042:軋轢のデビュタント⑥ 到着
街道沿いにあったアザリアを中継地点として、宿で一泊したディザーク家の面々は一路、王都メグメルを目指す。
昨日の夜に騒動のあった高級ホテルの支配人は、ルナの母君たるサラエラ夫人がチェックアウトのサインをしたところで目に見えるほど露骨に安堵の息を漏らしたもので。
そんな、ちょいと失礼な経営者を尻目に表に出てみれば三台の馬車と百名ばかりの手勢の整列する様を発見、合流して町を脱出したというのが経緯となる。
「お母様、こう言ってはアレなのですが、長時間馬車に揺られているだけというのは退屈と言いましょうかお尻が痛くなってしまいます。ですので気分転換を兼ねて部隊の哨戒訓練など実施しようかと――」
「ダメです許しません」
二頭立て馬車の客車内、対面式の座椅子に腰を落ち着ける母娘の会話だった。
走り出してからずっと下からの突き上げに耐えているルナが苦し紛れながら打開策を提案しようとしたところ、言い終えるのすら待って貰えず却下されてしまう。
ゲンナリする娘に、銀色髪のお母様は表情の無い顔で言い聞かせる。
「デビュタントは当家の主催であり、パーティーそのものは貴女のためのものです。何処の世界にパーティーの主役に護衛の真似事をさせる貴族家があるというのです」
「うぅ……それは、そうなのですけれど……」
「私だって本音では馬に跨がりその辺を駆けたい気持ちでいっぱいなのです。母が我慢しているのですから貴女も我慢なさい」
「うぐぅ……」
母娘揃っての武闘派ともなると慎ましやかに馬車に揺られていたって思うのは外でめいっぱい体を動かしてこの陰鬱な閉塞感を発散したいなんて事だったりする。
母の隣ではミーナ夫人が、ルナの隣ではアリサが、それぞれのお姉様に対して微笑ましいとでもいった顔を向けていたりもするけれど二人は気づきもしない。
――特にやることも無く、これといった事件も起こらない馬車での移動中。
ルナはつい昨夜の事を思い返していたりする。
ミューエル侯爵家のご令嬢、シェーラちゃんとの会話のあまりの噛み合わなさから口を閉ざしたルナは、言葉が通じないのなら肉体言語で分からせてやると意を決し、ボロボロになっている黒ドレスの開いた穴に手を潜り込ませて術を行使する。
桜心流氣術、応心。
それは触れた指先からごく微量の氣を放ち相手の神経に撃ち込むことで性的な快感もしくは強烈な恋慕の念を抱いたかのように錯覚させる技であり。
この技を仕掛けられた相手は年齢も性別も関係無く、文字通りに指先一つでダウンするのだ。
「……んァぁ♡」
お腹の辺りや、頬、首筋、二の腕と順々に執拗に触れていけばシェーラは熱っぽくも甘やかな啼き声を漏らし、ビクッビクッと肢体を戦慄かせる。
ぶっちゃけた話をするなら“応心”では女性特有、もしくは男性特有の器官に触れる必要は無い。
なぜかと言えば要するに脳内に快楽物質を分泌させる神経部分に氣を送り込むことこそがこの技の本質であり、実際の性交渉、つまり子を成すための予備動作とは関係がないからだ。
手を彼女の裏側に潜り込ませて腰から臀部に触れ、肩甲骨の内側、首の付け根といった神経が集まっている背骨を中心とした範囲は特に念入りに触れておく。
少女の身体がまな板の上で目釘を刺された鰻のようにくねったり跳ねたりを繰り返すが、この様子を料理人よろしくといった冷静な目で観察し的確に捌いていく。
小一時間としないうちにシェーラはあられもない声でルナを求めるばかりのメス犬と化していた。
「おねえさま♡ だめっ♡ おねえさまぁ♡♡♡」
一際甲高い嬌声と共に身を弓なりに仰け反らせたシェーラ嬢は、それから意識が朦朧としていますといった蕩けきった目で全身を弛緩させるに至っていた。
「シェーラ、何度でも繰り返しますが私は貴女の言う人物とは全くの無関係ですが、その上で言います。私の敵となってはいけません。常に適度に距離を置くよう心がけなさい」
「そ、そんな、おねえさまぁぁン♡」
「良いですね?」
反抗してきたので尚も苛烈な責め苦を与える。
するとシェーラは肢体を大きく震わせて、目から涙を零しながら「はぃイィ♡」と啼いて、また体をクニャリと弛緩させた。
「素直な子は好きです♡」
「はぃ……おねえさまぁ♡」
ふふっ、なんて愉悦混じりの微笑みを手向ければ、精も根も尽き果ててなお悦びと幸福に支配された面持ちで少女の掠れ声が囁かれる。
うむ。これで面倒臭いこの女とは距離を開けていられる。
彼女の家の特質上、諜報や破壊工作に長じている面がある事を考えれば、完全に手放してしまうのは惜しい。
だからこその“適度な距離”なのだ。
情報の収集や分析が必要な局面ではすぐさま呼びつけて働かせれば良い。
我ながらちょっと鬼畜な部分もあるやも知れないが、世の中というのはいつだって世知辛いもので、むしろほんの少しだけであっても縋れる希望が見えている環境の方が希有で恵まれているものである。
ルナは前世において思い知っている。
真っ直ぐで正直な生き方というのは、これはこれで美徳ではあるのだが、為政者の中で生きていくためには腹黒さやある種の強かさも必要なのだと。
どれほど優れた指導者であっても全ては救えない。
人間には何かを掴むための手は二つしか無く、部下や仲間の存在というのはせいぜい伸ばせる範囲が少しだけ広がるといった話でしかない。
ならば汚いことも酷い事も行わなければいけない。
より多くを救うため。より沢山を守るため。
だからルナは、少女を籠絡し利用することを厭わない。
目の前で切なげな息を吐き放心しているシェーラを見ても心は痛まない。
見上げれば満天の星と真ん丸なお月様。
月の光がやけに目に染みると思いながら、ルナは服の袖口をハッシと掴む手に気付く。
「お姉さま……泣かないで……私が傍にいますから……」
疲れ切った声でそれでも健気に笑んで見せたシェーラ嬢。
ルナは気持ちを切り替えて、再び嗜虐的な光を双眸に灯しては極黒髪少女を躾ける作業に没頭するのだった。
――と、まあ。
高級ホテルに出戻る少し前の話はこんな感じだったのだけれども、現実逃避にと回想していたルナが今ある現実へと意識を戻したところ、お隣のアリサちゃんがジトッとした目でこちらを見ていることに気付く。
「お姉様、今他の女のこと考えてたでしょ」
「そんなこと無いです」
何やら浮気を咎められる亭主の気分を味わいながら、同時に腰を突き上げる衝撃に顔を顰めたもので。
「私を置いてどこかへ飛んで行っちゃいましたものね。あの黒髪の子と二人で」
「いえ何も無かったと」
「可愛かったですよね?」
「アリサちゃん、誤解をしているようなので言っておきますが、彼女とは拳を交え、言葉を交えた後にどちらが上かを分からせただけです。やましい事なんてありません」
「その割に帰ってきたときには随分と様子が違ってましたよね?」
「それは、相互理解のたまものです」
尚も追求してくるアリサちゃん。
この子は時々妙に鋭いというか核心突いてくるんだよなぁ、なんてちょいと居心地の悪さを実感しちゃうルナお嬢様である。
「じゃあお姉様、夜になったら寝所で、お姉様があの子にしたのと同じ事を私にもして下さいっ!」
「……それは、まあ、構いはしませんけれど」
「ウフフッ♡ 期待してますね♡」
結局はそんな結論に至った12歳の少女達である。
娘達の遣り取りを見つめていた母親コンビは、サラエラはと言えば「この子ハーレムでも作る気なのかしら」と嘆息し、もう一方は「仲睦まじいことは良いことです」とニッコニコ。
けれど娘としては思うのです。
お母様たちだって夜になったら一緒のベッドに潜り込んでのご就寝なのだから大して違いは無いでしょうに、と。
腕にアリサをくっつけての行脚は、こうして終わりを迎える。
アルフィリア王国の王都メグメル。
その長大にして嵩も高い外壁に囲われる格好で鎮座する巨大な都市。
中央部のほんのり迫り上がった部分に建つオーガスト城の塔はなお背が高く外壁から頭を出している。
荘厳にして壮麗。
少なくとも遠目に見た限りだとそんなふうに見える。
「ルナ、あれが魑魅魍魎の住まう場所。城の中では一切の隙を見せてはいけません」
「はい。それは重々に」
だからグラッド・ウェルザークは滅多に近づかなかった。
母が貴族連中を毛嫌いしているように見受けられるのもここに起因している。
一見して豪華絢爛と思しき城の中では、他人の粗探しに夢中で少しでも隙を見せた者に難癖付けて食い物にしようと企む人の皮を被った鬼畜どもが息を潜めている。
と、これはサラエラから注意喚起されただけでなく前世の記憶でも実感している――魔王やら神やらを単身でフルボッコした人間が城に呼ばれないワケがないだろう?――ことである。
ああ、そういえばと思い浮かんだのは電子の精霊を自称するシロのこと。
家に残してきたバカ犬は、ルナの出発の話を聞いても「お土産よろしく~」なんてナメたこと言うだけで自分も行くとは言い出さなかった。
ひょっとしたら彼女にしても王宮に足を運ぶのは気が進まなかったのかも知れない。
まあ、だから何だという話ではある。
シロは、コイツはコイツで何らかの思惑を持って行動しており、それは必ずしもルナの意に沿うものではないと直感しているから。
何を考えているかも分からない奴を連れ回すのは余計なリスクを背負い込むだけで良い事なんて一つも無い。
だから置いてきたワケなのだけれども。
普段からシロに餌をあげているのはアンナで、だからルナたちが戻るまでは別のメイド嬢が彼女にご飯をあげる係になる筈なのだけれど、色々と上手くやれているか少し心配になっても仕方の無いことであろう。
「とにかく、私はまず目の前にある問題をやっつけないといけないわよね」
ルナは自分に言い聞かせて気持ちを切り替える。
馬車三台と百名の兵士達が巨大な外壁門を潜り抜ければ、目の前に広がるのは活気と喧噪に充ち満ちた街の景観だった。




