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061:ラプラスの襲撃① 軍議


 家相学において北東は鬼門とされている。

 鬼門とは悪い気が流れ込んでくる方角である。性質として淀んだ空気が蓄積しやすいこの方位は、故に常に穢れの無い清潔な状態を維持しなくてはならないとされていた。


 アルフィリア王国を一つの家と見立てた場合、東北は鬼門であり、本来であれば最も兵を厚く配備しておかなければいけない場所で、これを怠れば蓄積した穢れがある日突然に堰を切ったが如く雪崩の如く押し寄せる事は必定なのである。


 ――そう。

 預言書(乙女ゲーム)に記述されていた“ラプラスの襲撃”は、起こるべくして起こった災厄なのである。


「報告! ラトスの北東30キロ地点にて大規模な魔物の群れを発見! 敵はゴブリンを主力とする混成群で、数はおよそ一千!!」


 早朝になってディザーク侯爵家邸宅に駆け込んできたのは馬に跨がった町の守備隊員で、彼は当主代理となるサラエラの前に膝を付いて声を張り上げた。


「そうですか……、いよいよ」


 サラエラは呟いて、次に町の全兵力による防衛戦の準備を指示した。

 報告の元となる情報というのは周辺調査の依頼を受けた冒険者から発せられていたが、同じくギルドにも戦闘における支援を要請するよう言い渡し。

 次に(ルナ)を呼んで数名の兵を伝令として使わせて欲しいと頼む。

 頼むといってもこの場合は命令の意味合いになるし、ルナにしたってサラエラを総司令官としているのだから従うのは当然で。

 航空部隊から何人かを見繕うと母の作成した援軍要請の書状を持たせて早速飛んで貰う事になった。


「今日こそが私たちの運命を決定づける日です。ルナ、心して掛かりなさい」


「はい、お母様」


 母娘は万感の思いを込めて言葉を交わす。

 預言書から未来を知ったあの時から始まる物語は、念入りに進めた準備によってようやく成果を表すこととなる。


 ゴブリンが一千?

 それで全部なわけがない。

 預言書に記載されていたのは数万もの魔物の群である。

 即ちゴブリンどもはあくまで敵軍(・・)の先鋒であり、主力はこのずっと奥で息を潜め今も前進し続けていると考えるべきであろう。


 これは単に人間種の町が異常発生した魔物の群に飲まれるといった話ではない。

 統率者を持つ異形の軍隊が人間世界を蹂躙せんと押し寄せる、人間種と異形種による戦争なのだ。

 少なくとも母娘はその様に認識していた。

 野生動物を矢で射るだけの“狩り”ではなく両軍の兵士が激突するいくさである以上は兵法が、戦略が、策謀が通用するのだ。


「彼らに人間の何たるかを骨の髄まで刻み込んで、今後千年間はねぐらから這い出して来られないようキッチリと教えて差し上げなければなりません」


 サラエラ様の言葉はヤル気に充ち満ちていた。

 微かながらこめかみに青筋が立っている。

 うん。お母様にしても相当にストレス溜まってたのねとはルナちゃんの所見であった。


「しかし時間的に増援は間に合わないでしょうね」


「ええ、相手は一週間もは待ってくれませんし、であるならば現存兵力のみでカタをつける必要があります。ルナ、今回ばかりは無茶をするなとは言えませよ」


「ええ、こちらもそのつもりです」


 ん? お母様これまで無茶するななんて言ったこと無いですよね?

 ちょいと小首を傾げたものの野暮なツッコミは致さない方針のルナお嬢様である。

 それからサラエラはルナに妙な形をした耳当てを手渡した。


「これは遠くに声を飛ばすという魔導具です。本来は一方通行ですが二つを組み合わせる事で双方向で会話できるよう改造しております。同様の物品を各部隊長にも配布する予定ですが、これによって即時の命令伝達が可能となるでしょう」


「はい。預かります」


 お母様は脳筋軍団として名高い辺境伯、ウェルザーク公爵家の血を継いでいる。

 つまり戦に関する事に対しては天才的な才覚を持ち合わせているのだ。

 そんな彼女が考案した小道具は、前線の兵、特にルナたちのように空中を主戦場とする航空部隊にとっては強力な武器になり得た。


「騎士隊の隊長と冒険者ギルドのギルドマスターには既に呼集を掛けています。軍議には貴女も参加しなさい。何と言っても今作戦の主役なのですから」


 お母様は言っておいてから娘を解放する。

 呼集を掛けた面々が邸宅に到着するまでに幾ばくかの時間的猶予があって、この隙間を使って自部隊に諸々準備させよといった話なのだろう。

 ルナは母の前で頭を下げると踵を返し颯爽と去って行った。



 ――おおよそ二時間の後に侯爵家邸宅を訪れたのはディザーク第一騎士団内ラトス治安維持部隊の隊長カーディス氏と、これと肩を並べるラトス冒険者ギルドのギルドマスターであるゲオ氏。御両名は館内応接室にてサラエラと、その娘であるルナを前にしていた。


「軍議、と言いながら応接室で御免なさいね」


「いえ、領主代行」


 サラエラがふんわりとした微笑みと共に述べれば彼女の昔を知っているカーディス氏はちょいと顔を顰め、逆にゲオ氏は頬を赤らめる。

 厳つい三十路のおっさんが美女を前に鼻を伸ばす様はとても見ていられないとルナは思った。


「早速ですが本題に入りましょう。わたくしが聞き及んでいるのはラトスの東北にてゴブリンの集団が集結しているといった話です。間違いないですね?」


 念を押すように声を掛けたのはゲオ氏に対して。

 一般の成人男性と比べて二回りくらいゴツい体格で遠目であれば熊と見間違われても仕方の無い風貌のおっさんは大きく頷いた。


「ええ、依頼を受けた冒険者からの報告では町の北東、距離は徒歩で半日以上掛けた所ですので位置的には東の森と隣接する形になっていると思いますが、100体もの偵察と思われるゴブリンの群を発見したそうです。これまでの調査からゴブリンが群れ単位で動いている場合、本隊は偵察部隊の十倍以上は居るってのが相場だと判明しておりますんで、予測として一千、場合によっては二千はいると考えて頂いた方が宜しいかと」


 ギルドマスターたるゲオ氏の言葉は淀みなく、ギルド内で共有されている認識である事を窺わせる。

 サラエラは一つ頷いてから口を開いた。


「では今回に限りその認識を変えて下さい。敵は混成で数は数万。場合によっては十万以上であると」


「なっ?!」


 冷涼かつ衝撃的な発言に思わず腰を浮かせたギルドマスター。

 騎士団隊長も驚愕の表情だった。


「以前入手した情報により本年度に万単位の魔物の異常発生が起こりうる事は承知しておりました。分からなかったのは時期と位置で、これを突き止めるために冒険者ギルドに調査依頼を掛けていたのです」


「なんと……そういう事だったのですか……」


 預言書云々といった話は騎士団はおろかギルドにも秘匿されていた。

 ただ“調査せよ”と、そのように繰り返し依頼を掛けて来たのだ。

 何らかの根拠が無ければそんな無為な事はやらない。

 だからギルド側にしても薄々は勘付いていたのだろう。ゲオは大きく息を吐き出すと腰掛けていたソファーに深く座り直した。


「それで、策はあるのですか?」


 男は表情を引き締めるとサラエラに向き直る。

 銀色髪の侯爵夫人は小さく頷く。


「我が娘、ルナは極広範囲に対して攻撃を行う事ができます」


「ほう」


 男の目がルナに向けられる。

 鋼色髪の侯爵令嬢はお澄まし顔で頷いた。


「ただし連射は出来ない上に一度発動させれば暫くの時間は使えない。極めて使いどころの限定された手段になりますが、敵が十万にも及ぶともなればこれに賭けるしか方法がありません。現在ウェルザーク公爵家と王都の常駐騎士団宛てに援軍要請を掛けておりますが進軍速度の兼ね合いから間に合わないでしょうし、仮に間に合ったとしても一万、多くても二万が限界ともなると正面からぶつけていてはまず勝ち目がないでしょう」


「確かに……」


 十万の魔物を相手取ると考えた場合、人間の兵数が一万や二万ではとてもじゃないが敵の侵攻を防ぐことはできない。

 そう言えば、と思うのは。

 預言書(乙女ゲーム)内の記述で“ラプラスの襲撃”と呼ばれる超特大規模の魔物の異常発生が起きたとはあったが、この事件がどの様な推移で終息したのかは一切明言されていなかった。

 普通に考えるなら十万の魔物が発生したならば周辺地域のみならず王都だって壊滅的被害を被るはずなのだが。


「いずれにせよ、今回の作戦ではルナの航空部隊を軸として騎士団及び冒険者ギルドには動いていただきます。特にギルドには住民の避難を率先して行っていただかなければいけませんし、責任は重大だと考えて下さい」


「作戦が失敗した時には、どうされるおつもりで?」


「その時には私ども全員が肉片もしくは魔物の孕み袋にされ殺されるだけです」


 先鋒となるゴブリンは人間の女を陵辱し繁殖しようとする。

 それは女性にとっては考えるのもおぞましい話であろう。

 だがそれでも尚、サラエラは、美しき女傑は薄ら笑いすら浮かべ平然と曰うのだ。

 質問を投げ掛けたカーディスはゴクリと唾を飲み、そして頷いた。


「ならば我ら騎士隊、己が全身全霊を以て貴女をお守り致しましょう」


 男は腰掛けていたソファーから立ち上がると胸を拳で叩いた。

 騎士を名乗る者にとって、それは己が身命を賭けるとの決意を表す所作であった。


「期待しています。とはいえ、まあ、作戦の成否は娘の、ルナの肩に掛かっているのですけれどね」


 少しだけ表情を和らげてサラエラ夫人が告げる。

 その隣で愛娘が、読み取れない感情もそのままに言葉を紡ぐ。


「悲観することはありません。十万や二十万くらいならうえを押さえている限りはそう簡単に負けることは無いでしょうし」


「本当に簡単に仰る」


「事実ですから」


 少女の口ぶりを不遜と取ったのかギルドマスターが呆れた様な声を出すもルナはケロッとした顔で答えるばかり。


「大まかな段取りを言えば、私どもが初手で敵の本陣を叩き潰し、それでもなお押し寄せる残存兵をそちらで駆除するといった話になるでしょう。というかこれ以外の戦術は執れる余地がありません。ただし地表でも出来る事はあります。例えば大量の油を撒いておいて火計を行うだとか、冒険者さんの中に高レベルの魔法使いがいらっしゃるなら地面を凶器に変えたり落とし穴を作ったりと遣り様は幾らでもあるでしょうよ」


 ルナの言葉にギルドマスターが目を丸くする。


「お嬢様は、こういった戦いの経験がおありで?」


「まさか。12歳の小娘の戯れ言ですわ」


 事も無げに曰う少女に、男二人は思った。

 蛙の子は蛙。銀の剣鬼の娘は、やはり鬼なのだな、と。


 兎も角こうして軍議は終了し、各々応接間を退室する。

 自軍の陣容を言えば、ルナ達50名の航空部隊を筆頭として。

 騎士団200名と冒険者ギルドで募った有志が100名ほど。

 戦闘能力に秀でていない冒険者は町の住民達の避難誘導を行う。


 これがディザーク側の全戦力になる。

 敵魔物群は報告だけなら千か二千だが、実情は万単位であると推測されていた。

 数の上では一方的な蹂躙と虐殺が行われるものと誰しもが思っただろう。

 だがたった一人の存在が戦局すらもひっくり返す事があるのだと少々の後に人々は思い知ることとなるのであった。



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