歳編です。




