054:軋轢のデビュタント⑱ デビュタント終了
犯罪組織ウロボロス。
構成員達が根城としていたであろう建物では打撃音やけたたましい金属音がこだましていたが、それだってやがては沈静化し不気味なまでの静寂へと移り変わってゆく。
それはつまり、居合わせた組織の人間が例外なく冥府へと旅立ったことを表していた。
「皆様お疲れ様でした。撤収しましょう」
「「「おぉぉおおおっ!!」」」
建物の出入り口を背にする格好でマリアを腰から抱いて支えるルナお嬢様に、厳めしさに満ち溢れた男達が呼応し、総員足並み揃えて宙へと舞い上がった。
航空戦闘部隊なのだから当然ながら行きも帰りも空を飛んで移動するのだ。
本来なら戦闘行為そのものを空中で行うはずの人々にしてみれば、敵が幾ばくかの暗殺技術を会得していたにせよ鉛玉を飛ばせば簡単に倒せてしまったものだから全然大した事の無い戦場であり、行き掛けに空帝様の仰った“ちょっと行ってパッと終わらせて帰ってくるだけの簡単なお仕事”との言葉通りであったと拍子抜け。
まだデビュタントパーティーの最中なので消化不良だからと飛行訓練に励むワケにもいかず、だったら後はルナさま奢りの酒と肴を討伐するとかいった大任に洒落込むしか知らないのである。
「お姉さまぁ♡」
腰を抱かれてご満悦のマリアちゃんは蕩けちゃいそうな音色でルナに囁きかけ、それはもう幸せそうな顔で縋り付いてくる。
ルナとしても、彼女の温さや腕に伝わる柔らかさが心地良く思われて手放しがたく。
そんな二人のイチャイチャっぷりを前にちょいとご機嫌斜めなのはアリサちゃんだった。
「また二人してくっついて……」
むぅ~、と頬を膨らませる紅髪少女には苦笑を手向けてルナは空いている方の腕を伸ばすと赤ドレスの腰も抱いて引き寄せる。
空の上の事なので一見すると曲芸としか思われない。
「そんな怒ってはダメよ?」
「お姉様は、すぐにそうやって……♡」
これはもう両手に花である。
ただし後方にて映写具を向けるアーシャさんにしてみれば美しくも微笑ましい少女達の戯れにしか思われなかったものだけれども。
そんな感じで空中遊泳に要した時間は十分足らず。
部隊の発着場となっているオーガスト城の屋上に足を付ければ、待ち構えていた衛兵さんに混じってアンナが進み出て「お嬢様方、お召し物の支度はできております」と三人を急かす。
パーティーの主役であるルナだけでなくアリサちゃんやマリアちゃんにしても放映されている映像の登場人物として出演している以上は場内に足並み揃えて再入場を果たさなければ収拾が付かないのだとか。
「そうね急ぎましょう。お客人を待たせるものではないわ」
ルナは二人とそれぞれ顔を見合わせ、頷き合うと小走りでアンナをはじめとするメイド達に追従、お色直しということで予備で準備されていたドレスを装着、大広間への帰還を果たしたもの。
なおマリアは実家が裕福でないため身に付けていたドレスが一張羅になるのだけれど、そこはルナのものを貸し出すことにした。
この件に関して彼女は恐縮しきりだったけれど、パーティーともなれば当然ながらドレスコードがあって、ボロボロになった衣装で再入場するなどは他の招待客たちの面子に泥を塗る所業でもあるため言語道断。そう言って無理矢理に着せたというのが真相だったりする。
「――ルナ様、アリサ様、マリア様の入場で御座います。皆様暖かい拍手でお迎え下さい」
大広間に足を踏み入れた瞬間に、三人は割れんばかりの拍手に包まれた。
貴族家の人々はどれもこれも感極まった顔で、中には号泣しつつ手を叩く御仁もいる。
マリアはひたすら恐縮して、アリサは誇らしげな面持ちで主役の左右をガッチリ固めて進み出る。
少女二人の真ん中では、可憐なる唇に優雅な微笑みを浮かべるルナ様が、かといって偉ぶるでもなく粛々と歩いている。
後ろでアーシャが三人の背中を映写具にて捉えているのを確認しつつ、つま先を広間の奥へと向けると淀みない足取りで突き進む。
ルナは二人を促し演台に立たせると、自分もステージの上にて観衆の目に我が身を晒し声を発した。
「皆様、本日のデビュタントパーティーは如何でしたか? 途中で友人が攫われてしまうなどといったハプニングがあり皆様におかれましては不快な思いをさせてしまい申し訳なく思いますが、それでも尚お楽しみ頂けたなら僥倖。身に余る光栄に御座います」
言ってから深々とお辞儀をした。
「状況を掻い摘まんでお話いたしますが、先ほど私どもが出向き制圧しましたのは“ウロボロス”と名乗る裏社会の組織団体でした。不確定ながら事前に幾ばくか情報を入手しておりました故に迅速な対応ができた次第です。
……あら? そう言えばリブライ・ミューエル侯爵の姿がありませんわね?」
一同を見回して首を傾げる。
三人の後ろに立てられたままのスクリーンにルナの美しくもあどけない面立ちがアップで描き出される。
勿論これは計算された動きとアングルだ。
招待客の皆さんにルナ・ベル・ディザーク侯爵令嬢の顔をキッチリ覚えて帰って貰うにはこれが最も効果が高いと思われたが故に。
アーシャさんは専属カメラマン気取りなのか片膝立てて三人の斜め前から仰ぎ見る角度で映像を記録し続けている。
「リブライ・ミューエルは謀反人としてつい今しがた捕らえて牢屋に連れて行ったわ」
説明したのはエリザ王妃で、彼女はツカツカとルナの正面までやってくると不敵な笑みを手向けた。
「エリザ様、ご説明痛み入ります。そうですか、リブライ様は牢屋ですか。少し残念です」
ルナは態とらしい仕草で肩を竦める。
エリザは「これも想定済みってことね」と言葉には出さないものの苦々しげに笑みを深める。
ルナは首を振って更に言葉を足した。
「いえ、リブライ様には折角ですし事実を知ってからの退場として頂きたかったものですので」
そう言ってルナは、自分が入ってきた扉を指差した。
すると音も無く重厚なる扉が開いて、一人の少女が入ってきたじゃあないか。
アーシャさんのカメラアングルがゆっくりとそちらを向く。
スクリーンに新たに映し出されたのは極黒髪の少女で、身に付けた黒一色のドレスがその胸元に飾り付けられたピンク色の花と白い首筋や二の腕といった素肌の病的なまでの白さを更に際立たせていた。
「皆様にご紹介します。彼女はシェーラ・ミューエル。私の大切な友人の一人であり、今回のマリアさん救出を陰ながらサポートして下さった恩人でもあります」
ルナはそれからエリザ王妃を見つめる。
「さて、王妃様。リブライ様が謀反人として捕縛されたのであれば、ミューエル侯爵家は如何なる処遇を受けるのでしょうか?」
「そうね。慣例から言えば侯爵家の取り潰しと、一族郎党の処刑ね」
「処刑ですか。でしたら、こういうのは如何でしょう」
ルナは告げておいて娘が戻ってからは裏方に徹している母サラエラの所まで進む。
「お母様、剣をお借りしても?」
「え、ええ……」
これ以上何をしでかそうというのかと恐々しつつも腰に佩いていた剣を鞘に収まったままルナに手渡す。
受け取った鋼色髪の少女は次の瞬間には剣を抜き放ち駆け出していた。
ドスッ。
衝撃の連続に人々は我が目を疑い声をなくする。
シェーラ嬢は躱すでも防御するでもなく胸を串刺しされてしまったじゃあないか。
一瞬遅れてそこかしこで女性の悲鳴が響き渡り、男性客は狼狽えるばかり。
混乱に包まれようとした大広間に静寂を呼び戻したのはルナの「ご静粛に」といった声である。
しんと静まった大広間にて、ルナは王妃を真正面から見据える。
「さて、エリザ様。シェーラ・ミューエル嬢は私の持つ剣により命の灯火を吹き消されました。ミューエル家のご息女は処刑を待たずして帰らぬ者となったと解釈して宜しいでしょうか?」
「え、ええ、そうね」
衛兵が駆け寄り床に崩れ落ちたシェーラの剣に貫通された胸や血を滴らせる口に呼吸が無い事を確認、首を振るのを見て王妃様は答える。
「その上で、私はここに一つの奇跡を顕現させましょう」
――桜心流氣術、奥義・天武再生!
ルナ侯爵令嬢が声高に宣言する。
そしてフロア一杯にこだまする甲高い音色。
人々は見た。
ルナの背に純白の翼が生えるのを。
ルナの頭上に燦然と煌めく金色の光輪が顕現するのを。
光沢ある鋼の艶髪が黄金色の光を帯びるのを。
その姿はまさしく天使。
強烈な光が部屋の中で爆発したかに思われた。
「さあ、お立ちなさいシェーラ。私の大切なお友達」
ルナの優しげな音色は大広間が元の色を取り戻してから。
同時に人々は奇跡の光景を見た。
なんと剣に胸を刺し貫かれた筈の少女が何食わぬ顔で起き上がったじゃないか。
黒ドレスの胸と背中に小さな穴が開いているかに見受けられるものの、傷口はどこにも見当たらなかった。
ルナは驚愕の表情で固まっている王妃様と国王陛下、それから招待客を一巡見渡し声を張り上げる。
「ミューエル侯爵家のシェーラ嬢は息絶え、ここに新しく、ただの私の友人たるシェーラが現れました。彼女とその配下どもは我がディザーク侯爵家、並びにウェルザーク公爵家が責任を持って保護いたしますので、異論のある方はそちらへどうぞ」
少女の眼力が大広間を完全に掌握していた。
女神様、と。
どこかで声が聞こえたかに思われたが、それが誰の呟きかを追求しようとする者もなく。
ただ畏れと羨望が一緒くたになった空気の流動する様を肌に感じるだけ。
「あなたは、一体何者なの?」
エリザはつい言葉に出してしまう。
ルナは「ふふっ」と含み笑んだ。
聖導教会は一神教であり、彼らが唯一絶対とする神以外は全てが討ち滅ぼすべき邪悪なる魔の眷属であるとされている。
その上で、招待客の中には熱心な信者だって紛れ込んでいるのだ。
だから少女は否定も肯定もしない。
ただ、起き上がり駆け寄ってきた極黒髪少女と手を取り合い、人々に向けて礼をしたのみ。
城に帰り着いたところでルナはシェーラを呼びつけて一つの命令をした。
即ち、即座に復活させるので大人しく手に掛かれと。
どうしてそんなまどろっこしいことを行うのかと言えば、リブライの悪事を証明するためには組織ウロボロスにあった顧客名簿だけでは足りない。ミューエル家側に保管されている支出を記載した裏帳簿が無いとリブライがディザーク侯爵及びその家族を害するために組織に依頼をしたところまで話が繋がらないのだ。
このチャンスにリブライを失脚させておきたいルナは、しかし問題点の一つとしてリブライが処断される際には娘であるシェーラも同様に罰を受ける羽目になると考えていた。
だがルナにとってシェーラは今後ボロ雑巾になるまで使い倒すべき有能な駒なので失う事は避けたい。
そこでシェーラを他の貴族家一同が見ている中で殺害し、処断のリストから除外させようと目論んだのだ。
王妃のもしくは国王に“シェーラ・ミューエル侯爵令嬢の死亡”を認めさせた時点で筋としては通る。
後から何だかんだと言ってきても、それはもう理不尽な難癖でしかない。
筋を通した上で蘇らせる。
もちろん“死んだ人間を生き返らせる”という行為が、それだけで終わるわけが無い。
観衆の心理的に“この娘に服従しておけば自分かもしくは自分の身内が不慮の事故で亡くなった場合に蘇らせて貰えるんじゃないか”ってな期待を持つのは当然。
これでルナは奇跡とも言える現象を目の当たりにした貴族家その全てに対して絶大なる発言権を獲得したに違いなかった。
「ああ、王妃様。念のためにこの場を借りて発言しておきますが、私にも私の家にも、王家との縁を深めようといった予定はこれっぽっちも御座いませんので」
クスクスと朗らかに笑み声を潜めて曰えば、エリザ王妃様はビキリとこめかみに青筋立てて、そのくせ斬り掛かることさえできないまま「ふ、ふふっ」なんて引き攣った笑みを返すばかりであった。




