069:ラプラスの襲撃⑨ 幻燐の魔女
ラトスの町に突き立った刃の如き光の柱。
そこには徹底的で慈悲など一欠片も介在しない死のみが渦巻き。
爆心地を中心に建物の屋根が捲れ上がり壁が粉々に砕ける様も、それまで日常と共に暮らしていた人々が瞬き一つするより早く塵芥へと変じていく様すら覆い隠していた。
「ぐうぅぅ……!!」
ルナは歯を食いしばって突如として襲い来る衝撃破をどうにか耐えきる。
上空では航空戦闘部隊の面々が地上に展開する魔物達および眷属どもを駆逐すべくディザーク侯爵邸宅と最前線の間を行ったり来たりしていた筈だが今はそれらの姿は見つけられない。
全員とも光に飲まれて死んでしまったのかも。
嫌な予感に僅かながら身を震わせ、それでも少女は空を駆ける。
目的地は分かっていた。
高度一万メートル付近にて佇んでいる筈の“幻燐の魔女”なる者。
人間なのかそうでないのかなんて知らない。
そりゃあ顔を合わせたことも無いのだから当然だ。
そして遣るべき事はただ一つ。
魔女をぶち殺し、眷属もろとも冥府に送ること。
これ以上の犠牲者を出さないために、或いは今後を見据えて仕掛けられているに違いない計略を全て御破算とするためにも。
奴は野放しにしてはいけない。
生かしておいちゃならねえ。
「――あれか!」
怒気を孕んだ声を上げて、仰ぎ見た先の空中に浮かんでいる小さな点めがけて飛んで行く。
逃がさない。必ず仕留める。
頭の中はそんな事でいっぱいだった。
「うらああああぁあぁっ!!」
少女の可憐な唇から吐き出されるのは雄叫びにも似た怒声。
華奢で小柄なその肢体が紫電を纏い加速する。
拳に込められるのは圧縮された氣の塊で、そこにはパズズを屠ったのとは桁違いの破壊力が込められている事を意味していた。
「テメエには何も聞かないし口も利いてやらねえ! 今すぐに、ここで、復活できないよう完全に殺し尽くす!!」
麗しきお嬢様の台詞としてはどうなんだと思わなくもない言葉を吐きつつ、ルナの体は一直線に空中に浮かぶ標的へと迫り、そして簡単に貫き通した。
ゴゥンッ!!
轟音がこだまする。
一瞬だけ見えた容姿は、16歳か17歳といった顔かたちの、或いは年齢不詳と思しき女だった。
艶やかな黒髪と温室育ちを思わせる病的なまでに白い素肌は近日中にディザーク侯爵家に養子として迎えられるシェーラを想起させる感じでもあったが、面立ちは全くの別人。
むしろ目元や顎の輪郭は王族に近い。
そんな娘さんが今は闇夜の如き漆黒のローブを身に纏い、手に機械かとすら疑うほど仰々しい装甲板に包まれた魔法使いの杖を握り締めている。
近づいてみてようやく理解したが、それは神懸かり的と言えるまでの恐るべき魔力を内包した、人間の形をしているだけの“何か”であった。
その“何か”を体全部で刺し貫いたルナは、身を翻して拳を握り構える。
(……手応えが無かった。幻影か? いや、幻にあんな真似はできまい)
目を向けた先、遙か彼方にある地表で濛々煙を上げる点を凝視してから視線を戻す。
我が身一つで穿った筈の黒い衣装が、そのまま空中にて漂っているのを発見し睨み付ける。
「こんばんわ。小さな聖女様」
「……ちっ」
すぐ後ろで囁く声があった。
なのに気配は感じられない。
そのくせ恐ろしいまでの魔力を全身にビリビリと感じている。
魔女はネットリとした、まるで少女の四肢を絡め取らんとする触手のような音色で囁きかけてきた。
「まさか舞台を整えている段階で聖女と会うことになるなんて、流石の私も予想していなかったわ。……それとも、本来あるべき歴史をねじ曲げるために介入してきたのかしら?」
「シッ!」
振り返りざまに手刀を真一文字に振り抜く。
振り返った先では上半身と下半身を分断されてもなお笑みを絶やさない黒ローブ姿の魔女が在った。
「それにしても本当に綺麗ね。まるで月の女神様のよう」
再び耳元に囁かれて背筋にゾワゾワとした物が走るのを感じた。
「喧しい!」
思わず怒鳴ってしまった。
口を利かないと決めていた筈なのに、反応せずには居られなかった。
「けれど、いずれにしても私の目的は達せられた。盤面に全ての駒が並んだ。ようやく勝負を始められる」
「何の話だ?」
「あら、分からないかしら? 箱庭を弄ぶ、狂った神々による狂った遊戯。貴女も、私でさえもが駒の一つに過ぎないのよ」
「……ああ、そういう事か」
ルナは少しだけ考えて声に出した。
背後でそれまで余裕すら感じられていた気配が揺らぐ。
「ほぼ全部が繋がった。まだ分からない所は追々ヒントをばらまくつもりなんだろう?」
「……勘の鋭い女子はこれだから嫌いよ」
「まあ、そう言うなよ。つまり、お前は与えられた役割をこなしているだけの人形ってワケか。お前を操っているのは一体誰なんだい?」
「チッ……!」
今度は背後に存在しているであろう女から舌打ちが漏れた。
幻燐の魔女は魔王を唆し、望み通りの状況を作り出すために躍起になっている。
彼女にとっての“望む状況”とは、乙女ゲームの開始時点の世界情勢を再現すること。
聖女が魔法学園で恋愛ゲームに興じる、その舞台を構築すること。
何のためにか?
そこまでは流石に分からないが。
黒幕が魔王でない以上は魔族だの人間だのに関する事とは違うように思われる。
そして魔女を操る何者かは乙女ゲームのエンディングの向こう側にこそ、そいつの欲する何かがあると見込んでいると、そういった話なのだろう。
「……答えたくないと言うのなら代わりに儂が答えてやる。お前のご主人さまは、神になり損なったクソ野郎、ってところでどうかね?」
「貴様っ!」
背後で怒気が膨れ上がる。
ゆっくりと顧みるルナの顔には嘲るような笑みが浮いていた。
「――無駄に頭が良いのも考え物ね。やはり貴女はこの場で始末しておくべきだわ。悪役令嬢のポジションには他の誰かを見繕う事にしましょう」
「ああ、悪いけれど、それは出来なさそうだぞ」
ルナは告げた。
その腕が真っ黒に染まっていた。
「普通に攻撃したんじゃお前には届かない。だってお前が居るのは別次元のかつ同一座標なのだから」
「なんでっ?!」
驚きに目を見開いた魔女。
その胸の所にルナの拳が突き刺さり腕の中程までめり込んだ。
「最初の一撃で手応えがなさ過ぎたからな。だが実体が無ければ町を破壊できるほど高出力な魔法は撃てない。じゃあどうして攻撃してもお前の体にダメージが通らないのかと考えて、思い出したんだよ。昔、似たような方法で不老不死を謳った間抜けがいたっけな、と」
「あ……ぐぁ……」
魔女の顔が今度こそ苦痛に歪む。
震える手でそれでも反撃しようと魔法を発動させようとした。
「させるかよ」
ズグンッ。
「あぐぁ?!」
女の肢体がビクンッ、ビクンッと痙攣し始めている。
理由は簡単で魔女の心臓が少女の手に掴まれ正常な動作を阻害されているからだ。
「儂にはかつてどうすれば神を殺せるかと研究を重ねていた時期があってな。神を屠るための技を編み出しては実験と称して魔物をぶち殺していたワケだが。そんな中で一つの術を編み出した。それは氣術とはあまり関係のない魔法による攻撃手法なので技に名称は与えなかったが、差し詰め“黒拳”とでも呼ばわるべきか。黒拳は次元の向こう側に居る存在に対してさえ即死級のダメージを与える事が出来る。そう、今のお前のように」
グッと指先に力を込めただけで魔女は白目を剥き口端から泡を吹き始める。
「ああ、折角だ。お前にとびきり邪悪な呪いを掛けてやろう。儂を怒らせた罰だと思え」
ニタァ、と笑んだルナ。
反対に白目を剥いて今にも気絶しそうだった魔女が恐怖の音色をその妖艶なる唇から絞り出した。
――《因子操作構造改竄置換》。
チュイィィィン、と微かに甲高い音が響いた。
魔女は断末魔の悲鳴をあげ、全身を痙攣させた。
何を以て邪悪と呼ばわるか。
それは対象者が本来持っていたはずの天命や使命といったものでさえも丸ごとねじ曲げ無効にしてしまうからだ。
人間に限らず、高い能力を持って生まれてきた生き物には固有に与えられた何らかの役割があると、そういった思想がある。
そしてルナはこの考え方を結構本気で信じていた。
だから個人の天命を第三者が強制的に破棄させる所業は邪悪であると、その様に結論づけている。
にも関わらずこの場で使用するのは、魔女をこのまま死なせて今後もやって来るに違いない難局を凌ぎがたくするのは悪手であると踏んだから。
彼女は生かしておき、自分を補佐させるのが最も理想的な結末であるとの考えから、凶行と断じてなお推し進めたものである。
「どれだけ恐ろしい力を持っていたとしても、身体能力も精神構造も書き換えてしまえば関係無いよな? しかも魔法の理論とも神の奇跡とも関係無いので解呪は不可能ときたもんだ。……な、これなら神を屠れると思うだろう?」
ただし神という定義が間違っていたために“神を滅する”ことは出来なかったが。
うん、周波数の管理者、神様気取りの間抜けを葬る事には成功しているのだよ。
と、これは言葉にされることが無かった話の続きである。
「残りの人生はただの一人の人間として幸せに生きて死ね。これが儂がお前に与える罰だ」
音が鳴り止んだ時。
それまで魔女だった者の体が力なく崩れ落ちる。
高度一万メートルともなると墜落は確実な死なので、ルナは慌てて女の体躯を担ぎ上げた。
「……あとは、下かぁ」
ゲンナリとした声でルナちゃんが呻く。
氣術による飛行なので落下速度も自在に変えられる。
故に緩やかに落ちながら地表を目指す。
十数万人単位の超広範囲蘇生。ホントに大丈夫かよ。
とは鋼色髪も艶やかなる美少女様のぼやきであった。




