070:ラプラスの襲撃⑩ 復活の夜
地表に降り立ったルナは、まだ黒煙が立ち昇り夜空に瞬く星々の光を遮っているほぼ崩れ落ちている町の景観の中に佇む。
これはヒドいな……。
微かに呟いた言葉は流動する空気に掻き消され、生きて動く者を一つとして見つけられない有り様を眼前に拝して暫し目を閉じる。
精神を安定させ集中するために。
聖神力を使用しての蘇生とは、即ち僧侶などの神職が神に祈りを捧げる事で引き起こす奇跡と同義である。
ルナの場合、神に祈るのではなく氣の力を呼び水として聖神力を引っ張り込み奇跡を起こしているに過ぎない。
なので原理としてはそんなに違いがない。
問題があるとすれば、木っ端微塵に吹き飛ばされた人間を元の状態に戻すためには対象が一人であっても大量の聖神力が消費されるということ。
例えば腕や頭が欠損しただけであれば、他の部位に残っている因子から人体の設計図を抜き出して復元するといった作業が行われるワケだけど、爪の先ほども元になる肉体が残っていない場合、空間に焼き付いている因子から図面を引っ張ってくる必要がある。
人の念は、人格や感情といったものは空間に焼き付く。
ただし焼き付いた個人情報というのは余程の怨念でもない限りは49日で消滅する。
教会で蘇生を依頼しても49日間が経過した遺体は断られる。
ラトスの住民達に限って言えば死にたてホヤホヤなので時間的な問題はクリアされるが、今度は必要とされる聖神力が膨大になりすぎる、絶対量が足りなければひょっとしたら完全に元の形には戻らないかも知れないといった問題にぶち当たってしまう。
この問題を解決するためには、やはりというか何というか、自身の許容量を大きく上回る聖神力を引っ張り込むしか無かろうとルナは考える。
そして、当然ながら身に過ぎたる力の行使は我が身の破滅を意味するのだ。
「破滅する」と、そう聞けば死亡するんじゃないかと思うかも知れない。
けれど、そうじゃあない。
聖神力は照射した対象を復元させる性質を持つ。
だから、力を使いすぎても死ぬことは無い。
むしろ“死ねなくなる”というのが正しい答えになる。
許容量を大きく超えた聖神力をその身に宿せば、負荷に耐えられなくなった肉体は崩壊する。
だが復元の作用で肉体は元に戻ろうとする。
結果どうなるのかと言えば、肉体が聖神力の周波数に最適化され変質、再構築される。即ち人間では無い別の何かへと造り替えられてしまうのだ。
“別の何か”とは。
全宇宙に遍く流れ続ける聖神力、その特定の周波数を管理し調整する存在。
在り来たりな言い回しをすれば“神になる”ってこと。
生物でも物質でもない単なる“存在”という形式に死亡という状態異常は有り得ない。
だから死なないし、死ねない。
なお女神アリステアは、自然発生した存在ではない。
何もない無から知性や人格は発生し得ない。
一見して正体のない人格や意思にだって、必ずコピー元とも言えるモデルが存在する。
即ち彼女は元は人間で、何らかの事情があって身に余る聖神力を使ったが故に管理者の席に強制的に座らされることになった人である。ということ。
ルナだって、恐らくは同じ道を辿ることになる。
まあ、本人的にはそれもまた一興と思わなくも無いのだけれど。
ルナが神の座に就くということは、それまで長らく席に就いていた彼女は弾き出され再び輪廻の輪に加わることをも意味する。
だって基本として一つの周波数に対応できるのは一つの神だからね。
場合によっては幾つもの周波数を掛け持ちするような特異な管理者も存在しているのかも知れないが、聞きかじった限り仮にそういった奇特な神様が居たとしても忙しくて他に手が回らない状況が永遠に続くと考えて良さそうだ。
死なないと分かっていても、死ぬほど忙しいなんてのは御免被りたい。
「ふぅ、……始めるか」
あれやこれやと考えた後にルナは目を見開く。
吹き荒ぶ風が闇の中で鋼色の髪を弄んでいるのが分かる。
そこかしこで燻っている焦げ跡からは肉を焼いた臭いが漂っていた。
「奇跡ってヤツを起こしてやるよ」
少女は嘯いて焼け焦げた大地に膝を付き、祈りを捧ぐが如く胸の前で手を組んだ。
チュイィィィ……。
甲高い音色がこだまし始める。
華奢で小柄な、可憐も極まる輪郭に光が灯る。
ルナの背に三対6枚の純白の翼が生え出し、その頭上に4枚の光輪が出現。
鋼色の艶髪が金色の光へと染まってようやく準備が整う。
「さあ、征くぞ!」
キリリと眉を吊り上げ、己が全身に注ぎ込まれた高次元エネルギーを解放、四方八方へと投射していく。
そこかしこに漂う因子の残滓を拾い上げ、読み込み、解析し、復元していく。
対象は消滅したラトスの住民、その全て。
十数万もの人間を一括で蘇らせる。
それは同じ数の敵兵を討ち取るよりも遙かに難しい所業だった。
死した者を復活させる事とは自然の摂理に反する行いそのものなのだから当然だ。
素知らぬ顔をして見捨てても良かった。
けれど、それは今この瞬間に限っては己が矜恃に反する所業のように感じていた。
「儂の氣を全部くれてやる! 幾百億の報われ無き魂よ! お前達に、再びの生を与えてやる!」
感謝されたいワケじゃなくて。
チヤホヤされたいワケでもなくて。
ただ目の前に在る愛おしいモノ全てに対して自分にできる最大限を与えてやりたいと、そんな気持ちだったから。
――だから。
――だからさ。
「奇跡よ! 今ここに顕現せよ!!」
甲高い音色が更に更にと大きくなっていく。
三対だった純白翼が六対13枚へと数を増やした。
我が身に流れ込んでは留まることなく拡散していく無尽蔵のエネルギー。
全身に走る痛み。
頭上の輪っかが十数枚に増えた。
強烈な光が際限なく膨らんで、廃墟と化した町の全てを飲み込んだ。
夜が昼間のように明らんだ。
天上より黄金の雨が降り注ぎ、眩い光に満たされた町並みから全ての影が失われる。
「ぐぅぅ!」
ルナの輪郭がチリチリと燃えて、崩壊を始める。
ああ、やっぱり肉体の方が耐えきれなかったか。
なんて思いはしたものの、だからといって中断しようとは考えない。
修羅の道と同じで一歩足を踏み出したが最後、己が身が滅びるまで突き進むしか手立てが無いのだ。
……ああ、そうか。
アリステアも、こんな気持ちだったのか。
ふと思って、ちょっと笑ってしまう。
満ち足りた気持ちが胸の中で膨らんでいく。
幸せな気持ちがお腹の奥から際限なく湧き出してくる。
全身の痛みが急にフッと失われた。
本能的に理解した。
儂はもう人間を辞めてしまったんだな。と。
そして予想していたのとは違う出来事があった。
神の座に居る筈のアリステアの記憶や感情であろうものが自分の中に流れ込んできたのだ。
彼女の魂は神である事を辞めて何処かへと去ってしまった。
本能的に直感的にそれは分かる。
だが、彼女がそれまで持っていた形の無い、けれど確として存在する意思は居残り新たな管理者へと受け継がれるのだと、ここにきて理解する事になった。
「ああ、そうか。私はアリステアそのものになったのね……」
少女は呟いて、それでも得心いったと微笑みを絶やさない。
視界を覆い尽くすほどの光が渦を巻き、立ち上がる人々の姿を薄らと描き出す。
無尽蔵の超々高レベルエネルギーを浴びた空間が、そこに焼き付いていた因子を実体化させていく。
ボコリボコリと地面が抉られていくのは、失われた肉体を再構築するために他の物質で補填しているからだ。
「さあ、私の愛する子供たち。黄泉がえりなさい!」
キィィイイイイイ――。
耳をつんざく甲高い澄んだ音色。
それは宗教絵画にあるような、天使がラッパを吹くような場面を想起させるには充分な代物だった。
そして黄金の光を放つルナの体躯が塵へと還っていく。
少女の身体が空気に溶けて消えてしまった頃合いで光は色を失い。
穴ぼこだらけの廃墟じみた町並みと、そして生前の姿を取り戻した十数万人にも及ぶ人々の呆然と立ち尽くす様相だけが取り残されていた。
――蘇った人々は自分の死と、後の復活を理解はしたものの、感謝を告げるべき者が見当たらない事に深い絶望を感じてどれもこれもが地に伏せる。
だがそこへ駆けてきた一人の少女が器物を掲げたときにもう一つの奇跡が顕現した。
ルナが行った所業というのは、要するに仏教で言うところの即身成仏をファンタジー世界でやったらこうなるって話です。




