047:軋轢のデビュタント⑪ パーティー開幕
――その日、オーガスト城の城門には百にも届かんばかりの貴族家が詰め掛けた。
その誰も彼もがルナ・ベル・ディザーク侯爵家令嬢がデビュタントを迎えるに当たっての招待客であり。
噂に名高いその麗しき美貌を一目見ようと。
或いは令息のある貴族家であればあわよくば婚姻を結びその権威を我が物にせんと画策し王城の巨大なる門を潜り抜ける。
家格を侯爵位とはしているものの、本当は公爵家当主の孫娘つまりは姫君であることは一部の高位貴族が知るところであり。故に城内大広間を借用してのデビュタント・パーティーであっても何ら疑問に思わない。
しかし彼女の家柄の複雑さを知らない低位貴族や他家の系譜について調べようともしない横着者ともなればその限りではなく、会場入り口に立って客人達を出迎える母娘と対面してさえ怪訝そうな顔をしている者さえ見受けられた。
それでもディザーク家に近しい間柄の家ならある程度は心得ているものだが、今回は勝手が違っている。
それというのも王家が一つの家の娘のデビュタントに際して王城内の大広間を貸し出しているのだ。
ここで当初の予定通りに同派閥の貴族家ばかりを呼んでしまうと他派閥や政敵の間柄にある貴族家との軋轢――そりゃあ特定の家に対して王が露骨なまでの依怙贔屓していると思えば他家としてはいい気がしないだろう――が生じ、結果として敵対勢力を勢いづかせてしまう可能性が高い。
故にディザーク侯爵家とは疎遠だったり関係性のよろしくない、そのくせ国にとって重要と思しき人物も招待客のリストに加えている。
するとどうなるのかと言えば、ルナお嬢様の事情を知らない貴族家が無礼で横柄な態度を見せるといった事もしばしば見られるなんて話になる。
ディザーク家自体が侯爵位なのであからさまな態度こそ見せないものの、裏で陰口を叩いたりはあって当然。当家にしたって織り込み済みなのである。
まあ、とはいっても。
過去の蘇生で若返ってしまいルナの年の離れた姉と紹介されても誰も何の疑いも持たない程の可憐さと美貌を振りまく母サラエラと、更に洗練され美の女神と揶揄されたって遜色ない少女とが二人居並べば訪れた客人の特に男性ともなれば一目見ただけで魂を抜かれでもしたように頬を赤らめ鼻の舌を伸ばしたものだが。
如何なる時代背景や文化があろうとも、世の男性諸君の考える事なんて似たようなものばかりなのである。
一般的なしきたりとして、デビュタントを迎えた貴族家の子息令嬢はその時点から貴族家の一員と見做される。
なので表に立って招待客と挨拶を交わすくらいのことはしなきゃいけないのだ。
とは言ってもまだ幼い子女のこと、作法が辿々しかったり人見知りが激しくて怖い顔で迫られると親の影に隠れてしまうなんてことも往々にしてあるものだが。
その点でルナ・ベル・ディザーク侯爵令嬢の所作は完璧と言えた。
「招待に応じてご足労いただきありがとう御座います、リブライ・ミューエル侯爵様。お初にお目に掛かります。ルナ・ベル・ディザークと申します、以後お見知りおきを」
「ふんっ……小娘が」
例え相手が敵対派閥に属しており、なおかつ移動中に刺客を送り込んできた張本人であると疑われている御仁であっても、素知らぬ顔で挨拶をする。
背が高く面立ちはスッキリしているものの目つきの鋭い中年男性が鼻を鳴らすのを確認してから、ルナは釘を刺しておく。
「アザリアの町ではよくして頂きましたが、こちらでも同様に羽目を外されるともなると私どもとしても相応の対応を致さねばなりませんので重々ご留意のほどをお願いします」
カーテシーから頭を上げる間際になって薄ら笑いで、そのくせ全く笑っていない目でリブライ侯爵を見上げる。
「な、私を疑っているのか?!」
みっともないほど狼狽えるリブライ侯爵に、少女は「まさか」と返した。
「ただ、今回は私も部下達に不審者は一人として生かして帰さぬよう申しつけておりますので。……侯爵様におかれましても、無事の帰還を願うばかりです」
フフッ。なんて含み笑む。
リブライは顔を青くして「この化け物め」などと呟いて、肩を怒らせて堂内へと入っていった。
なお彼の娘であるシェーラ嬢に関しては、招待客リストには含めていない。
彼女も本年度はデビュタントを控えている身なのでどこかのタイミングでパーティーは行われるのだろうが、そこにディザーク家が招待されることはなかろうし、仮に招待状が送られてもお断りを入れる事は確定事項だった。
つまりこちらのデビュタントに相乗りさせる気はないし、そちらの事情に首を突っ込む考えも無いってこと。
それからもう一つ。
彼女に対しては昨日の間にルナ自らが超高速飛行で領内まで飛んで行って直接本人と面会している。
そこで話し合われた内容をリブライは知らない。
シェーラは父から氣術について学んでおりゆえに師弟の間柄ではあるが、尊敬や愛情といった感情は存在せず、男からすれば都合の良い道具、政敵を暗殺したり裏で細工するための駒としか見做していない節があって。
なので親子としての仲は非常に悪いと言えた。
なのでシェーラ嬢が、招待状を送られていないにも関わらず既に現地入りしておりルナから命令された通りに王都の中を動き回っていることさえ彼は知らなかったのである。
「本日はお招き頂きましてありがとう御座います」
「ベレイ・ウォーレス子爵様、そう畏まらずに。今日は拙いながらも宴を用意しておりますので存分にお楽しみ下さい」
次に見知った顔と言えば先日の衛兵詰め所で見かけた御仁ウォーレス卿である。
紅髪の渋みのあるオジサマはドレス姿のルナ、それから母のサラエラを視界に収めてやや顔を赤らめたものの、そのすぐ隣に居る奥様と後ろの息子に悟らせまいとしたのか澄ました顔で足早に場内入り。続けてやって来たシラヴァスク子爵家も同様だった。
クリスティーヌ嬢はダルシス君と二人仲良く並んでいたけれど、クリスティーヌちゃんがルナの前で頬を赤らめ瞳を潤ませて「先日はお救いいただきありがとうございます」と手を取って握り合った瞬間に少年がふて腐れたような顔をしたものだから、ここに至ってようやっと彼がルナに対して突っ慳貪な態度を執っている理由を理解したもの。
(ああ。つまり嫉妬しておるんか、この小童め色気づきおって)
あまりの微笑ましさについニマニマしてしまう精神年齢がジジイのルナちゃんである。
次に訪れたのは細身の老人で、名をヴィンセント・ハイマールという。
「本日はお招きいただき感謝にたえませぬ」
彼は随分と白くなってしまっている長い顎髭を手で弄びながら、そのくせ鋭さを伴った双眸にてルナを見下ろしている。
「ハイマール宰相様、今後ともお引き立てのほど宜しくお願いします」
老夫は国王の懐刀とも呼ばれる辣腕の宰相ハイマール氏。
爵位は侯爵家と字面だけ見ればディザーク家と同等に思えてしまうが、アルダート王が寄せる信の篤さを思えば当家などより余程重要視されている。
派閥は違えど、だからといって敵であるとも切って捨てられない絶妙な距離感を保っている家柄なので、少なくとも言葉や態度で彼の心証を悪くするのは悪手に他ならず、ゆえに儚げで優しげな笑みを手向けてみたり。
「なるほど、聡明な姫君とは聞き及んでおりましたが、流石ですな」
そんな少女に何を思ったか、彼は好々爺とした笑みを浮かべたものである。
ハイマール氏の傍らに控えているのは幼いながら賢そうな面立ちに眼鏡まで掛けている少年で、彼はヒューエル・ハイマールと自分の口で名乗った。
「ヒューエル様、今後とも宜しくお願いしますね」
「は、はぃ、ルナさん」
なのにこの坊や。ルナがふふっと含み笑みして話し掛ければ途端に顔を真っ赤にしてしどろもどろになったじゃあないか。
純情な少年を誑かしちまうたぁ、まったく儂も罪な女だぜ。
なんて思いながら、一方でそういった初心な反応を新鮮に思いながら頭を下げたもの。
そこから数組の貴族家を迎え入れた後に、見覚えのある顔がやってきた。
「そのドレス姿、本当にお美しいですな」
対峙して第一声がこれという、グラデュース王立魔法省の長は名をクレイ・ディラ・シューデルという。名簿で確認したが公爵位を持っているらしい。
先ほどのハイマール宰相殿と比べて幾分か短い顎髭は完全に白く、面立ちは温和そうというか脳天気そうな印象を受けるものの決して不細工ではない。若かりし頃はそりゃあもう美男子とか言われたろうよ。
内心でほんのりムカつきつつもニッコリ笑顔で相対する。
「お褒めいただき、ありがとう存じます。……と、そちらの方は?」
「うむ、彼は甥っ子のロディアスです」
「は、はじめまして」
「はい、初めまして。私はルナ。ディザーク侯爵の娘にございます」
同年代であっても物腰は崩さない。
濃紫色の髪とあと数年もすれば美しい少年になること請け合いといった面構え。
ただ、なんだろう? ちょっと影がある笑みが見る者を不安にさせるというか。
彼は少しだけ目を泳がせたものの、会釈した後は凜とした佇まいで少女の瞳を覗き込んでいる。
「……?」
ふとロディアス君が不思議そうな顔をする。
ルナが小首を傾げるも、彼が何に対して不思議に思ったのかを聞き出すことはできなかった。
そんな感じで数多の招待客を捌ききった頃合い。
ルナは後ろから声を掛けられて振り返る。
「ルナ嬢、僕たちにも何か言葉をいただけないかな?」
「あら、これはアベル殿下、そしてカイン殿下。ご機嫌麗しく」
声を掛けてきたのは言わずと知れた金髪第一王子アベル君とクソ生意気そうなツラが見る者をムカつかせるアッシュ髪第二王子カイン君。
ルナはカーテシーで彼らに挨拶する。
「そうやってお淑やかに振る舞っているぶんには美の女神と言われても納得するほどお美しいです」
「アベル殿下。女性を素直に褒められない殿方はどこまでいっても嫌われましてよ?」
苦笑を禁じ得ない金髪王子をぶん殴ってやりたいと思いつつ、そんな自分を鋼の精神力で制し宥める。
もう一方の生意気王子はと言えば、「ルナ、そのドレス凄く似合ってる……」と頬を赤らめつつもちゃんと褒めてくれる。
うむ、お前は将来有望だ。
などと上から目線で思ってみる少女は「ありがとう存じます」と優しさの籠もった微笑みを手向ける。
すると第二王子は「あの、俺とけっ――」などと何やら口走ろうとして自分の軽率さに気付いたのか途中で口篭もってしまう。
彼が何を言わんとしたのか見当付いたルナではあれど、この場では何も聞かなかった事にしてあげるのが大人の優しさであると思い記憶から削除した。
……あと、アリサちゃん。最初から最後まで私にくっついて来訪客と顔合わせしてくれるのは良いのだけれど、お願いだから何か喋って。相乗りでデビュタントする事になっているのだからせめてもうちょっと愛想を振りまいて。
と、傍らから離れないドレス衣装の紅髪娘にジトッとした目を向けてしまうルナ様であったそうな。




