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063:ラプラスの襲撃③ マリア、駆ける


 ――これは夢を見てるだけなんだって、最初から分かっている。

 手を伸ばしても届かない所にお姉様の背中があって、私は追い縋ろうとして必死だった。

 なのに指先が触れることも無くて。

 絶望感が込み上げてきて、涙が溢れてきて。

 そんな情けない私にお姉様は立ち止まって一度だけ振り返る。

 愛らしい顔に困ったような笑みを浮かべて私を見る。

 私は今度こそお姉様を抱き締めようと腕を目一杯に伸ばして、なのに手は空気を掴むばかり。


 お姉様、お姉様、お姉様っ!


 メタリック感の強い銀色髪も、日焼けしていない温室育ちを思わせる艶肌も、小柄で一見して触れただけで折れてしまいそうなくらいか細いのに、それでいて頑強な四肢も。

 全部が愛おしくて、全部を私の物にしたくて。

 それなのにお姉様に触れることが叶わない。

 悲しくて、底無しの虚無感が次から次へと涙を溢れさせる。

 お姉様は「ばいばい」と、口の動きだけで告げて再び身を翻す。

 行かないで下さい!

 私を置いていかないで!

 必死で呼びかけ追い掛けても、もう追いつくことはなくて。

 そして目が覚めた。


「ぁ……わたし……」


 呟いてベッドの上で身を起こそうとする。

 何かとても悲しい夢を見たはずなのに、どんな内容だったのかがハッキリしない。

 朧気で曖昧で。けれど胸が張り裂けちゃうんじゃないかってくらいの絶望感と虚脱感だけはクッキリと残っていて。

 けれどそれだって顔を洗って家族とご飯でも食べていれば消え去るに違いないとベッドから這い出した。


「おはようマリア」

「うん、ママおはよう」


 二階建ての住居は前世の記憶から言えば現代日本の家屋よりはアメリカ式と似通っている。

 今でこそ慣れたけれど、日本の伝統家屋みたいな太くて立派な柱と梁が見当たらない、日本で言えば建て売り物件みたいな安っぽさが妙に落ち着かない。

 ママはキッチンで最近出回り始めたという魔力式コンロの上に置いたフライパンで目玉焼きを作っている。

 アルフィリア王国とこの近辺地域ではパンが主食で、我が家にはなんとパンを焼くための窯がある!……くらいなので目玉焼きはこんがりきつね色に焼いたトーストの上に乗っけるものと予想していた。


「マリア、顔を洗っていらっしゃい」

「は~い」

 キッチンを主戦場とするママが振り返りもしないで私に声を掛ければ、こちらだって間延びした声で答えるばかりってなもので。

 パパは昨日帰りが遅かった――お姉様のデビュタントの一件から大忙しになったのは法律とか国家予算に関わる部署の人々で、その中にパパが数えられているのです。本当にお疲れ様ですとしか言い様がない――から今日は昼前まで寝ているだろうと、これは私とママの見解だった。


 洗面所で顔を洗って、トイレも済ませて一家団欒の食卓までやって来たときにはテーブルの上に二人分の朝食が乗っていた。


 私はママと向かい合う格好でテーブルを挟み、それから手を合わせてお祈り。

 ウチは聖導教の教徒なので祈る先は神エヘイエ様。

 けれど心の中でごめんなさいと謝っておいて、お姉様、つまり女神アリステアへのお祈りに変えた。

 ルナお姉様は本物の女神様で、私はお姉様を心の底から敬愛しているのです。


 食事は会話の無いものだった。

 これでも一応は貴族家の端くれなので皿の上に乗ったベーコンやら目玉焼きやらはナイフで切ってフォークで食べるお作法なのだけれど、そうすると沈黙の中にカチャカチャと食器の当たる音が微かにするばかりで妙に気まずい空間に感じられてしまう。

 ベーコンの消え去った皿から視線を上げると私の方を見ているママの目と合った。


「何か心配事?」


「え、そんな事は……」


「さっきから浮かない顔してるわよ。気分が優れないならお医者様のところに連れて行くけれど」


「ん~ん、そういうんじゃないの」


 心配してくれているのが言葉の端々から窺える。

 なんだか申し訳ない気持ちで、私は笑顔を浮かべて首を振った。


 ――うん。確かにママの言うように私は不安を覚えている。

 イヤな感じ、とでも言えば良いのかな。

 けれど、このイヤな感じが何に対してなのか自分でもよく分からないの。

 漠然としていて、なにか重要な事を忘れているような、そんな感じがしていて。

 それなのに言語化できないもどかしさ。


「ごちそうさま」

「浮かない顔してたワリにはキッチリ完食してるのね」


 席を立った私にママがちょいと呆れた声を寄越す。

 育ち盛りなんですー。と、投げ返して踵を返した私。

 二階の自室に戻って、ぼんやりしつつ不意に窓の外に目を遣る。


 空は良いお天気で。なのにずっと向こうの方に真っ黒な雲が湧き立っているのが見える。

 なんだろう?

 凄くイヤな感じがして落ち着かない。

 何かしなきゃいけない事があるはずなのに、具体的に何をすべきなのか分からない。

 おもむろにクローゼットを開けて、内側から衣装を取り出す。

 切れ込み(スリット)の入った丈の長いスカートは群青色。

 Tシャツは白くてこの上に羽織るジャケットは青。

 それからお姉様とお揃いとばかりに髪を結わえていたリボンは白。

 私の瑠璃色をした長髪も合わせると全体的に青味の強い出で立ちになる。


 ……これは前にお姉様たちと冒険者の真似事をした時に着用した衣装で。

 お姉様のお家にあった物を借りたきりそのまま持って帰って来ちゃったのだ。

 本当なら洗って返すべきなんだろうけどお姉様が「せっかく似合ってるのだし貴女にあげる」と言って返却を拒否した事から私の思い出の品として今はクローゼットの肥やしになっている次第。


「また、一緒に冒険したいな……」


 手を伸ばして引っ張り出したジャケット。

 私の呟きに反応するように、ポケットから何かが落ちて床に音を立てる。

 目を落とせば、それは三角形の真ん中に目を配置するとかいう、珍妙なデザインのアイテムだった。


「あ、そっか。これも貰ってたんだ」


 アイテムの名称は“プロビデンスの眼”。

 “蒼紅ゲーム”のシリーズの中でもSLGでしか使い道の無い復活アイテムだ。

 SLG専用のアイテムがどうしてRPG版でないと入手できないのかは未だに分からないが、いずれにしても見れば見るほど不気味な造形だな~、なんて指で摘まみ上げてしげしげと眺めてみる私だった。


「……」


 それから思い立ったように服を着てみる私。

 アイテムはそのままジャケットのポケットに仕舞い込んでそれっきり。

 立て掛け鏡の前に立って自分の姿を眺めてみる。

 うん、可愛らしい。

 現代日本だったらコスプレとか言われちゃうだろうけど、その割に全体的に落ち着いた雰囲気があって意外とさまになっていた。


「よし、お姉様のところに行こう!」


 態々声に出して宣言する。

 こういう不安とかモヤモヤ感のあるときには修行すれば綺麗さっぱり忘れるものとお姉様は教えてくれた。

 なのでこのまま家の周りを駆け回っても良いのだけれど、一人でというのも味気ない。

 折角ならお姉様と一緒に爽やかな汗を流したいなと。まあ、実際に並んで走ったところで汗を流すのは私ばっかりなのだろうけれど、それでもお姉様に会いたくて仕方の無い身としてはマンツーマンで稽古をつけて貰う瞬間を期待して家を飛び出さずにはいられなかったのです。



「いきなり押し掛けて大丈夫かな……?」


 ママに行ってきますと告げて玄関扉から外界へと飛び出した私は、視界のずっと奥に見える暗雲に不安をかき立てられながらも声に出す。


 今更と言えばそうなんだけど、迷惑がられたらと思うと気が気じゃない。

 かといって行かないといった選択肢は、この時の私には無かった。


「まずは心を落ち着けて……と」


 目を閉じて自分の内側に巡っている“氣”を感じ取る。

 お姉様とは比べるにも値しないけれど、それでも確として存在する血流にも思われるエネルギーの脈動を感覚的に把握した。


 あれから私は自主練と称して一人で地道にコツコツと修行を繰り返した。

 その結果、お姉様みたいに自由自在とまではいかないけれどある程度の距離なら空を飛んで移動することが出来るようになったのです。

 お姉様の言葉は正しかった。

 修行は全ての問題を解決させる事ができるのです!


「よしっ!」


 ――桜心流氣術、武空翔っ!


 胆田で練った氣を全身に行き渡らせ、宙に浮くイメージで強く念じる。

 すると足裏の接地感が失われていって、視界も高くなる。

 なお途中でバテて墜落しちゃうと即死してしまう兼ね合いから空を飛ぶと言えるような高さにはしない。せいぜい地面から30センチ、膝の高さくらいまでしか飛ばないようにしている。


 だったら普通に走れよと思う人もいるかも知れないけれど、体力的にオリンピックに出られるような超人的スペックでもない私にしてみれば、少しでも浮いて移動した方が全力疾走するよりもずっと早く移動できるのだ。

 というか、一番最初にディザーク侯爵家のお屋敷に赴いた際には町と町とを繋ぐ乗合馬車に半日以上揺られて移動したワケだけれど、お尻も痛かったし懐も痛かった。

 ところが自分で飛んで移動すればお尻も金銭的にも痛くなく、しかも移動時間は休憩を挟んでも小一時間ばかりで済む。

 あの苦労は一体何だったのかと無知だった自分を叱り飛ばしたい気分になっちゃうほどだ。


「マリア・テンプル。行きますっ!」


 僅かながら宙に浮いた格好のままクラウチングスタートの姿勢を執る。

 そして弾き出されるようにして前へと飛んで行く。


(今、逢いに往きます……!)


 胸の中で一心に唱える。

 視界が凄い速度で後ろへと流れていく。

 障害物が見えたと思ったら直ぐさま高度を上げて躱す。

 時速100キロとはいかなくても結構なスピードが出ている筈で。

 なので集中力を切らせるワケにはいかない。

 お姉様みたく無尽蔵に氣を使えるなら結構な高さまで上がれるんだけどな、とは未だ未熟な自分に対する愚痴だった。



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