068:ラプラスの襲撃⑧ ルナ VS パズズ
背後から降り注ぐ魔法の光が地表にて蠢く輪郭無き人型の群れを描き出している。
光を反射して鋼の如き輝きを灯すは艶やかなる長髪。
薄闇に浮かぶ異形の者ども目がけて、矢の如く降ってきたのはたった一人の少女だった。
――桜心流氣術、鳳落。
ドゴンッ、と轟音がこだまする。
直径にしておよそ50メートルほどの地表がクレータへと形を変え、この上にあった数百にも及ぶ輪郭無き黒い人型どもが一斉に塵へと還った。
「あら、ごめんあそばせ」
クレーターの真ん中で蹲るように着地した少女は、それからユラリと身を起こしては悪びれた様子も無く謝罪を口にした。
「ほう。その膂力、確かに聖女と呼ばわるに相応しい」
これと対峙する格好で佇むのは獅子の頭と腕、背に四枚の翼と蠍の尾を持つ異形。
パズズなる怪物は獅子の顎門をニヤリと歪めると周囲の眷属どもが近寄ってこないよう手で制して我が身一つで少女の前までやって来た。
「我が名は魔王軍四天王が一人、パズズである。小娘、貴様の名を聞いておこう」
「……数秒後に肉片になる貴方が私の名を知ったところで意味は無いでしょう? そんなことよりも聞いておきたいのですけれど、周囲に見えている眷属たちは全て貴方が用意したのかしら?」
「ほう、名乗りもしないで我に問うかよ」
サラリと毒を吐かれて気分を害するパズズ氏ではあるが、だからといって激昂して殴り掛かるでもなく。
「だが良かろう。俺は貴様が強者である事を知っている。ならば問いには答えるのが礼儀。……眷属どもは忌々しい女から貸し付けられた。俺自身としてはああいった物は好かないし、矜恃も持たぬ人形に戦をさせる事こそ不本意ではあるのだが、魔王様への忠義は全てに勝る。故に数をもって押し潰させて貰うのみ」
「なるほど“忌々しい女”ですか。それはもしかして“幻燐の”、なんてご大層な枕詞の付く女性ではありませんか?」
「貴様、奴を知っているのか!?」
それまで抑揚の無い口調だったパズズが、この瞬間だけ驚きの音を吐く。
ルナはニヤリと笑んで見せた。
……もちろんルナは幻燐の魔女なる者と会ったことは無い。
しかし「忌々しい女」というフレーズはつい最近耳にしているのだ。
冒険者登録してすぐに受けた依頼、赴いたラトス東の森で発見した陰鬱の迷宮にて相対する事となった首無し騎士デュラハン、個体名シュレイを撃滅した際に彼が告げた。
“魔王軍の参謀となったあの忌々しい女”と。
この頃から見え隠れしている影。
影の正体を大凡にでも察したのは、マリアがもたらした乙女ゲーム“蒼い竜と紅い月”のシナリオを大雑把ながら書き記した文書を受け取ってからになる。
幻燐の魔女。
そう自ら名乗る女こそが諸々の事件において裏で糸を引く黒幕だ。
なぜそう確信しているのかと言えば、逆説的に魔王の配下を手足のように扱える魔王以外の存在は、シナリオ上、それしか居ないから。
魔王自らの意思で事を運んだとするには少々無理のある動きも過去にあった。
彼女は実際には陰鬱の迷宮どころか五年前に滅した四天王ベリアルにも働きかけている。
四天王各位に眷属を貸し付けて何らかのアクションを起こすよう命令しているのだ。
それはまるで乙女ゲームのシナリオを知っていて、その通りに事が運ぶよう影から補正しているのではと疑ってしまうような動き方だった。
だから眼前にて仁王立ちしている異形の怪物を倒すにしたって、その前に魔女の居所を吐かせておく必要がある。
参ったな。なんて内心で辟易する鋼色髪娘であった。
「では幻燐の魔女が今どこにいるのか、素直に吐いて下さい」
取り敢えずとばかりにふんわりとした音色で異形に問う。
「教えると思っているのか?」
パズズは舌舐めずりして答えた。
「すぐに教えたくなるよう躾けて差し上げます」
なのでルナは溜息交じりに告げる。
言葉に出した次の瞬間にはもうパズズの懐の内側に、小柄で可憐な立ち姿があった。
華奢で可愛らしい少女の握り絞められた拳が人間を模したような土手っ腹に押し当てられ、更に次の瞬間に恐るべき破壊力が伝播する。
ボグンッ!
パズズの胴体に風穴が空いていた。
獣顔の背中から飛び出した体液と臓物それから背骨であろう物が地面にビチャビチャと音を立てる。
人間であっても魔物であっても、致命傷に違いない手傷を負って尚、パズズの口元に浮かぶ笑みは絶えることが無い。
「その武力、ここで潰えさせるには惜しいな。……小娘、我が配下とならぬか」
獣の形をした手が少女の手首を掴み上げる。
口端から赤い筋を零していてもお構いなしだ。
ルナはしかし怯えた様子なんて欠片ほども見せずに「ふぅ、やれやれ」と漏らした。
「それは自分より強い奴に言う台詞じゃあねえだろ」
お嬢様然とした口調から一転、男っぽい話し言葉になった。
「あと、レディーの腕を掴むな気色悪い」
ボキャ。
自分の手首を捕まえている大きな手の根っこ、人間で言うところの舟状骨の辺りに人差し指だけちょいと突き出すようにして握った拳を押し当てる少女。
次に骨の砕ける嫌な音と共に獣の手が粉々に砕けた。
「がっ?!」
「お前は何か勘違いしているようだが、儂はお前に物を尋ねているわけじゃあない。吐けと命令しているんだ。ならば知恵遅れのケダモノであるお前は素直に聞かれたことに答えるのがお作法ってもんだろ」
「このガキィィ!!」
今度こそブチギレたパズズさん。
そんな異形の踵の無い足に向けてローキックをお見舞いするお嬢さん。
メキャリと音を立てて巨躯が地に沈む。
「儂がキレちまわない内に、さっさと喋れやワンころ」
ゴスッ。
地面を這いつくばる格好の魔族の頭を蹴って蹴って蹴りまくるルナお嬢様。
もはや場末のチンピラだ。
最初の二発、三発こそ顔を蹴られるままにしていたパズズではあったが、流石に限界だったらしく次に振り抜かれた足は手で受け止め、掴んでそのまま放り投げた。
「人が大人しくしていればイキがりおって!!」
吠えるなり凄い勢いで立ち上がった獅子頭は、憤怒の形相で力み始める。
「オオオォォォオオッ!! ――ハァアッ!!!」
ボンッ、と空気が震えた。
パズズの体躯が一段大きくなり、獅子の手足を覆っている毛並みが逆立った。
土手っ腹に空いていた風穴がみるみる塞がっていき、すぐに完治した。
全身から迸る闘気。蠍の尾がビュルリと伸びたかと思えば放り投げられてから危なげなく着地した少女へと襲い掛かる。
ズンッ。
コンマ数秒の動きで如何にも毒のありそうな尾っぽを躱せば、鋭く尖った先端部分が地面に突き刺さった。
「お前、武人っぽく振る舞っておいて案外とセコい攻撃してくるんだな」
ルナがちょいと呆れた様に肩を竦めると、牙を剥き出しにしたパズズが突っ込んできた。
「じゃかあしいわっ!!」
「そして品性は無い、と。やっぱ知恵遅れのケダモノじゃねえか」
掴み掛かってくる腕。
少女は逃げ出すどころか襲い掛かってくる巨躯に向けて駆け出すと目と鼻の先まで迫ったゴツい指先をギリギリの距離で躱し、更に奥へと身を潜り込ませる。
息を吸って止めた瞬間に、少女の魔技が炸裂する。
「歯ぁ食いしばれぇ!!」
――桜心流氣術、爆華散。
ドガガガガガガッ。ズドン!
それは乱舞だった。
例えば過去に使用した“踊龍乱七変化”も乱舞系に含まれはするものの、あちらは相手を蹴り上げて空高くまで持ち上げたところから叩き落とす、つまり高低差を利用した技であって手数足数がそのまま攻撃力になっているワケじゃあない。
一方でこちらは蹴って殴ってぶちのめすという、いわゆる正統派の乱舞技だった。
技を締め括るのは“勁落掌”で、敵の破壊したい部位に掌を押し当て氣を流し込む事で肉体を内部から破壊する恐るべき殺人拳である。
勁落掌はしかし標的が使用者よりも強かった場合、その肉体に取り込まれ逆に強化してしまう羽目になるのだが、ルナが自ら練った氣を押し潰し我が物とできる者など在りはしない。居るとすればそれこそ邪神とか魔神とかそういった存在であろうと思われた。
「ヌガァァ!?」
技を食らって全身殴打、ついでに掌を押し当てられた肺の一部が皮膚を突き破って爆発、一瞬で死に体となったパズズ氏。
魔物達を統率するほどの強者が見るも無惨な姿へと変貌した。
「お前の再生力ならこれくらいの傷はすぐに治るだろ? ホラ、さっさと怪我を治して向かってこい。お前が間抜けで貧弱な犬っころだと自覚できるまで何度でも半殺しにしてやる」
少女が握り絞めた拳を見せつける。
地に伏せた魔王軍幹部は「おおのれぇぇ!!」と地獄の底から這い上がってきたかのような唸り声を発しながら落ち上がり、闘気を迸らせると致命傷を完治させる。
「もうどうでもいい! 小娘ぇ! 貴様は殺す――」
「ザコが粋がるな」
だが魔物が台詞を言い終える前に懐の内側へと飛び込んできた少女が拳を握り絞めたかと思った瞬間にはもう、胴体部分に数千発ものパンチを受けていた。
「あ……がぁ……!?」
その攻撃速度はパズズの目では追い切れない。
躱すことも防ぐこともできない攻撃。
獅子顔の魔物は、気づき始めている。
もしかして小娘は、己をお遊び気分でいたぶって楽しんでいるのでは?、と。
「お前は自分を強者だと考えているようだが、少なくとも魔王と一対一で殴り合って圧勝するくらいでないと儂には勝てねえぜ?」
再び地に伏せたところで、上から浴びせられた言葉にビクリと身を震わせる。
コイツは一体何を言って……。
目を上げた獅子頭。
すると自分を見下ろしている冷ややかな視線と目が合った。
「ヒィッ!?」
思わず、我知らず恐怖の声を上げてしまう魔物。
パズズは全身を支配する未知の感情に翻弄されるように口を開いた。
「ま、まて! あの女はこの場に来ている!」
「……なに?!」
殴りつけようと引き絞られた拳が止まる。
「奴の目的は町を消し去る事だ! だから町の真上に居る筈だっ!」
悲鳴のような声を上げたパズズ。
反射的に首を町の方へと向けたルナ。
ここでパズズが飛び掛かってきた。
「ぬかったな!!」
「ぬかってねえよ」
パンッ。と魔物の五体が爆散した。
ルナが顔を向けることもしないで放ったパンチが胴体を穿ったからだ。
ルナは最初から魔物を生かしておくつもりはなかった。
情報を吐いたら次の瞬間には再生できないレベルで木端微塵にする腹づもりだった。
なので放たれた拳に一片の迷いも無くってなもんで。
桁違いの破壊力をその身に受けたパズズは何をするより先に冥府へと送られたのだ。
「ちぃ!」
しかし少女の口から漏れたのは忌々しげな舌打ちだった。
視界の向こう、町の直上に太陽の如き輝きを見つけたからだ。
桜心流で言うところの“落陽”と本質的に似たものであろう光の塊が収縮したところでルナは大急ぎで宙へと躍り出た。
「やめろぉぉ!!」
少女の叫びがこだまするのと、闇の中に光の筋が一本立つのはほぼ同時の事で。
数秒間の静寂の後に町全体を覆うように破壊の光が突き立ってさえ、ルナには為す術が無かった。




