044:軋轢のデビュタント⑧ バチバチの初顔合わせ
理屈から言えば、こちらからは頼んでもいない事であっても城内の大広間を借りてデビュタント・パーティーを行うのだから城主となる国王陛下に挨拶するのは当然というか筋は通っている。
ただし、繰り返すが“ディザーク侯爵家からは願い出ていない”のだ。
書状一つ寄越して“ウチの敷地を貸してやるから感謝しろよこの野郎”なんて顔をされて誰が納得するというのか。
こういうのを恩の押し売りというのだろう。
というか実際には王城内をパーティー会場とするにあたり招待客の選定基準を見直さなければいけなくなった。
同派閥の仲の良い貴族連中だけでなく他派閥の有力者まで巻き込む必要が出てきたのだ。
そうしないと外野から“王家の威信を独占しやがってふてえ野郎共だ”と顰蹙を買い、場合によっては他派閥が一丸となってこちらを潰しに掛かってるなんて目も充分にあり得る。
だから招待客の選定を一からやり直し。
そして規模が大きくなれば当然ながら出費が嵩む。
酒や料理は言わずもがな、客人達の宿の手配、送り迎えが必要ならその手配に至るまで。
至れり尽くせりで客をもてなさなければ“貴族家のパーティー”とは認められないのだ。
これだけ一つの貴族家に負担を背負わせておいて“感謝しろ”などと、どの口でほざくのか。
お母様が王様に対して内心で怒りを覚えていることは、ルナのみならず旦那さんも、パーティーに相乗りする格好で現地入りしている伯爵家の母娘でさえもが感じ取っていた。
まあ、厳密に言えば国王陛下にというよりは、正妃であるエリザ様に対してなのだろうけれど。
……というか、サラエラはエリザ正妃に対してワリと露骨に毛嫌いしている節がある。
もしかしたら両者の間には昔から確執というか因縁じみたものがあるのかも知れない。
どうせ聞いても教えちゃくれないだろうし、自分が彼女の立場であっても言わないだろうとルナは直感しているが。
「旦那様、奥様、お嬢様、馬車の用意が調いました」
「うむ」
身支度を終えた母娘は、当主たるジル侯爵に連れられて屋敷を出発。半時ほどを馬車に揺られた後にオーガスト城の荘厳な佇まいを仰ぎ見るに至った。
ジルは黒っぽいスーツを身に付けている。ネクタイが紺色で丁度胸元にくる高さに家のエンブレムが刺しゅうされている。
今更だがディザーク家の紋章は剣と錫杖をクロスさせた様な意匠で、一方仰ぎ見た先ではためく旗には王家の家紋となる二頭の獅子が剣を支えているというかじゃれついているような図柄になっている。
……これは参考程度の話だが、少なくとも現在のアルフィリア王国内で使用される家紋に竜は存在しない。それというのも竜とは討伐すべきモンスターであり人間世界に破壊を撒き散らす邪悪なる者の象徴とされているからだ。
そして竜と龍は全くの別物。
竜はトカゲの化け物だが龍は神であるとされている。
大昔の文献によると竜と龍が互いを屠らんとして戦ったことが過去に一度だけあって、この時には龍のブレスの一撃で竜王とその眷属数百万が消し飛ばされたとかいう記述があるくらいだから実力差は雲泥。見上げても全体像を測ることさえ叶わぬまでに違うということなのだろう。
と、そんな余談は脇に追いやるとして。
お父様はスーツ姿であるとして、サラエラとルナは白を基調としたドレスだった。
所々に青のアクセントを入れて全体像を引き締めている。
というか母も娘も銀髪ともなると、これはもう妖精の姉妹かと疑っちゃうような見てくれになっていた。
「――では、こちらへ」
城勤めの老執事が訪れた三人を案内して玉座のある謁見の間まで連れてきた。
石造りの床には深みのある赤で絨毯が敷き詰められており、所々に設置されている観葉植物が見た目に彩りを添えていた。
全体的に光を取り込むよう設計されているようで廊下は隅々まで明るい感じがして、そんな中を三人は歩き、やがて大きな扉の前で立ち止まる。
ギィィ……。
扉が開かれた奥には絨毯で描かれた一本の道。
最奥には玉座。
玉座には王冠を被った男が鎮座しており、最奥に至るまでの絨毯を挟むように数名の家臣が佇んでいるのが見える。
幾つかの目に晒されながら、ディザーク侯爵家の面々は前へと進み、やがて辿り着いた玉座の手前でジルが膝を突き、妻と娘も倣って傅く。
「本日はお招きいただきありがとうございます。ディザーク侯爵家の当主、ジル・コルト・ベル・ディザーク、召喚に応じ馳せ参じて御座いまする」
「うむ、面を上げよ」
当主ジルが口上を垂れれば玉座から重々しい声が降り注ぐ。
声に従って顔を上げた三人。
玉座の上の人物は三十路も半ばと言った頃合いの偉丈夫だった。
ゆったりとした衣装を身に纏っているため判別しづらいが、ガッチリとしつつも均整の取れた体型に思われる。
金髪で端正な面構えには年齢故の渋みがあった。
息子アベルの髪色や顔の造りは母エリザよりこちらの方にこそ似ていると言えるだろう。
そんな国王陛下は、名をアルダートという。
アルダート・ルーティア・ド・アルフィリア。
顎髭を伸ばして威厳を演出している国王は、ジル侯爵の次にサラエラを、それから値踏みするようにルナを見る。
「お初にお目に掛かります。ジル・ベル・ディザークの娘、ルナにございます」
「うむ。サラエラ夫人に似てとても麗しいご令嬢だ」
「お褒めいただき恐悦至極」
カーテシーからの語り口。
アルダート王は満足げに頷いている。
玉座の隣には正妃エリザが立っていて、まるで獲物を前に舌舐めずりする肉食獣のような目をルナへと注いでいた。
「本日呼び立てたのは貴殿の顔を見てみたかったのと、余興として幾つかの問答を行いたいと思った故のこと。余の享楽に付き合わせて済まぬな」
「いいえ、滅相もございません」
王が妙に優しい目でルナを見る。
ああ、コイツ、昔はめちゃくちゃモテたクチだわ。
と笑みを返しながらルナは内心でイラッとする。
「少々前に我が妃がそちらに乗り込んでいったと思うが、以来彼女は其方を娘にしたいと意気込んでおってな。単刀直入に聞くが、我が子の伴侶となる気は無いかね?」
王が自らの口で言えばディザーク家を挟み込む格好で配置されている重鎮達からどよめきがあがる。
そりゃあそうだろう。
謁見の間で、しかも主立った家臣の前での言葉ともなれば、それは公式の発言と受け取るのが普通であろうから。
つまりこの場、この面子の中でディザーク家と面会している時点で、それは相手に断らせまいとする策略の一つなのである。
「恐れながら国王陛下」
ルナは眉一つ動かさず口を開く。
「私には陛下の着座されている玉座がひどく退屈で窮屈なものにしか思われません。そちらにくっついている余計なものを全て取っ払うことができるというのであれば一考の余地はあるでしょうけれど」
「余計なもの……、なるほどエリザが気に入るワケだ」
意味を掻い摘まむなら。
ルナは“そんなクソ面倒臭そうな玉座になんざ興味ねえよ一昨日来やがれってんだ”と言いつつ同時に“何が面倒臭いかって? ンなもん貴族連中の事に決まってんだろダボが”と臆面なく言い放っているのだ。
要するにアルフィリア王国内の貴族とその枠組みを根こそぎ整理するってんならちょっとくらいは考えてやんよ。と言っているのだ。
それは貴族社会により成り立っているアルフィリア王国そのものを真っ向から否定しているにも等しい言葉だった。
不敬罪で投獄されそうになったら氣術で天井をぶち抜いて両親を抱えて脱出、ついでにオーガスト城の敷地全域を大量破壊術で償却してやるぞ、なんて内心で決意しているルナである。
いや、だってホラ。今の時点で城とそこにいる人間全員が消し飛んでしまえば預言書にあった内容なんて全く意味を成さなくなるのだし。
そんな挑発的な返しに対して、国王陛下は破顔した。
「ならば当面は触れられんな」
触れる、というのはルナを王子の妻とすることについて。なのだろうか?
主語をハッキリさせない間は次の瞬間に話を戻してきても不思議じゃあない。
笑みを絶やさず、しかし警戒も絶やさずのルナに、陛下は次なる質問をぶつけてきた。
「それよりも、だ。其の方、聞けば空を飛んで戦うという兵科を自らの能力で作り上げたと言うではないか。飛行魔法は極めて難しく、部隊単位での育成など不可能であると、ホレ、そこにおる魔法省の長は申しておったがその辺りどうなのだ?」
アルダート王が手で指し示した方へと顔を向ければ、顎に白髭をたくわえた老人が礼服姿で立っているのを見つける。
魔法省とは“グラデュース王立魔法省”の事だろう。
なるほど彼がその長かとルナは目を光らせる。
「恐れながら陛下、私が極めているのは魔法ではなく氣術。ですので、航空戦闘部隊エンゼル・ネストは“氣”の力により空を飛んでおります」
それから白ドレスの少女が国王に向き直って答える。
今の言葉から察するに、王家側はかなりの情報を既に手に入れていると考えて良いだろう。
即ち変に誤魔化そうとしても更に深く追求されるだけとなる。
ならば話の整合性を失わないよう可能な限り正しく答えるのが正解であるとルナは結論づけていた。
「氣術……ですと?!」
先ほどの老人が驚嘆の声を上げたが無視する。
「では重ねて問うが、例えば余がそういった部隊を新たに作ろうと思ったとして、それは可能か?」
「不可能とは言いません。ですが、極めて困難な道のりになるでしょう」
「それは何故か?」
「第一に氣術には適切な修行法があり、そのノウハウを持たない者ではやり方を教えられません。第二に環境の問題。氣術の修行を行うに当たっては上等なトレーニングルームや器具は必要ありませんし、逆に視界を遮るという意味で邪魔にしかならないからです」
「ふむ、なるほど。もう少し掘り下げて貰っても構わぬか?」
王が妙に勢いづいて食いついてくる。
おやおや? とはルナの疑問だ。
アルダート王の口ぶりだと、まるでルナを王家に迎え入れることそのものには大して執着していないように思われる。
エリザ夫人との温度差が激しいのだ。
むしろ、どちらかと言えば彼は「軍事力を強化したい」といった願望の方が強いと見える。
ふむ、と一瞬だけ迷うルナ。
彼は自前で航空戦闘部隊を作りたいらしいが、そこに協力してしまって良いものかどうか。
飛び方を教えればアルフィリア王国は確かに軍事の面で飛躍的に増強されるだろう。
魔物の大規模な侵攻が起こったとしても対応が容易になる。
だが、それは必ずしもルナの味方とはなり得ない。
ルナが国王陛下に絶対の忠誠を誓うつもりが無い以上は、敵になる可能性だってあるのだ。
言うなれば諸刃の剣。
王の顔を見た。彼の目は真っ直ぐにこちらを見ている。
そこに少女だからと侮った色合いは見つけられない。
ただ有能な人間からより有益な情報を得んとする男の顔があるだけだ。
王の資質はある、ということか。
ルナは、ならば試してみるのも悪くないかと思った。
ダメだと思ったら、その時点でこの手で全てを灰にする。
教えた者の責任としてケジメをつけるし、無理矢理にでも筋を通させる。
ルナは「ふっ」と含み笑んでから口を開いた。
「修行は大まかに言えば肉体の鍛錬と瞑想によって氣を練り増大させる訓練の二部構成ですが、そこに本人の資質や繊細な氣のコントロールが加わってきます。それらはただがむしゃらにやっても効果は出ません。限界ギリギリの負荷を与え、適度に休息を入れて疲労を解消する。これを繰り返すことが前提になりますが適切なタイミングは、やはり経験がないと判断できないでしょうね」
饒舌だった。
そりゃあ誰だって自分の得意分野に関して語れと言われれば舌もよく回るというものだ。
国王陛下は「ふむ」といちいち頷いて聞き入っていた。
「だからといって私にそういった部隊の育成を命じるのはおやめ下さいませ」
「なぜだ?」
「時期が悪すぎます。私は12歳の小娘ですし、なにより自部隊の育成だけで手一杯ですから」
「其の方が組織している兵団の事を言っているのか?」
「はい。まず彼らを戦力たり得るよう鍛えなければ全てが御破算になりかねません」
「ふむ。其方の過去の言葉によると近々魔物の異常発生が領内で起こるとの話だが、これに合わせているという事か」
「はい」
どうやらルナが「夢のお告げ」として語った話は既に王の耳に届いているらしい。
まあ、実験的にキルギス提督を救ってみたりシラヴァスク子爵領の治水に口出ししたりと目立つ事はやってきたワケだし、その情報源を探ろうと国内の諜報部が嗅ぎ回っていても何ら不思議では無かろうよ。
なのでルナは頷いて言葉を重ねる。
「私が部隊を発足させてから約5年の月日が経ちましたが、現状、辛うじて兵として使えるのが50名。兵士の育成として見れば、これほど非効率な事は有りません。はっきり申しまして採算に見合わないのです。その非効率を力尽くで押し通した結果が50名なのです。ですから国王陛下の命であろうとも成し遂げるのはほぼ不可能であると断じるより他にありません」
ドレスを纏った12歳の少女が玉座に腰掛ける王に対してキッパリと断言した。
周囲の諸侯が「不敬である」とか「小娘の分際で何たる口の利き方か」と囁くのが聞こえたけれど完全無視。
無理を言うならテメーにも相応の対価を支払わせんぞゴルァ!といった目で王冠を頭に乗っけた男を見つめる。
数秒間二人は見つめ合い、それから肩から力を抜いたのはアルダート王であった。
「仔細承知した。この件は其方の都合の良い時にでも、今度は正式な場を設けて話し合おうぞ」
「はっ」
ルナは頭を下げる。
意外だったのは顔合わせとしてはここで終幕となったこと。
余計な言葉の応酬が無かったので内心拍子抜けですらあった。
「ルナ……君は本当にサラエラの若い頃にそっくりだ。生きた心地がしなかったよ」
謁見の間から退出、城門内に待機させていた馬車にあと少しで着くといった頃合いでジル侯爵が愛娘に囁きかけた。
「え、そんな緊張しなきゃいけない場面なんてありましたっけ?」
コテンッと首を傾げるルナお嬢様。
少女のすぐ隣でお母様が「幾らなんでも私ここまで剛毅ではありませんでしたよ」なんて呆れ顔だったけれど娘さんには剛毅呼ばわりされる理由がとんと思い当たらなかった。
◆ ◆ ◆
――ディザーク侯爵家の親子が去ってから、玉座の上の国王様は深く大きな息を吐いていた。
「エリザ、君の言ったとおりだ。アレは是が非にでも手に入れなければならない」
「そうでしょう、そうでしょうとも」
玉座の隣に佇む正妃が得意げな笑みを浮かべ頷いている。
「だが扱い方を間違えれば国が滅ぶぞ」
「その猛獣を飼い慣らしてこそ陛下の威信が世に広まるというものです」
「君らしい物言いだが、ううむ……良い案が思いつかんな」
アルダート王は自分の服の袖を捲ってみた。
露わになった腕には鳥肌がビッシリと立っている。
男は、例えば妻のように聖拳六派に与する剣術を極めていたりはしない。
元は勇猛な貴族家の生まれであるため腕っ節には自信があるし今なお鍛錬を欠かしていない。
だが、そんな男であっても心胆が冷えた。
見つめ合った瞬間に己が魂を握りつぶされるかと錯覚するまでの恐怖を背筋に感じたのだ。
だからあっさりと引き下がった。
引かざるを得なかった。
アレは。
少女の皮を被った得体の知れないアレは、絶対に余所の国に取られてはいけない。
敵対は即ち我が身の破滅を意味すると国王は確信していた。




