057:軋轢のデビュタント㉑ 王妃様と侯爵令嬢
この日の夕刻前、エリザ・ルーティア・ド・アルフィリア王妃宛てに急ぎでの面会申請があった。
場内でパーティーの撤収作業に追われているはずのディザーク侯爵家からである。
エリザは「流石はルナちゃんね、動きが早い」と感心しきりで申請を受諾。
城の応接室を使用しての面会と相成った。
「そんなに慌ててどうしたのかしら?」
応接室のソファーに腰掛けて、簡素ながら優美さを失わないドレスに身を包むエリザが不思議そうな顔を作って訪れた親子三人を出迎える。
相手の用件がおおよそ分かっていても知らない顔で聞くのは交渉術としては基本中の基本。相手の知らない情報があった場合に自分から教えてしまわないためのテクニックである。
王妃の対面側に腰掛けた三人は右からジル、ルナ、サラエラだったが、真ん中で両親に挟まれる格好の12歳少女がまず口火を切った。
「広場で放映されている映像の件です」
「ああ、アレね。それがどうかしたのかしら?」
「ディザーク侯爵家としては抗議するのが筋ですので」
ルナお嬢様は何の感情も含まないお澄まし顔で答える。
エリザは内心で舌を巻く。
昨日デビュタントを経たばかりの12歳少女。
高位貴族の令嬢ともなれば蝶よ花よと甘やかされて、つまり貴族同士の遣り取りにおける腹芸なんて出来る筈が無いのだ。
12歳でこの余裕。
やはり王の、否、皇帝の器なのかも知れないと称賛の気持ちで一杯になる。
「ふぅん、抗議といってもこちらにやましい所なんて無いわ。だって映像には貴女に対してどうこうするといった言葉は一言一句として含んでいないもの」
「いいえ、私どもが抗議するのは映像を無断で加工した事についてです。肖像権、個人の映像を不特定多数の目がある所で無許可で流した事に対しても個人の生存権を侵害する行為であると私どもは考えます」
ルナお嬢様の口から出たのは難しい言葉だった。
しかも親に言わされているといった様子でも無い。むしろ両親の方が驚いているかに見受けられた。
「個人の生存権、とは?」
アルフィリア王国では“貴族の権利と義務”はある。
しかし個人に対する権利というものは存在しない。
概念がそもそも無いと言うべきか。
好奇心から身を乗り出して尋ねるエリザに少女は僅かに口端を吊り上げて答える。
「たとえば、そちらの魔法省内で発明された映写具に関して言えば、部分ごとの発明には権利があり特許を取得する事で第三者が同じ技術を利用する際にロイヤリティーの支払い義務が生じます。つまり発明者個人、もしくは組織団体に与えられる権利であると言えましょう。これを突き詰めていけば特定国家に帰属する一個人にも身の安全を脅かされない権利があると私は考えます。これを生存権と呼びます。……平民は貴族に税金を納める、即ち特定貴族の傘下に加わるのと引き換えに身の安全を保証される。これは現実ではどうであれ、建前としては国家の根幹を成す概念の筈です」
少女の言葉は王妃には刺さるものがあった。
確かに理想というか国家のあるべき姿というのは、まさしく国を治め民を守る者と王に従い守られる者、その二つが組み合わさってこそ成立するものだ。
だが現実はどうだ?
不良貴族ともなれば国の目の行き届かないところで奪略強姦殺人と、そこいらの山賊と何ら変わらない所業を今も平然と行っているじゃあないか。
大多数の貴族の認識として、平民などは一生税金を納め続けるだけの家畜であり、それは世間一般じゃあ奴隷と呼ぶのだ。
人間が同じ人間を一方的に従属させ、嬲り奪い尽くす。
なんという傲慢なのか。
ああ、そうか。と理解する。
だから彼女は“貴族社会”を嫌っているのだと。
「エリザ様、奪い取るだけの者を支配者とは言わないのです」
「そう、ね。あなたの考えは分かったわ。つまり無断で映像に手を入れ放映した事に対して不特定の誰かから危害を加えられたり、命を狙われる危険性があると。それを法整備でどうにかして欲しいと、そう言いたいのね?」
「はい。法律という土台が整わなければ次の段階に進めませんから」
ここで「ふふっ」と含み笑いするルナ。
エリザは「ちょっと待って」と慌てて会話を遮り立ち上がると応接間の扉際に佇む衛兵に声を掛けた。
「ちょっとそこの貴方、ハイマール宰相を呼んできて貰えないかしら。大至急で」
「はっ!」
衛兵は腰に佩いた剣をガチャガチャと鳴らして廊下に飛び出していく。
エリザは大きな息を吐き出すのと同時にソファーに深く腰掛けた。
「ちょっと待っててね。法律関係ならハイマールを同席させた方が話が早いでしょ」
より突っ込んだ内容になりそうだと思って根を上げる。
エリザは確かに王妃として執務の幾ばくかを旦那と共にこなしている。
けれど、法律の細かい部分になると門外漢なのだ。
「それでしたら魔法省の長も呼んで頂きたく思います」
「……なる程、そういう事なのね」
ルナが言い出したので望み通りクレイ魔法省長も呼びに行かせた。
エリザはこの時点でルナを12歳の少女であるとは見ていない。
大人の、それも天才的に頭の切れる知略家であると判断していた。
「お呼びでしょうか?」
「ええ、ごめんなさいね急に呼び立てて」
やがて応接間にスーツ姿の老宰相と同じく黒ローブ姿のクレイ卿が入ってきて、二人居並び慇懃に頭を下げる。
エリザは「ああ、仕事ではないのだから畏まらなくていいわよ、楽にしてちょうだい」なんて手を振って彼らにも着座を進める。
国の舵取りをする頭脳集団のトップ二人を前にしてもルナお嬢様の態度は揺るがない。
「では続けてちょうだい」
今に至るまでの経緯、個人の生存権に対する解釈とそこから派生する映像の使用権。
新たに施行すべき法律の骨格とも言うべき内容を二人にも説明したところで、話の続きを促した。
「はい、それでは。――映像に関する諸々の法律の制定がまず第一段階。私がこうして王妃様に面会を申請したのは第二段階に関して説明するためです」
映像を無断で使用したことに対する抗議。というのはどうやら建前であったらしい。
エリザは二度三度と感心する。
(私が講じた策略を逆手にとって更なる策謀を敷こうというのね。この子の頭の中はいったいどうなっているのかしら?)
やはりこの少女は王家に迎えなければいけない。
そして私と母娘として手を取り合えば、世界征服だって出来てしまうに違いない。
エリザは心酔とも言えるほどに、年端もいかない眼前に少女に惚れてしまっていた。
「皆さんはまだお気づきでないかも知れませんが、昨日の映写具、つまり映像という分野には無限の可能性が秘められています。仮に当国内での研究を打ち切ったとしても、近いうちに必ず他国で実用化され世界を席巻するでしょう。つまり、今この瞬間に曲がりなりにでも映像として作成できている我が国は大きな優位性を得ていると、そうお考え下さい」
とても12歳とは思えない確固とした音色でルナが告げる。
彼女の両親は元より切れ者として有名な老夫達と王妃に至ってさえ目を丸くしていた。
「と、口頭だけで説明しても実体としてどれだけの事なのか分からないと思います。そこで実験と称してデータを出したいと考えます」
「実験、とは?」
ハイマール宰相が興味深げな顔で懐に手を差し入れ眼鏡を引っこ抜いて掛ける。
この動作は辣腕として有名な氏の本気の仕事スタイルであるらしかった。
「ある商家。どこでも良いのですが、敢えてディザーク侯爵家と懇意にしているラブルス商会を指定しますが、新しい商品の宣伝を、広場に設置されたスクリーンにて放映するのです。もちろん宣伝用の映像に対しては私が出演しましょう。作成した映像を一定期間流した上で、商品がどの程度売れるかを数字として出すのです。比較対象が必要でしょうから似たような物をもう一つ準備させましょう。値段は庶民の手の届くよう安価にして。ここで出たデータを見れば“映像”という物が如何ほどに凄まじい物かご理解頂けると存じます」
「まるで未来を見てきたかのような物言いですな」
「いいえ、広場に集まった観衆の反応を見れば、嫌でもその結論に至ります」
クレイ魔法省長が嫌味なのか誇らしいのか測りかねる口調で物言えば、ルナお嬢様は口角を深めて答える。
「ならば、ここに一つの予言を致しましょう。
今後百年を指して、後の世ではこの様に呼ばれる事でしょう。
――映像の世紀である、と。
そして世界に先んじて先陣を切ったアルフィリア王国は、“全ての人類”に対して訴えることとなるでしょう。
飢餓も貧困も無い平和は、当国でこそ実現できるのだと」
「国家百年の大計!?」
衝撃が走った。
エリザの、クレイの、ハイマールの全身に雷にでも撃たれたかの如き衝撃が走った。
この少女は結婚がどうなどといった話など些事であると見向きもしていない。
国家の、世界の百年先を見据えているのだ。
そして彼女は、映像こそが世界を制覇するための武器であると説いている。
鋼色をした艶髪の輪郭に後光が差したかに思われた。
一滴の血も流さず、一人の犠牲者を出す事もしないで成し遂げられる世界征服。
なんと甘美な響きなのか。
これ程の偉人は他に存在し得ない。
この少女は仮にエリザが手放したとしても他の地で、己が才覚のみで世界の覇者となるに違いない。
エリザは、少女を見て今度こそ確信した。
彼女こそが初代にして唯一の“世界の皇帝”となるべき人物である、と。
感動に打ち震えてしまいそうになる我が手を逆の手で抑え込んで、アルフィリアの金獅子と謳われた女傑は自ら膝を屈して忠誠を誓ってしまいたい衝動に駆られていた。




