040:軋轢のデビュタント④ 中継点アザリアⅢ
シェーラ・ミューエルは氣術、もしくはこれに準じる技術を会得している。
ルナは彼女を見た瞬間にそう判断した。
理由はと言えば、一見してお淑やかも極まる手弱女といった肢体、その隅々にまで高濃度の氣が巡っているのを感知したからだ。
氣術を知らない、或いは修行の途にある入門者であれば体を見れば体内の氣にムラがあったり揺らいでいるのが分かる。
だがシェーラ嬢にはそれが一切なかった。
即ち、彼女は氣術に関わる訓練を長らく続けており、少なくとも目に見えるレベルで成果が出せるくらいには熟達していると、その様に断ずるしか無いのだ。
(……ふむ、楽しませてくれれば良いのだが)
夜の中、弦から放たれた鏃の如く空を疾走する影が二つ。
前を往くのは極黒髪と黒のドレス、その異様を更に際立たせる病的なまでに白い肌の少女。シェーラ・ミューエル侯爵家令嬢であり。
後を追うのは白を基調とするブレザー制服然とした衣装と両腕に填めた手甲、そして鋼色髪が微かに月光を照り返しているルナ・ベル・ディザーク侯爵令嬢である。
白と黒、対極とも言える色具合がルナに否応なく期待感を抱かせる。
だってホラ、こういったシチュエーションって宿命のライバル出現みたいな感じがするじゃん?
きっと奥義を尽くしても仕留めきれない程の強者で、数分間の戦いで町どころか地域一帯が消滅しちゃうほどの激戦が繰り広げられるに違いない。
なんて妄想しつつニマニマと空を飛ぶルナお嬢様。
侯爵家令嬢として生まれてから今に至ってさえボロボロになるような戦いが一度も行われていないものだから、期待が天元突破したってそれは仕方の無いこと。
なので町の外れにある採石場かと疑うほど殺風景な所に降り立ち自分の方を向いたシェーラ嬢を視界に収めて、「これは町が破壊される規模の技を連打する腹づもりに違いない!」とワクワクのウキウキで同じ地表に降り立つルナであっても誰かに咎められる謂われは無かろうと自己弁護しておいた。
「あら、周囲に人の気配がありませんわね? 私はてっきり千人くらいの兵で押し包むものとばかり思っていましたけれど」
声が聞こえる距離だからとそれとなく問い掛ける。
すると意外な事に極黒髪少女はお澄まし顔で返した。
「貴女が噂通りの実力であるなら、一万の兵を用意しても足りないでしょう? でしたら無駄な用兵は行わない。当然の話です」
噂ってどういった内容なんだ?
ラトスの街にいても屋敷の修練場にあってさえ自分に関する噂話なんて耳にしたことがない。
なので気になってちょっと聞いてみた。
「参考までに、私に関する噂とはどの様なものですの?」
「たとえば7歳の時に一人で盗賊団のアジトに乗り込んでいって500人を血祭りにした、だとか、最近だと国境沿いで起こった魔物の異常発生に首を突っ込んで一万もの魔物を一人で鏖殺しただとか、色々と聞いております」
「……それ、鵜呑みにしてます?」
「貴女に遭うまでは疑ってました。けれど今は本当にあったことだと確信しております」
「や、そこは疑いましょう。そんな事が出来る人間はもはや人間ですらないでしょ?」
真顔で答えるシェーラちゃんに思わず苦笑を手向けてしまうルナ。
完全な作り話だ。
盗賊団の時には魔王幹部を一対一で仕留めたとは言え、実際に倒した数なんて、せいぜいが数百ほどの眷属――盗賊は最初から一人として存在していなかったからそうなっちゃうよね?――くらいだし。
ウェルザーク領で戦ったのは確かに一万ちょいの魔物の群れだったが、大量破壊術の行使により大部分を焼き払った後は申し訳程度に残っていた魔物の掃討を手伝っただけなので戦果と言えるほどの活躍なんてしていない。
大げさで紛らわしい。全くの嘘ではないってところが余計にタチが悪い。
「私どもミューエル侯爵家は諜報に秀でておりますの。ですので噂の真相を探る事は当然のように行っていましてよ」
「そうですか……」
なぜお前は自慢げなのか。
シェーラ嬢を眼前に置いてゲンナリした表情のルナ。
けれど、まあ、そういった諸々を踏まえてさえこんな殺風景な所まで連れてきたのだし、これは本当に期待できるかもと気持ちを切り替える。
「では、お喋りは程々にして、そろそろ始めましょう」
鋼色の艶髪が風に弄ばれるのにも構わずにルナは腰を落として構えを執る。
一方の極黒髪黒ドレス娘は僅かに肩を竦めたものの、やはり口元に笑みを浮かべたまま僅かに腰を落とす。
戦いはある瞬間を境に始まった。
――桜心流氣術、勁落掌!
――氣術、勁落掌っ!
ゴッ!
瞬き一つほどの時間で両者は手の届くところまで駆けて、そして各々に掌を突き出した。
凄まじい氣の爆圧によって二人の立っていた地面が陥没してすり鉢状になる。
その最底部にて手を合わせる格好に至っている。
「氣術……なるほど、そういう事ですか」
「初手で看破するとは、流石ですわね」
少女達は囁き合って、ルナはちょいと苛立ち含みの笑みを、シェーラは獰猛な笑みをそれぞれ浮かべた。
――桜心流氣術は、そもそも何も無いゼロから編み出された武術大系ではない。
ベースとなるものがあるのだ。
単に“氣術”とだけ呼ばれるそれは、一説では千年前には既にあったらしい。
経緯は兎も角として、ルナは前世において氣術を学び、独自の解釈と手法により“桜心流”を開いたのだ。
ならばここでは“源流”とでも呼ぶべきであろう。
ルナは源流氣術の使い手であろうシェーラに、しかし、と告げた。
「源流は、千年無敗を謳いながら、けれど未完成の武術なのです」
――桜心流氣術、重波。
合わせた手の一方が僅かに引かれたかと思えば再び、今度は大波の如き破壊力を伴い放たれる。
「っ!?」
ボグンッ、とくぐもった破砕音と共にシェーラの体躯が吹っ飛ばされ、すり鉢状につき上り坂になっていた背後の斜面を転がり昇っていく。
この間にルナは地面を蹴って跳躍、クレーターから弾き出される勢いで宙を舞った少女の直上から体全部を捻っての蹴りを浴びせていた。
ドゴッ!
「かはっ!?」
地面に叩き付けられゴムボールのように跳ねた黒ドレス。
ドレスはたった数秒間の動作だけでボロボロになっていた。
「ちっ!!」
舌打ちしながら極黒髪が空中で体勢を整え地面にズザザッと音を立て着地する。
だが彼女の間隙を許容するほどルナ様は慈悲深くはない。
構え直したシェーラの真後ろにあって、既に技の発動体勢すら整っていた。
「なっ?!」
「氣術は、極めねば児戯。故に儂は“桜心流”を編み出した」
――桜心流氣術、踊龍乱七変化っ!!
ドガガガガガガガガガッ!
シェーラは蹴り上げられた。
体躯が浮いても、手合いは同じだけ身を宙に浮かせて蹴り上げる。
まるで螺旋を描くように毎秒数発の蹴りが飛んできて少女の身を打ち付け空中へと蹴り上げる。
そして地表から十数メートルも離れたところで、これでトドメとばかりに頭上からの浴びせ蹴り。
シェーラの視界がグルグルと回転して、きりもみ状に墜落し地上と激突した。
「あ……が……」
技を終えて間合いの外にて着地する白ブレザー少女。
死に体の少女は、それでも歯を食いしばって立ち上がろうとする。
「まだ闘気が衰えていないところを見るに、大技を狙っているという事か。だが無理はしない方が良い。死ぬぞ」
ルナは少し大きく息を吐き出す。
彼我の戦力差をほぼ正確に把握したから。これ以上の戦闘は何の意味も無いと切って捨てたのだ。
「いいえ。私、こう見えて負けず嫌いですの」
「そうか。ならばもはや言葉は不要。全身全霊で打ってこい」
少女は膝を震わせながら、それでも立ち上がる。
ルナは手を突き出すようにかざし、ゆっくりと拳を握る。
シェーラはボロボロのドレスもそのままに構えた。
その背後に一匹の龍が出現する。
「お望み通りに、我が全身全霊、受けてみなさい!!」
眼前にて両拳をガッチリ組み合わせ、蹲るかと思える程の低姿勢から腰を捻って手を後ろに振り回す。
――氣術、
「功おぉぉぉぉ……」
シェーラの組んだ拳から青白い光が漏れ始める。
ルナは本当は別の技を準備しようと考えていたが、手合いの技の初動を見て微笑ましげに口元を歪める。
「しょうがない。真正面から叩き潰してやるよ」
そしてルナも全く同じ体勢で、合わせた拳の隙間に青白い光を灯す。
――桜心流氣術、
「功おぉぉぉぉ……」
両者の手の中に在る光は倍々で密度を濃くし、やがて黄金色の光へと変化した。
「「龍ううぅぅぅぅっ!!」」
黄金色の光が更に更にと膨張していって、やがて臨界点に至る。
「「波あああぁぁぁぁぁあああっ!!!!」」
ズギャギャギャギャギャギャ!!!!
少女たちが対峙する手合いに向けてそれぞれに破壊的殺傷能力の塊を解き放つ。
二人の中間地点で光がぶつかり合い、まるで綱引きでもするように押し合う。
だが、そんな中でシェーラの目に映ったのは、鋼色髪少女の変貌だった。
ルナの背に三対6枚の純白翼が出現し。
その背後に百をも超える龍の首がユラリと鎌首をもたげる。
絶望的なまでの、圧倒的な氣力の差。
シェーラの顔に絶望の色が浮いた時にはもう、ルナから放たれていた光線の束が十倍以上に膨張し我が身を焼き尽くそうと迫っていた。
「あぁ……やはり……貴方様こそが……」
極黒髪から絞り出された囁き声は轟音に掻き消され。
そしてボロボロになっていたドレスも、病的なまでに白い素肌も、髪の毛の一本すら残さず焼き尽くされ粉々に破壊されるのだった。




