065:ラプラスの襲撃⑤ 魔王軍四天王パズズ
――ラトスの北東、約80キロ地点。
人間社会という観点からだとディザーク侯爵領と隣接するドルクネス伯爵の領地になるが、ここに大昔から存在する地下迷宮が一つ。
“パズズの神殿”。
この様に呼ばれる迷宮の最深部にて、玉座に腰掛ける異形があった。
「……何という破壊力だ。我が軍の八割が一瞬で消されたぞ」
遠見の水晶球を介してではあるがその目で直接見た光景を何度も反芻しつつ、異形は感嘆と驚愕に満ちた音色を紡ぐ。
獅子の頭と腕、背中には四枚の翼、尾は蠍。
その様な姿をした迷宮の主人パズズは今回魔王の命令で20万もの魔物達による侵攻を行った張本人である。
いや、魔王の命令というのは語弊がある。
実際に命令を下したのは“幻燐の魔女”であり、そのために20万もの眷属どもをパズズに貸し付けたのだ。
……そう。20万の魔物群と言えば聞こえは良いが、その実、本当に魔物なのは二千か三千で、他は全て輪郭を持たない黒い人型。
即ちハリボテの軍勢なのである。
とは言え輪郭どころか自我すら無い眷属達ではあっても、夢や幻の類ではなくそれぞれに攻撃力が備わっているのだから侮れない。
数を揃えれば確かに恐るべき軍勢ではある。
というか、それだけの眷属共を使役しているのだから自分が先陣切って侵攻しろよと思わなくもないパズズだが、しかし自分が活躍することで他の四天王と差を付けることができる、魔王様に忠誠と実力を示すことが出来ると囁かれてしまえば乗るしか無かったというのもまた事実。
囁いたのは言うまでもなく幻燐の魔女であり。
あの美しくも狡猾さと欲深さにおいては四天王たちに引けを取らないに違いないクソ女を、パズズは内心でめっちゃ嫌っていた。
ああ、そう言えば数年前に四天王の一角を担うベリアルが、ラトスに潜伏した後に人間共の襲撃に遭い敢え無く討ち死にしていたっけ。
あの時ベリアルを唆し眷属を貸し付けたのも幻燐の魔女だった。
空白になった席は軍内で五番目の実力者であった魔族が新に就いたが、そんな事はどうだって構わない。
魔王様の次に強い自分の足下でどういった諍いがあったところで感心なんぞ露程も湧かない。が、魔女が何か得体の知れない企てを腹の底に隠し持っていることに対しては気にくわない。
魔王様は魔女の企みを理解している節があり、分かった上で好きなようにさせているとも見受けられるが、ならば忠義の士たる四天王にどうして教えてくれないのか。
そういった不満は魔女をぶち殺してしまえば全て解決するに違いないが、だが魔王様の腹心にして庇護下にあるといった立場を早期より固められていたのでおいそれと牙を剥くこともできない。
溜まりに溜まっている鬱憤は、もはや大軍勢をもって町一つを蹂躙する事でしか晴らせそうに無かった。
「だが、ラトス……か。本当に居るのか?」
今は亡きベリアルが向かった先も、自分が滅ぼすよう命じられた先も、同じくラトスという名の人間達の町。
かの幻燐の魔女がラトス侵攻を嗾けた理由を言えば、それは“聖女を殺害、もしくは誘拐すること”である。
どうやってそんな情報を仕入れたのかは知らないが、あと数年の後に聖女と呼ばれる事となる娘がいて、今はまだ覚醒していないもののラトスにて暮らしている事だけは判明している。
覚醒していない以上は誰と特定することは出来ないが、だったら町を根こそぎ焼き尽くしてしまえば良いじゃないかと。そんな話である。
パズズとしては、それさえもが気に入らない。
戦いとは死力を尽くして行うべきものであり、即ち強者には強者としての最大限の力を振るわせ、その上で通用しないのだと知らしめ、己が無力さと絶望に顔を歪めているところへ死の鉄槌を振り下ろす事こそが在るべき姿であって。育ちきる前に叩くなどは矜恃に反する。いや、育ちきった後では勝てないからと言われているみたいで腹が立つのだ。
(……とはいえ、気にくわない奴の策に乗せられたのは他ならぬ俺自身の意思なのだ。ならば最後まで乗ってやるべきか。……だが幻燐の魔女よ。お前は思い違いをしているやも知れんぞ)
水晶球に映し出されているのはすり鉢状に陥没した広大な更地であり、怪物は獅子の顔に張り付いた双眸を細め、或いは牙の生え揃った口元をニヤリと歪める。
数年後に聖女となる筈の娘。
水晶球がほんの少しの間だけ映し出した少女の姿は、しかし恐るべき強者の気勢を放っていた。
現に一撃の下に手勢の大部分を消し飛ばす術を易々と行使するなど自分では出来ないし、同じ事ができる者として挙げるにしたって魔王様くらいしか思い当たらない。
もしもアレが聖女だというのならば、もしもアレで覚醒前だと言うのなら、確かに脅威だ。
今の時点でアレならば覚醒させてしまったら自分たち四天王では手に負えない。
それこそ魔王様ご自身が本気で相対さねばならないだろう。
強者との戦いを望む怪物としては嬉しい誤算であり。
もしも自分が敗れ去った折には幻燐の魔女にしてみれば大きな痛手となるに違いない。
「ならば、俺が直々に出向かねばなるまい。アレは百万の兵を以てしても討ち取れない化け物ぞ」
地下に広がる大神殿。この最奥に突き立つ石造りの玉座に腰掛けて獅子の頭を持つパズズが愉悦に満ちた音色で唸った。
◆ ◆ ◆
「うぅ……ん」
屋敷の自室で呻き声と共に目を開けたルナは、見慣れた天井が薄暗くも赤味を帯びた色合いに染まっているのを発見し、身を起こそうとする。
覚えているのは部屋に帰り着いたその身でベッドに倒れ込んだ所までで、にも関わらず寝かしつけられシーツを掛けられているのは専属メイドのアンナがやってくれたからだと思った。
「あ、お姉様、おはようございます♡」
「はい、おはようございます」
けれど実際にはそうでない事をすぐに思い知る。
同じベッドの上、添い寝する格好で瑠璃色髪のお嬢さんが幸せそうに笑んでいるのを見つけてしまったからだ。
「マリア、どうしてここへ?」
囁き声で聞いてみる。
「はい。胸騒ぎがしたので、飛んで来ちゃいました♡」
いちいち甘ったるい音色でマリア嬢が答えて抱きついてくる。
良い感じに温くて柔らかい感触が押しつけられるのを感じて、ルナは「ほぅ」っと息を吐き出す。
「けれど、見ての通り侯爵領は戦の真っ最中よ。危ないからそのまま帰りなさい」
「イヤです」
言い含めたところマリアちゃんはキッパリと拒否した。
「私はお姉様の役に立つって決めたんです。だから、絶対に離れません」
暫し見つめ合う二人。
マリアの目には確固たる意思があった。
この子、思っていた以上に強情なのね。とルナは悟って突き放すことを早々諦める。
「そう、けれど、それなら死んだり一生残るような深い傷を負っても文句は無しにしてちょうだいね」
「はい。分かってます」
お互いに12歳の小娘だということも忘れて、大人びた遣り取りをした。
何となく愛おしい気持ちに駆られて、つい自分からも手を伸ばすとマリアを抱き締める。
我知らず背中から三対の純白翼が生え出してきて彼女の身を包み込むように抱いてしまったけれど、それさえもルナにとってはどうでも良い事で。
今はただ気の済むまで温もりと息遣いを感じていたいと思うだけで。
マリアの優しげな面立ちは終始、幸せに蕩けているかに見えた。
「――じゃあ、まずは腹ごしらえという事で、ご飯食べに行きましょう」
「はい♡」
ひとしきり抱擁を交わした二人は囁き合ってベッドから抜け出す。
今になって気付いたけれど、知らない間にマリアちゃんは背が伸びていて、ルナよりほんの少しだけ高くなっている。
(え、ひょっとして儂、成長止まっちゃってる……?!)
二人並んで部屋を出る間際ともなれば妙な気恥ずかしさを感じて互いにほんのり頬を赤らめてしまったりなのではあるけれど。
視線が僅かにズレているのを発見したところで下らないながらもショックを受けてしまうルナお嬢様であったそうな。




